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性獣ジャニー喜多川が追い求めたもの

34年後の暴露

ジャニー喜多川の性犯罪にかんしては、とうに一定の報道をされ、裁判でも決着がついていた。もう年寄りだし、まさかつい最近まで「現役」でやり続けていたなどと思いもしなかった。北公次の告発の件をよく覚えているけど、その後87歳で死去するまで34年間も野放しだったなんて……これを許していた回りの責任は大きい。そんな事務所を重用していた日本社会全体の問題だ。

日本支配層の禁忌としての同性愛

BSの報道番組で、松原耕二と元朝日新聞の政治記者が真摯に反省の弁を述べていた。――むろんこの件は知っていたが、自分たちジャーナリストにとっては政治こそが主題で(見下していたつもりはないが)芸能ネタには触れないのが普通だった。しかもこの手の話題で……(と口を濁す)。

これは報道にかぎったことではない。ツイッター改めエックスのタイムラインを眺めていても、政治こそが本道であって、それ以外の話題は歯牙にもかけぬ人たちが大勢いる。政治的なもの、ないし国家的なものに自我同一化していて、それ以外の芸能や芸術に一切関心がない。見下している、というより「見ていない」。そもそも視野に入ってない。自分の専門ではないからだ。

こうした「専門化」された現今の有象無象のジャーナリストたちに比べると、筑紫哲也はいかにも見識が広かったと、今となっては懐かしく思い出される。

まして、ここで問われているのはゲイという存在である。いや正確にいえば未成年者への性加害であり、パワハラでもあるけど、いずれにせよ男どうしの性関係が問題になっている。こうしたテーマには触れない、見て見ぬふりをするというのが日本の報道の基本である。

男女は適切な年齢で正しく正常位で性交して、子供を2~3人もうけたあとは持ち家で老後を送るべし、というのが明治以来の日本支配層の唯一の人生哲学であったと言っていい。《お家》の存続こそが彼らの人生の史上命題である。

とりわけ過去の日本が「取り戻された」現状にあっては、家の論理とか血縁とか伝統とかが金科玉条とされるに至っている。21世紀の世界において、かつてなく封建的な社会に成り果てている。そりゃ人口が減り、経済が破滅的な状況に陥るのも道理だ。お家の観念とともに日本は滅びようとしている。

言うまでもなく、いつの時代にも同性愛ないし衆道の問題はあって、江戸時代には至極当たり前の風俗だったし、明治以後も森鴎外をはじめ多くの文学者たちがそれを扱ってきた。

とりわけ三島由紀夫はほとんどゲイ文学と言ってよく、フランスをはじめ世界でもそう評価されてきたが、日本では「審美主義」という謎の言葉で糊塗され、この肝心な部分がほとんど論じられていない。

大江健三郎にしても、村上春樹にしても、作中で必ずと言っていいほどゲイを登場させ、重要な役割を演じさせている。映画作家では北野武がそうだ。かれらの表現にとっては至極必然性があるのに、この問題も見て見ぬふりをされている。

大江作品では、進駐軍の将校が日本人の子供相手に幼児性愛に興じる姿が描かれている。同性愛と政治権力の構造は彼の文学の主要モチーフのひとつである。かれら作家たちには《毒》がある。それこそが彼らの表現を傑出したものにしている。にもかかわらず、その肝心な毒を見ない。見ても見なかったことにする。

これに苛立ってか?北野武の新作『首』ではまさに衆道が極めて重要なモチーフとして扱われている。見ないふりはできないはずだ。が、今回も恐らくこの件に触れる映画ジャーナリストはほとんどいないのではないか。「触らぬ神に祟りなし」というのが彼らの処世訓だ。事実、ある種の「検閲」が存在している。

大江、ハルキ、たけし……彼らがすべて芸術家であり、言ってみれば「文化・芸能」の括りの人たちであることに注意されたい。日本支配層の哲学から見れば政治と経済こそが男子たるものの道、いわば「もののふの道」であって「我らが道!」である。芸術家のことなど知ったことではない。科学者のことすら視野に入ってない。かれらが何を言おうと、言わせておけばいいのだ。それでノーベル賞を取って国家に栄光を与えてくれるなら、ありがたく横から頂く。略取する。日本国家とは栄光泥棒である。

以上のごとき日本の支配層において、同性愛の問題はないことにするという暗黙の了解というか「紳士協定」が存在する。テレビでは「おねえタレント」たちが跳梁跋扈しているが、あれは下々の者どもの芸能にすぎず、自分らの階級は関係ないと見ないふりをする。

以上は前からある日本的問題である。ところが、誰もがむやみに長生きするようになり、その弊害や腐敗が生物学的に除去されなくなった。この点が大きい。ジャニー喜多川しかり、自民党の政治家や経済人しかり。ジャーナリストにしても、田原総一郎のようなヨボヨボの年寄りがいまだテレビに出ている。まさに老害と言うしかない。

男の処女をもとめて

昨夜、サムソン高橋という人のツイート改めエックスを見て、はたと気づいたことがある。以下で紹介したい。

ジャニー喜多川で知られるエピソードがある。女性と関係を持ったタレントに「目に輝きがない」と吐き捨て「女を知らないと女を渇望する。その時の目の輝きがファンを引きつける」と言い放ったという出来事だ。

ハッテン場から愛をこめて

女を知らぬ童貞には世慣れないところがある、と言えないこともない。というのも、オルテガの言葉を借りると「女とは人間に極めてよく似た動物」であり、にもかかわらず言葉を話し、セックスの相手にもなる。社会全体の半分を占めるこの生き物について何も知らないことは社会そのものに不案内であることを意味する。そこに生じるのは性欲というより知識欲である。童貞は女を渇望する。そのギラついた目の輝きが、かれらが発散するフェロモンが思春期の女性ファンをひきつける。

性的虐待を受けながらもジャニーズのタレントでゲイやオカマっぽい男はほとんどいない。ジャニー喜多川の性欲による慧眼で、丁寧に排除されていたのだろう。あくまでノンケの、女を知らない童貞の輝きだけを追い求めたゲイ。

上記

なるほど!確かにそうだ。ジャニー喜多川は自分のご同類を探していたのではない。決して若いパートナーを求めていたのではなかった。そうではなく、自らとは隔絶した純粋ノンケ、いわば「処女の男」を生涯かけて追い求めた。その手段が件の夜這いで、自分の眼鏡に叶う子を見つけてはデビューさせてきた。しかるに、そんな理想の男など現実には存在するわけがない。

ジャニー喜多川の性欲が死ぬまで収まらなかったのも当然である。本当には手に入らないものを追い続けたのだから。そしてその性欲が追い求めた輝きが、数多の少女の夢を彩ったのである。ジャニー喜多川は、哀しきモンスターだったのだ。

上記

ふつうなら誰かステディが出来そうなもの。ところがジャニー喜多川にとっては恋人やパートナーを探すのが目的ではなく、自らの性欲を満足させることすら最後は目的ではなかった。さすがに87歳の老人に通常の意味での性欲が存在したとは考えにくい。かれとしては半ば「お仕事」のつもりだったのかもしれない。さもないと続かなかったろう。

ふつうの商売道徳なら「売り物に手を出すのは怪しからん!」となるわけだが、ジャニー喜多川の場合、売り物になりそうな商品を見つけるために手を出して味見していたのかもしれない。――いや、出していたのは必ずしも「手」だけじゃなかったようだ。

ジャニーズ的なゲイ能によって日本文化、ひいては日本人の価値観は大きく毀損された。たんなるガキがイケメン扱いされる世の中は狂っている。

先日見た『MEG ザ・モンスター2』では、中国人俳優ウー・ジンが、ジェイソン・ステイサムと張り合うような存在感を見せていた。韓国映画はマ・ドンソクや、ソン・ガンホのような決してイケメンではない、というか、むしろその真逆のジャガイモ顔の名優を輩出している。昨日見たトルコ映画『エスケイプ・フロム・イラク』はトルコの特殊部隊を扱った作品だが、出てくる男優は老若男女みんな味のある顔をしていた。

せっかくアジアの時代だというのに、もう日本には世界に通用する俳優も歌手もほとんど居ない。どの映画でも中年の主役には役所広司が当てがわれる。もう飽き飽き!こんな貧困な芸能事情にした点でもジャニーズ的なものの弊害は大きい。日本人は《顔》を失ったのだ。

ジャニーズが活躍する映画など見たくねえよ。大河ドラマにしても、松本潤が徳川家康だなんて……

占領軍の男娼たち

ジャニーズ喜多川が追い求めたのは「処女の男」だった。10代の女子に脅威を感じさせてはならない、いわば去勢された植物系男子だった。思うにそれは敗戦後、占領軍が日本人に求めたものと全く同じである。

マッカーサーは「日本人の精神年齢は12歳だ」と言い切った。オレが男にしてやる!と言いたかったわけでは決してない。むしろ本当は「お前らは永遠に12歳のままでいろ」と言いたかった。現に今なお日本人は12歳のままだ。

ウィキを見ていて知ったが、ジャニー喜多川は本名が喜多川 擴(きたがわ ひろむ)。日系人でも何でもない。純粋な日本人だ。

父親の喜多川諦道は高野山真言宗の米国別院の僧侶で、至極ほがらかな人だったらしく、社交的でロサンゼルスの日本人社会では有名人だった。1933年に帰国し、大阪に居を構える。

母親の栄は、ジャニーこと擴(ひろむ)をはじめ3人の子供を現地で出産したものの、帰国後早々に死んでしまう。ジャニーは31年生まれだから、物心もついてない。

戦争が始まると、子供たちだけで父親にゆかりのある和歌山の那智勝浦町に疎開し、16歳まで過ごす。どこからどう見ても立派な純日本人の田舎者だ。1947年にまたしても!子供たちだけでロサンゼルスへ移住、現地の高校に入学する。なんでいつも子供たちだけ?不可解だ。

ロサンゼルスの高校&カレッジでは、金髪碧眼の白人男子にさぞや憧れたのではないか?それが晩年にまで至る妄執と化した可能性もある。

英語を本格的に学んだのは16歳から。1952年に日本に帰ってきたときは20歳そこそこで、どれだけ英語力を身につけていたのか怪しい。とまれ以後は米軍関連の施設で働くようになる。韓国の戦災孤児相手に英語を教えていた時期もあるらしい。

ミュージカル映画『ウェストサイド物語』を見て感銘を受ける。父親がそうであったように少年野球チームを率いていた彼は、そこから4人のメンバーを選び「ジャニーズ」を結成。1962年にジャニーズ事務所を創立。

ところが2年後の64年には、すでに少年への猥褻行為で裁判沙汰になっている。もう最初から見境というものがない。そもそも芸名の類いとはいえ「ジャニー」と名乗ること自体おかしい。

米軍関連の事務所で働いていた擴(ひろむ)ことジャニーは、占領軍の眼差しを自らに同化させていたのだろう。アメリカ様から寵愛されるような男子を自らが毒見した上で差し出す。そんな仕事を天職と弁え、生涯全うした。

その結果、日本の芸能界において「日本男児」という観念は永久に失われ、テレビもメディアも白人に愛されるお稚児さんばかり重用するようになった。三船敏郎のような凛々しい男優は姿を消した。

占領軍の男娼というジャニーズ的な美学が、戦後日本人の美意識のみならず価値観すらも腐らせている。その腐敗と目下の支配システムは切り離しがたく結びついている。

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