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坂と石畳の街「長崎」


九州南部巡り旅①


 北九州を午後遅くに出発し、車で南へと向かう。この年末年始は長崎、鹿児島、宮崎の九州南部三県を巡った。通過する佐賀、熊本、大分を含めれば、ほぼ九州を大雑把に一周したことになる。

最初の目的地長崎に着いた時、街はすでに日が暮れていた。インター出口を抜け幹線道路に入る。するといきなり目の前に路面電車。同じ道を並走するのは初めてだ。交差点の信号機に見慣れぬ矢印のマーク。いったい何を意味しているのか分からない。信号機が青になっても前の車は発進しない。路面電車優先というルールがあるのだろう。地元ナンバーの車は皆静かな運転だ。彼らについて走る。街の灯りに照らされてキラキラ光るレールの上を滑るように走るという不思議な感覚に、見知らぬ土地に来たという実感が湧いてくる。右往左往しているうち、すぐに思案橋界隈に到着した。

車を停め、「思案橋横丁」という名の細い路地を歩く。道行く人の言葉が柔らかい。暗い路地を照らす提灯の明りのように、ゆったりとした穏やかな空気が漂う。本場のちゃんぽんと皿うどんを食べようと「康楽かんろ」という小さな中国料理店に入る。今まで食べたことがないまろやかな風味に思わず唸った。微笑む女将さんに礼を言って店を出る。



長崎の街には、長崎港の海岸に沿って僅かな平地が開けている。そこに幹線道路がくねくねと続き、道の中央には新旧様々な車両に多種多様なカラーリングを施した路面電車が忙しそうにゴトゴト音を立てて走り回っている。そのすぐ横を車列が器用にすり抜けてゆく。この幹線道路から外れ脇道に入るとすぐに坂道が始まる。街を取り囲む山の中腹まで斜面はほとんど民家やマンションでぎっしりと埋めつくされている。

港を見下ろす高台の一等地には観光名所となった古い洋館や教会、飲食店、土産物店などが建ち並ぶ。こうした場所に続く坂道は広い石畳でこれもまた名所。400年の歴史があるそうだ。開国後の居留地に住む外国人達が、教会へ通じる1本は完全に舗装し、山手のあらゆる坂道は同様に割り石を敷くことを要求したとのこと。雨の多い長崎で水はけをよくするためだった。観光案内でよく見る景色だが、今でもごく自然に街の風景に溶け込んでいる。
その一方で、傾斜地に広がる住宅街には、狭い階段や坂道が迷路のようにくねくねとどこまでも延びている。階段の途中には所々ベンチが設けられ、疲れた人への心配りが随所に見られる。

見晴らしのいい高台に立つと長崎港が一望できる。対岸にすぐ見えるのは大きな造船所。戦艦大和は呉で造船されたが、戦艦武蔵のドックはこの長崎だ。今は海上自衛隊の新型ステルス護衛艦が数隻接岸され、基地への配備を待っている。

長崎の見所の一つが言わずと知れた街の夜景。港を挟んで東西両側に展望台がある。一つは街の西側にそびえる人気スポット「稲佐山」。広い駐車場には自家用車やバスがぎっしりだ。反対側には歩いても登れる「鍋冠山なべかんむりやま」。後者の方は地元のカメラマン以外ほとんど人がおらず、夜景のみならず遠くに広がる静かな外洋の夕景もじっくり味わえる隠れた名所。傾斜地の住宅街が天の川銀河のように輝く夜景も素敵だ。



都会の煌びやかさとは無縁の、遠いアジアの異国に来たような独特の暖かい雰囲気に身も心も包まれる。都会から長崎に移住する人も多いという気持ちがよく分かる。何処にいても居心地がいい。
時はゆったりと流れ、人々は優しく、料理は美味い。

かつてはキリシタンの街として発展し、多くの教会や福祉施設、病院が建てられ、東の小ローマと呼ばれたこともあったという。また当初北九州小倉が標的だったのが、視界不良のために急遽予定を変更して長崎に投下された原爆の傷跡も残る。激動の歴史の舞台となった長崎の街は今静かに、癒やしの日々を綴っているかのように見える。

もっとここに留まりたいという気持ちをぐっと堪え、次なる目的地鹿児島に通じる道へとハンドルを切った。




坂と石畳の街 長崎
































































次回九州南部巡り旅②へと続く。



桃瀬茉莉
「誰も知らないお話」


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