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独断Jazzヴォーカル大賞

秋の夜長はジャズヴォーカル!
ということで今夜は動画配信サイトから1曲だけを課題曲として選び、その曲を華麗に歌い上げる女性ジャズボーカリストたちをピックアップして、その中から勝手に大賞を決定するという独断企画。
題して「独断Jazzヴォーカル大賞」。
北九州市小倉北区紫川周辺で開催されているイベント「小倉イルミネーション2022」の写真と共にどうぞ!


課題曲はスタンダードナンバ一曲
Cry Me a River(クライ・ミー・ア・リヴァー)

この曲は、アメリカ人作曲家であるアーサー・ハミルトン(Arthur Hamilton 1926-)が、1953年に作詞・作曲したポピュラーソングであり、拙者のお気に入りスタンダードナンバー。
サイト内で検索すると、この曲を歌っている歌手はプロだけでも日本人を含め30~40人位にのぼるだろう。この曲を歌い上げることができる歌手たちは素晴らしい歌唱力と表現力を持っている方ばかりとつくづく思う。
こうして聴き比べてみると、一人一人の個性が際立ち、細部にわたってそれぞれの持ち味が浮き彫りになるようで興味深い。
結局優劣なんて当然決められるわけないのだが、個人的な好みで金賞一曲、銀賞三曲選出することとした。他のノミネート作品もどれも皆感動的!
他にもたくさんあるのだけど収まり切れない。
秋の夜長、ジャズがお好きな方も、そうでない方も、お時間のあるときにどうぞご堪能あれ!


Cry Me a River(クライ・ミー・ア・リヴァー)

自らを一度は裏切りながら復縁を乞う恋人に向かい「いまさらもう遅い、川のように泣くがいい」と冷ややかに突き放すという内容の、恨み節がかったブルーバラードの曲。
1955年にジュリー・ロンドンの歌唱で大ヒットし、彼女の代名詞となると共に、今日までロックやジャズ、ブルースなどといった様々なジャンルのアーティストが採り上げる、スタンダード・ナンバーの一つとなった。

曲の沿革
元々、1955年の映画『皆殺しのトランペット』(原題 "Pete Kelly's Blues" 監督・主演 ジャック・ウェッブJack Webbの挿入曲とするために作曲され、ゲストとして特別出演したエラ・フィッツジェラルドが歌うことを想定されていた。
しかしこの曲の採用は検討段階で却下され、エラはレイ・ヘインドーフ作曲のメインテーマ「Pete Kelly's Blues」など別の曲を歌い、ハミルトンの曲は別作品「ヒー・ニーズ・ミー」「シング・ア・レインボー」が劇中歌として映画で助演したペギー・リーに歌われるに終わった。

しかし、映画を企画したウェッブは「Cry Me a River」を惜しみ、当時自分と離婚したばかりで、元B級女優だが歌手志望でもあったジュリー・ロンドンに曲を紹介した。
ジュリーは1955年にリバティ・レーベルで、バーニー・ケッセルのギターと、レイ・レザーウッドのウッドベースというデュオ伴奏で、この曲を録音した。

このデビュー曲は同年『ビルボード』誌のヒットチャートで最高9位に到達するというヒットを飛ばし、ジュリーは歌手としての評価を確立した。ジュリーの情緒綿々たる恨み節と、ケッセルの好サポートで、このオリジナルは高く評価されている。ジュリーは、翌1956年に映画『女はそれを我慢できない』("The Girl Can't Help It")にも特別出演してこの曲を歌い、曲の知名度を高めた。

Wikipedia





独断Jazzヴォーカル金賞

ダイアナ・クラール (Diana Jean Krall), 1964年11月16日 - )

決して力まず、頑張り過ぎず、しかし豊かな表現力。いつもリラックスした歌い方をするダイアナ・クラールにこのバラードはぴったりだ。一つの曲の中に心の強さ、弱さ、悲しみ、安らぎ、希望、絶望、暖かさ、冷たさといった様々な情感を多彩に歌い上げ、曲の奥行きの深さを感じさせてくれる。彼女自身が弾くピアノやバックのギターも素敵だ。



独断Jazzヴォーカル銀賞 3曲

パティ・オースティン(Patti Austin、1950年8月10日 - )

心を込めて、いや魂を込めて歌い上げるとはこのことかと思う。ニューヨークハーレム生まれ、4歳にしてアポロシアターにてデビュー、5歳の時にはRCAレコードと契約という経歴の持ち主。心の力強さと切なさ両方の情感が入り混じるような響きは人生経験の豊かさを物語る。


エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald、
1917年4月25日 - 1996年6月15日)

ジャズボーカリストの女王的な存在であるエラの歌唱力、表現力の豊かさを味わえる一曲。幼児期から晩年に至るまで波乱万丈の生涯を生き続けた一人の女性からほとばしる情熱は、魂の叫びとしか言いいようがない。


ジュリー・ロンドン(Julie London、1926年9月26日 - 2000年10月18日)

この曲はジュリーの歌から始まった。一度は裏切りながら復縁を乞う元恋人に向かい「いまさらもう遅い、川のように泣くがいい」と冷ややかに突き放すという内容の歌だが、ジュリーが歌うとその背後にある本心は未だに愛を捨てきれないという気持ちが滲み出てしまうような歌に聴こえる。




独断Jazzヴォーカル ノミネート作品 7曲

マリ・ウィルソン (Mari Macmillan Ramsay Wilson 1954 年9月29日-)



ヴィクター・ラズロ(Viktor Lazlo、1960年10月7日 - )



ナタリー・コール(Natalie Cole、Stephanie Natalie Maria Cole、
1950年2月6日 - 2015年12月31日)



スーザン・ボイル(Susan Magdalane Boyle, 1961年4月1日 - )



リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt、1946年7月15日 - )



アン・マレー(Morna Anne Murray CC ONS、1945年6月20日 - )



アリソン・モエ(Geneviève Alison Jane Ballard MBE、1961年6月18日-)







北九州市小倉北区紫川に架かる鴎外橋

森鷗外に因んで名づけられた鴎外橋
森鴎外(1862年~1922年)は1899 年(明治32年)に当時37歳の時に第十二師団軍医部長として福岡県小倉(現在の北九州市小倉北区)に着任し、約3年間をこの地で過ごしました。軍医部長としての職務を果たしながら、「我をして九州の富人(ふうじん)たらしめば」、「鴎外漁史(ぎょし)とは誰(た)ぞ」といった随筆を“福岡日日新聞”に発表。また安国寺の学僧・玉水俊虠(たまみず しゅんこ、1866年~1915年)と親交を結んだり、旧跡や社寺を巡ったりと後年の文学活動における土壌を培っていきます。

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