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写真よりも深く


(2022年5月18日投稿記事)



 ラベンダーさんが素敵な俳句を、愚生の写真に添えて詠んで下さった。

ラベンダーさんにとってその写真から受けとめられた印象の背後には、ラベンダーさん御自身の感性と人生経験というものがあり、また私にとっては御句の五七五の言葉の連なりから浮かび上がってくるものの背後に、若い頃の経験が30数年間経った今でも、通奏低音のように心の中に響き続けているものがある。
感動、そして驚きだったのは、そのことが五七五の中にありありと描写されていたからだ。

写真には撮影者の意図とは離れたところで、見る人によって様々な印象を感じることができる自由度がある。それは写真が見る人の感性や人生経験を映し出す鏡となるからでもある。

写真を公開するということには、作品が独り歩きを始め、行く先々での出会いによって、新たなインスピレーションの源となったり、見る人自身の自己再発見をもたらす可能性すらあると思う。

ラベンダーさんが詠まれる俳句や詩、その他の文章には、いつも心温まる「優しいまなざし」と「優しい想い」がそのベースにあり、何を書かれてもそれが滲み出て、というか溢れ出てしまうのだと思う。

俳句というラベンダーさんの洗練された知性のベクトルが写真に加わったとき、私にとっては不思議なことに、写真という平面的な画像の世界が、突然立体的な奥行きのあるものへと変容を遂げる。写真がそれまでとはまったく別の世界を創造し始め、写真に写っている曖昧模糊とした全体像が初めてクリアな輪郭を持ち始めるのだ。

別々の人生を歩んできた人間がnoteというネット空間の場で出会い、俳句と写真が出会う。そこから、それぞれの作品のエネルギーが共に踊るように躍動し、溶け合い、やがて言葉も写し出されたものも消え、えもいわれぬ温かさが最後に心の中に残る。
このような感動はこれまでの人生にはなかったなとつくづく思うのである。



ラベンダーさん
ありがとうございます!


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