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「地球の歩き方」の使い方


 今月初め、(株)Gakken社から『地球の歩き方・北九州市版』が発売された。1979年創刊以来すでに百数十タイトルを超える大ヒットシリーズだが、国内の市版としては全国初となる。地元住人にとっては興味津々。早速入手した。


あとがきには次のように書かれてある。

 全国初めての市版として制作した『地球の歩き方 北九州市』。歴史・文化・グルメ・自然とその魅力は分かっていたものの、取材を進めるほど奥深さを知り、新しい出会いの連続でした。7区すべてが想像のナナメ上いく、まさに読んでびっくり、来て納得の一冊になりました。制作にご協力いただいたすべての方に感謝したします。そして本書を手に取っていただいたすべての旅人が、キタキューファンになることを願っています。

地球の歩き方・北九州市版


 まさにその通り。2年半前に北九州に引越してきた愚生にとっても、想像のナナメ上を行く驚きの日々がずっと続いている。


***


 『地球の歩き方』は若い頃随分と世話になった懐かしい本のタイトルである。
1979年出版の「ヨーロッパ」編と「アメリカ」編2冊から始まったこの旅行ガイドブックは、個人旅行者の中でも特に若者のバックパッカー向けに制作されたもの。

1981年には「インド・ネパール」編が登場。ちょうどその頃アジア諸国へ貧乏旅行に出かけようとしていた愚生にとって、実にタイムリーな発刊だった。初めての海外旅行で、しかも一人旅。安宿やローカルな飲食店、交通機関情報などが満載で、旅立つ前にはすでにマーカーだらけになった。


地球の歩き方インド編 ‘82~‘83年版


 この初版本にはこのような前書きがある。

はじめに または おわりに

━━━いったいキミは、どこへ行くのか?

 いま1980年代の初め、ここ東アジアの湿気っぽい一隅で、きのうと同じような今日、本があふれているのにどこかほの暗い書店で、このページを読んでいるキミは?

 情報の波をかいくぐって、キミの手もとに届いたこの本は、誰が書いたのでもない、インドが書いたキミへの招待状。ここまで読んだキミは、もうインドへの第1歩を踏み出したことになる。

 インドへ━━━無限の過去へ、暗黒の未来へ、時間が輪になってグルグル回っている土地へ旅立つこと。だから、ここから1歩も動くことを意味しない「インドの旅」を、すでにボクらは始めてしまっているのだ。

 インドは「神秘と聖性の国」だと言う。またインドは「貧困と悲惨の国」だとも言う。
 だがそこが天国だとすれば、ボクらのいるここは地獄なのだろうか?
 そこを地獄と呼ぶならば、ここが天国なのだろうか?
 インドを旅するキミの心が、そこに幻視するのは「天国」だろうか、それとも「地獄」だろうか?

 インド、その自然は美しくも苛烈、人間は心暖かくまた強烈。
 インド・・・それは人間の森。木に触れないで森を抜けることができないように、人に出会わずにインドを旅することはできない。
 インドにはこういう喩えがある。

 ━━━深い森を歩く人がいるとしよう。その人が、木々のざわめきを、小鳥の語らいを心楽しく聞き、周りの自然に溶け込んだように自由に歩き回れば、そこで幸福な一日を過ごすだろう。
 だがその人が、たとえば毒蛇に出会うことばかりを恐れ、歩きながらも不安と憎しみの気持ちをまわりにふりまけば、それが蛇を刺激して呼び寄せる結果になり、まさに恐れていたように毒蛇にかまれることになる━━━


 さあ、旅立ちのとき、魂真っ裸のトリップを!
 謎めいた言葉で、インドはキミに呼びかけている・・・。
「さあ、いらっしゃい! わたしは実は、あなたなのだ」


「寒さと暑さと 飢えと餓えと
風と太陽の熱と アブと蛇と
これらすべてのものに打ち勝って
サイの角のようにただ独り歩め」


「ブッダの言葉」(スッタ・ニパータより)
中村 元 訳
岩波文庫

地球の歩き方インド編 ‘82~‘83年版


 とても旅行ガイドブックとは思えない濃厚な前書きだ。がしかし、これを読んでインドへの情熱を掻き立てられた若者は、自分の他にも日本全国に少なからずいたと思う。

80年代初期の日本は高度経済成長期真っ最中。その只中にあって当時出版されていた何冊ものインド旅行記から見えてくる異国の描写は、日本とは真逆の価値観と刺激的な極彩色に溢れていた。それは社会のうねりに押しつぶされそうになり、もがき苦しみ、周囲と価値観を共有できなかった若者たちにとって、救済と希望をもたらしてくれる憧れの地として目に映ったに違いない。

行く先々で出会う同世代の日本人バックパッカーは皆一様に、この『地球の歩き方』をバックに忍ばせていた。互いに情報を交換し合ったり、巻末にあったメモ欄に互いの連絡先を書き込んだりもした。

当時はまだ情報の精度が今一つで、役立つこともあれば、振り回されることも多々あった。巷で『地球の迷い方』と揶揄されたりもした。それはそれで旅のいい思い出作りに役に立ったのだから、一概に文句も言えまい。

だが旅の途中からは、『地球の歩き方』を手にする日本人同士が集まるような状況が苦手になり、記事に載っていない場所を探すための手引書という偏屈な使い方に取って代わった。


カジュラホ


 右往左往することもまた旅の醍醐味だ。現地人とのやり取りや、プロセスを切り開いていく勘が鍛えられた。ガイドブックは旅の基礎的な部分を構築してくれるが、当然のことながら現場では思わぬ出来事の連続である。

ある時、「ジャーンシー」という街から「カジュラホ」という小さな村まで、6時間はかかるというローカルバスに午後遅く乗り込んだ。カジュラホ村は8世紀頃に建てられた石造りのヒンドゥ教とジャイナ教寺院群があり、最も訪れてみたい場所の一つだった。
このルートは『地球の歩き方』に書かれていた情報だ。夜遅くまでには目的地に到着して、何とか宿を見つけられると目論んだ。

当時その路線では日本人旅行者が、よほど珍しかったのだろう。一番後ろの席に座った愚生を、前方に座った満員のインド人乗客全員が振り返ってじっと見つめてくる。こちらも負けじとじっと相手が目を逸らすまで見つめ返す。
眠り込んでいる場合ではない。とは言っても隙あらば物を奪おうと企むような悪人たちではなく、ただ見知らぬ外国人に対して好奇心旺盛な純粋な人々なのだ。それが乗っている間じゅうずっと繰り返された。


カジュラホ
Kandariya Mahadeva Temple


 バスはデカン高原の荒野をガタガタ激しく揺れながら走り続けること3時間、辺りがすっかり闇に包まれたところで、名前もわからぬ小さな町に立ち寄った。
広場で停車した途端、運転手がエンジンを切る。乗客も皆次々と降りてゆく。

何事かと運転手に聞くと、
「今日はここまでだ」と言う。
「はあ? そんなこと聞いていない」
「出発は明日朝6時だ、遅れるな」
「じゃあ、それまでどうすりゃいいんだ?」
「どこかホテルに泊まればいいだろ」

路線バスが途中で一泊するなどということや、小さな田舎町の宿情報など、『地球の歩き方』には載っていなかった。

バスを降りるや否や、そこに10歳位の男の子がニコニコしながら近づいてきた。

「ボクがホテル知っているよ、この街には一軒しかホテルはないんだ、案内してあげるよ」

子供だからと言って安心はできない。こういうのは明らかに怪しい客引きだ。安い値段で惹きつけておいて、入ってみるとこれでは誰も来ないよなと思うような酷い宿へ連れていかれることもあった。

「ふ~ん、そーなんだ、自分で探すからノーサンキューだ」

この「ノーサンキュー(いいえ結構です)」という言葉は、旅の間じゅういったいどれだけ繰り返したことか。バスを降りても、列車から外へ出ても、ホテルから外出した時も、街を歩いている時も、旅行者と見れば、すかさず客引き、物売り、リキシャの運転手、乞食が必ず寄ってくる。特に気のいい日本人はよくカモにされた。しまいには「ノーサンキュー」が口癖のようになった。

ぐるぐると暗い夜道を歩き続けて小一時間。どこにもホテルらしき看板はなく、疲れただけで結局バスを降りた広場まで戻ってくる。
すると先ほど声をかけてきた男の子がまだそこにいて、ニタニタ勝ち誇ったような笑みを浮かべながら再び近づいてきた。

「ほら言った通りでしょ、この街にはホテルが一軒しかないんだ」

中にはこうしたまともな怪しい客引き(⁈)との出会いもあったのだ。

「わかった、わかった、キミの勝ちだ、そこに連れていってくれ」

カジュラホ


 当時のインドでは、確かに天国なのか地獄なのか、訳がわからなくなるほどのカオスが、目と鼻の先まで怒涛のように押し寄せてきた。

果てしなく続く荒野の圧倒的静寂と嵐が駆け抜けるような雑踏の騒音。
巨大な御殿に住まう者たちと道端に落ちた残飯を野良犬と奪い合いながら貪り喰らう者たち。
朝晩の清涼な冷気と日中の殺人的な熱波。
夕暮れの通りを埋め尽くした自転車から聴こえてくる川のせせらぎのようなベルの音。
何を食べても美味いインド料理と突然乱入してきた野良牛に自分の食事を横取りされる屋台。
寺院にこだまする祈りの声と食堂の店主が乞食を追い払う声。
道端で火をおこし料理を作り赤子を産み育て眠りに就く母子。
崇高なる芸術的建造物の数々と街はずれの広大なスラム街。
安宿の部屋に一晩中充満する蚊の大群の羽音。
河岸に横たわる死者を火葬し遺灰を流しそのすぐ横で沐浴し洗濯しヨガをする人々。
深い絶望の眼差しとそれでも生き続けようとする難病患者たちの気概。

日本からはるばるやってきた青二才は、自分の軟弱さ、ちっぽけさ、傲慢さ、幼稚さを思い知らされ、打ちのめされた。

「丸裸の自分を知れ」
と悠久のインドは言った。

とその時、己の魂は分け隔てなく何もかも許容するインドという巨大なオーラに抱擁され、そして救われたのだ。



***




 話を元に戻そう。冒頭に書いた『地球の歩き方・北九州市編』についてだが、これがなかなか秀逸な情報が満載である。日帰りや数日間の旅にこれ一冊あれば、間違いなく楽しめる内容だ。

普段は絶対に行かない住宅地の片隅にある、天ぷらが人気の小売店とか、海峡を見渡すビルの上階にある外看板のないお洒落なカフェとか、知る人ぞ知るような情報まで事細かに書かれている。

北九州全域を網羅しているが、旅するならばどこかエリアを絞ってじっくり見てまわる方がいい。
おすすめなのは「門司港レトロ」エリア。
ここを中心にして移動半径を絞り、時間の余裕があれば、エリアを拡大するというプランである。


門司港レトロの夜



先日、このガイドブックの中にある小さな情報の一つで、家からさほど遠くない海沿いの漁港周辺を歩いた。ここには地元農水産物の直売所や公園、海水浴場、ヨットハーバーなどがある。旅行者向けではなく、地元住民のための憩いの場といった方がいいかもしれない。

ただ静かな時が流れていた。
昔の海外一人旅をしていた時のような新鮮な眼が蘇る。

どのような場所でも、意識の持ち方次第で常に新しい出会いが待っている。
海外でも国内でも、見慣れた地元の風景であっても、「今ここに自分の足で立っている」という自覚をもった途端、目の前に広がる光景はただ単に目の前にあるというだけではなく、突然風景と自分とが共鳴し、溶け合い、輝き始める。

「素の自分に戻りなさい」
とそのとき、静かな海は囁いた。


***



北九州市脇田港    及びその周辺





































































Embraceable You
Michael Feinstein



ありがとうございます



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