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食べるになる

今日も、公案の体験談。
「あなたが食べるになってください」
と言われて、無性にごはんを食べるって、こう言うことかー!!!
と思った


「あなたが食べるになってください」

食べるになってください。
と言われて、
食べるになってみる。

口の中にあるものの
歯ごたえ、大きさ
噛んでいるときに感じること
味、匂いなどなどに気持ちを向ける。


ポテトコロッケに、干し椎茸が入っていて
その干し椎茸の味が、じわっと口の中に広がって
ああ、椎茸って、おいしいな〜と思って食べていたら
香りが鼻にも抜けていって
「ああ、美味しい」ってなんだかじわんと思う。


味噌汁を飲んでいて、
豆腐って、こういう味だったなあ。と
こういう味だったっけ?と言うのと
両方思いながら、
やっぱりじわん。と美味しいと思う。


いままでこんなに食べることを
しっかり感じるって、なかったかもしれないなと思った。


料理をていねいにすると。


リトリートから帰ってきて
しっかり感じながら、買い物をして、
しっかり感じながら、料理をした。
 

こんなに、野菜を切るとか
炒めたりするときの音や、感じなどを
しっかり感じられるんだな。と言うことにびっくりする。
逆を言うと、今まで、そんなに感じなくて
ただ、作業のようにしていたってことなんだな。と気がつく。

料理を苦に思うタイプではない。
作るのが好きか、と言われると、好きかはわからないけれど
普通に日常に組み込まれているし
気分転換にもなるし
美味しいものを食べたいと思っている。


だけど、
野菜は、**型に切る。ちゃっちゃっちゃ
炒める→色がついたな。裏返すよー
はい次、調味料いれるよー

みたいな、ルーティンを淡々とこなす感じだったんだな、
と思った。

料理を作れることが、楽しいんじゃなくて
(実際、そんなにそれが楽しい、ウキウキはしない)
ちゃんと感じることが楽しいんだな。
感じてないから、作業になるんだな。と思ったのです。


ただ、流れ流ように日々を過ごすは
いろんなところに癖みたいにある。

一見ていねいに見える暮らしだからって
感じてなければ、ただのルーティン。

「ていねいに暮らす私が好き」
みたいな、“ガワ“に溺れることにしかならないんだな。

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