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食べるということ。

人は食べないと死ぬ。

人として存在したければ、
食べることは必だ。

いいとか、悪いとかじゃなく
存在したければ食べるしかない。

それは自然の生業であり、
評価を下すようなものではないのだ。

たとえば、呼吸。

良い呼吸法とやらはあったとしても
呼吸すること自体を悪と考える人はきっと、いない。

なのに。

私は食べることを
善悪でとらえていた。

私にとって
食べること自体が悪であり、
その度合いを少しでも軽くすることに
神経をすり減らしてきた。

どんだけ気を張ったところで、
食べる度にたまる、悪。

量を減らしたり、
食材の制限をしたり、
食べないという選択をしたりしたところで、
悪は容赦なくたまる。

だから、
食べることは苦痛だった。
生きてる限り付きまとってくる嫌なヤツだった。

この先もずっとこのまま?
体が食物を受け付けなくなる時まで、このまま?

それは嫌だと思う。
迷わず、思う。

なら、なんとかするしかない。

今までなんとなく避けてきたけれど、
変わりたいと思うなら
なんとかなるかもしれない。

よし、やろう。

とは言え、
私はどうなりたいんだ?
どこに向かって頑張ればいいんだ?

考えると見えてくる答え。

食べることから逃れられないなら、
少しでも苦痛を減らしたい。
楽しくはならないまでも
せめて、罪悪感はなくしたい。

なるほど。
じゃあ、どうしようか。

まず、
食べることは悪じゃないと思おう。

生きるために必なことなんだから。
息をするのと同じ、
生命を維持するための行為なのだから。

そして、
今何が食べたいのか、よく考えよう。

本当に欲する物を摂りこむ行為は
満足感が違うはずだから。

だがしかし、
これはなかなかの難問だぞ。

摂食障害を患って以来、
寛解した今でさえ、
自分の食べたいものが分からないんだから。

でも、難題だからこそ
それを食べた時の満足感は大きいんじゃないか?

がんばってみよう。

食事の度に考えるのは大変だけれど、
食べたいものが見つかるまで
ゆっくり考えよう。
自分と向き合ってみよう。

ここまで考えて、
ふと思う。

「食べる」ってことに対して、
こんなに考えちゃうのは私だけ?

みんなは
もっと自然に付き合えてるんだろか?

思うことはいろいろあるけれど、
これが私だから仕方ない。

もし、
自分の食べたいものが分かるようになったら、
人生の目標や夢、やりたいことも
分かるようになるかもしれないぞ。

自分の本音、心の声が分かる力。

ほしい。

そんな力が
おまけで付いてくるといいな。

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