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DETOURS STORY #5 Dankさん

10歳でSLEを発症したDankbarkeit さん(ドイツ語で「感謝の気持ち」という意味、ニックネーム:Dankさん)が思春期、学生生活、就職や結婚、現在に至るまでの過去の経験と当時の想い、そして今思うことをぎゅぎゅっと綴ったDETOURS STORYをご紹介させていただきます。


プロフィール

Dankbarkeit(Dank)と言います。現在は専業主婦をしています。
SLE自体は寛解状態で今の主な症状はループス腎炎と骨粗鬆症です。
一番大きな治療は中学3年生の時に3ヶ月ほど受けた透析と血漿交換です。SLEと直接的な因果関係はありませんが10年ほど前に子宮全摘をしていて、近々手の神経手術を行う予定です。

発症からSLEと診断されるまでの経緯を教えてください。

1988年の夏頃に顔や身体に赤い発疹や痣が出来て鼻血が止まらなくなりました。近くのかかりつけ医に行って採血をしたところ血小板が数千だったため大きな病院を紹介されました。緊急入院直後に骨髄穿刺の検査をし、初めは血小板減少性紫斑病との診断でした。
その後抗体検査の結果などからSLEの診断に至り、赤血球減少やループス腎炎の症状も出てきました。
発症年齢も低く、当時はまだ見つかりにくい病気だったと思うので早い段階で診断されたことは良かったと思います。

10歳という年齢での発症。思春期において特につらかったことは何ですか?

まずは大好きだった運動ができなくなったことや、ステロイド治療により見た目に大きな変化があったことが辛かったです。運動制限だけではなく直射日光を避けたり身体を冷やしてはいけなかったので皆と同じ行動ができなくなりました。入院中の過ごし方は音楽を聴くか本を読むくらいしかなかったので孤独を感じました。腎機能低下による食事制限はとても過酷で苦労して管理している母の姿を見ることが辛かったです。
学校の成績は入退院を繰り返していましたがそれほど悪くありませんでした。そんな中、中学3年生の1学期に校長先生から「出席日数が足りないのでこのままでは高校に進学できない」と言われました。
「学業の遅れを取り戻したいという思いから努力して、成績だけであれば高校受験するには充分可能なのにどうして?」というやるせない気持ちで一杯になりました。とても落ち込みましたが「病気だからといって私自身は何も変わっていない。絶対にこの悔しさをバネに生きていこう」と強く思いました。2学期からは自宅から離れた院内学級の別施設のようなところで生活しながら隣接している支援学校へ通いました。
高校受験の試験は保健室で受けました。母校を卒業することはできませんでしたが、担任の先生が配慮して卒業アルバムを自宅まで届けてくださいました。この先生は当時の私に一番寄り添ってくださった今でも大切な方です。

就職において直面された壁・困難はどのようなものでしたか?

就職氷河期と言われている時代で厳しい競争の真っ只中、スタートラインに立つことも難しかったです。
求人票に「心身共に健康であること」と条件があったり、病気のことを話すと「病気のある人を雇うところなんてない」と傷つく言葉を受けたこともありました。
病気のことを隠して働いていたこともありましたが、通院や身体的負担のこともあるので今は病名を伝えずともある程度病気への理解を得て仕事に就いた方がいいと思っています。

パートナーとご結婚に至った背景や、今の関係性を教えてください。

SLEになった時から病気の不安や子どもを持つことは難しいと言われていたこともありあまり結婚願望はありませんでした。
母も「結婚したら環境も大きく変わるし心理的なプレッシャーも増えるから大変だと思う」と心配していました。

夫とは、小児科時代にお世話になった先生のうちのお一人から「開院するから働いてみない?」とお声掛けを頂き、開院準備をしている時に出会いました。出会った時の印象が良くお付き合いできればいいなと思ったので、まず病気のことを話したところ、前の彼女がSLEで亡くなりその場に立ち会っていたことを知りました。
SLEについての理解があることで安心した一方で当然複雑な気持ちにもなりました。夫は彼女が亡くなってから鬱になりやっと回復しかけている時期でした。
私自身もまだ夫の部屋に彼女の写真があるのをうっかり見てしまい気落ちが不安定でした。徐々に些細なことでも衝突することが増えてきたので、交換日記のように使っていたノートにお互いが素直に言葉で伝えられないことを書くようにしました。

そんな中、夫が初めて私の主治医と会ってくれた日に書かれていたことを読んで驚きました。
そこには「この日までに彼女の遺品整理をして自分の想いも全て処分した」と綴られていました。話を聞くと、彼女のお母さんに話をして毎年のお墓参りも最後にしてきたこともわかりました。そういったそぶりを全く見せなかったけれど、夫なりに真剣に私のことを考えてくれているんだなと思いました。その他にも自分だけで両親に会いに行って話をしたり、自分の家族を説得したりしていることも知り、この人とならどんなことでも一緒に乗り越えていけるんじゃないかと思い結婚を決めました。
それに加えてお声掛けくださった先生と夫が親戚関係だという安心感もありました。

結婚後も紆余曲折ありましたが子宮全摘はとても大きな出来事でしたし、主治医から将来の腎代替療法についての話が出た時も先への不安を悲観して落ち込みました。
その時に夫から「仕事が見つからなかったり上手くいかないことがあっても俺がその分頑張るから二人で一つだと思えばいい。そのためにはなるべく笑っていて欲しい。それが頑張るためのモチベーションになるから。泣きたい時は思いっきり泣けばいいけど笑って過ごせる時間が増えるようにしよう」と言われました。
その言葉で「一人で何もかも背負うことはないんだ」と肩の力が抜けて「一度きりの人生、残りはもっと全力で楽しんで生きて行こう」と思いました。

SLE・ループス腎炎がある中での転機、考え方や視点が変わったきっかけはどのようなときでしたか?

病気になってから他人との間に壁を作ってしまっていたのですが、高校に入った頃から少しずつ変わりました。

どのように考え方や感じ方が変わりましたか?

気持ちを切り替えるためにも地元の子があまり行かない高校に通いたいなと思い、特進クラスを目指して無事合格しました。
当時公立校は住んでいる地域によって行ける高校が限られていましたが、少数枠に入れれば選択肢を広げることが可能だったのです。
担任の先生は毎年変わりましたがクラス替えはありませんでした。
3年間「病気のために制限があることを理解し配慮しながらも決して特別視しない」という環境の下、学校生活を送ることができました。今でも先生とクラスメイトに恵まれていたと思います。
実は私のクラスには耳の不自由な生徒がいました。彼女が助けを必要としている時に自然に手伝うクラスメイトや、必ず御礼を言って積極的に自分ができることを探していた彼女と過ごしたことで「誰かに頼ることは決して悪いことじゃない、自分も他人も大切にすることで何かが変わるかもしれない」と考えるようになりました。
ちょうどその頃は病状も悪いなりに安定してきて、ライブに行ったり友達と過ごす時間というそれまであまりできなかった人との交流や経験が増えたのも転機の一つだと思います。

その後メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンで夢を叶えた貴志真由子ちゃんとの出会いから「先の不安やできないことばかり考えるのではなく、できることを探して精一杯生きる」ことを学びました。
大学に入ってからはもっと新しい世界が見たいと思い海外にも行きました。やりたいことをどんどんやっていくことで自然と笑顔も増えていき、出会いや縁にも恵まれるようになったと思います。
その中で「人生の中には色々なことがあり、助け合いが必要なのは病気の時に限ることではなく、たまたま自分は病気があるだけなんだ」と気づかせて貰えました。無理をしすぎることでかえって周りに負担や迷惑をかけることも度々あったのですが、この気づきによって誰かに頼ることへのハードルが下がったと思います。

Dankさんご自身、noteで病気のことについて発信されていますが、どのような方に、何を伝えたいと思いますか?

SNSやnoteで病気のことを発信されている方の多くは、今直面している悩みを共有して情報交換できるようないわゆる「病気仲間」を求められていると思います。
私の場合、35年以上この病気と付き合ってきて今はすでに「病気は闘うものではなく共に歩んできた自分の一部」になっているので少し違う視点になっています。

SLEになってすぐは「難病」という言葉の重みで目の前が真っ暗になり、不安だらけの殻に閉じこもってしまいます。でも現在の医療では適切な治療を受ければ生存率は高いので、その先どうやって上手く付き合って生きていくかが大切だと思っています。
そのためには小さなことでもいいので楽しみや生きがいを見つけて、病気以外のことにも目を向けて上手く気持ちをコントロールしていかなければなりません。私自身もまだまだ模索中ですが、今までの経験も踏まえて病気と長く付き合っていくための考え方やヒントになるものを発信できればいいなと思っています。

今ご興味があること、今後やってみたいなと思うことがあれば教えてください。

今は少し停滞しているのですがドイツ語を勉強しているので、ドイツのSLE患者さんと交流したいです。そこから世界にも広がればもっと嬉しいです。
また自分の経験から、思春期に学校へ通えないことは勉強の遅れだけではなくその後の心や成長に大きく影響すると実感しています。
小児科から内科へ転科する時の不安もあったのでそういったあまり見えてこない部分のサポートもできればいいなと思っています。


今回インタビューにご協力いただいたDankさんのnoteのリンクはこちら

SLEのこと、ドイツ語、音楽、読書のことなど、Dankさんならではの視点で書かれている記事がたくさんあるので、ぜひ訪れてみて下さい!


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