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『ペンキ』(2) 人探し,レジェンド探偵の調査ファイル(全5回)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第二話】ペンキ

 あれから十年が過ぎた。最近の会長はなんとなく元気がない。さしたる用事もないのに「親父がちょっと来てくれってさ」と、子分から電話がかかる。  私もそのころには、親戚の伯父さんに会うくらいの心安さで「組事務所」に行けるようになっていた。  会長は、年齢の割には身長もあって、渋みのあるいい男である。かつては何度も修羅場を経験しただろうが、いまではそんな素振りも見せず、目を細めて話す姿は好々爺そのものだった。
 時は、彼らやくざにとって冬の時代で、暴対法の成立と共に、思うような活動ができず、特に若い衆はしのぎが難しくなっていた。一人、二人と子分が減り、事務所に電話当番すらいないこともあった。
 私はときどき思うことがある。やくざは概して短命である。なぜだろうと考えてみる。それは彼等の生き方に大きく関係するのではないだろうか。
 若いころから斬った張ったの世界である。規則正しい生活など望むべくもなく、縄張り争いで喧嘩ざたにでもなればそれこそ命の保障はない。仮に喧嘩に勝っても、運が悪ければ刑務所行きとなる。
 まさに、命を削って生きて行かなければならないのだ。
その日の会長は、心なしかいちだんとしょんぼりして見えた。広い会長室の大きな机の前に座り、それでもジッと見据えられると怖くなる目で私を見て、
「最近、ある女の夢をよく見るんだよ。俺が銀座で与太っていたころのことだけど、ちょっとの間暮らしたことがあるんだが、いま、どうしているのかな」
 と言う。
 私は黙って聞いていた。会長は話しながら遠くを見るような目をし、その後、机の中をごそごそと何やら探していた。やがて、「ああ、これだ」と言いながら一枚の写真を取り出し、私の座っているソファにくると「こいつだ」と乱暴な口ぶりでその写真を見せた。
 私は「拝見します」と言い、セピア色に変色したその写真を見た。そこには会長の若かりしころの勇姿があった。たぶん当然の流行だったのだろう。トレンチコートにハットをかぶり、映画「カサブランカ」に出てくるボギーに勝るとも劣らないほど渋く、いなせな男が写っていた。
 私は、「うわぁ、ハンサムだったんですねぇ」と大袈裟に褒め、横に写っている女性についても、「美人ですね」と、思ったとおりの感想を言った。
 褒められて怒る人はいない。会長も嬉しそうな顔をして、「俺もこの頃は悪くて、この女にずいぶんひどいことをした」などと、感慨深げに言う。
 住む世界の違う私には想像もつかないが、闇の世界でここまでのし上がった人である。さぞかし女にモテただろうし、それを妬いた理でもしたら、怒って暴力をふるったかもしれない。あるいは彼女の稼ぎを巻き上げ、博打に走ったことだってあるだろう。
 いま私の前に座り、人のよさそうな顔でニコニコ話す老人とは全く異質の、冷徹で野獣のような若いやくざがいたはずである。
 会長は最近になってこの女性の夢を何度か見て、何となく気がかりだという。三十年以上前のことである。間違ってもいまさらよりを戻そうとかいう、軽いノリの話ではないことくらい私にもわかる。
 会長の感情は、「功」成り、「名」を遂げた人に共通する「郷愁」ではなかろうかと思った。人という生き物は、時に自身が抑制できない、不思議な感情に襲われるものらしい。
 まだ当時、四十歳そこそこの私には、とうていすべてを理解することはできなかったが、ほんの少し、会長のノスタルジックに共感した。
「探せるか?」と会長。私は「ぜひやらせてください」と二つ返事でこの依頼を引き受け、翌日からさっそく調査に入った。
 写真の女性は、小夜子という。手がかりは会長の記憶だけだった。
 それでも会長は呻吟しながら思い出を辿り、三十数年前、銀座の、いまはない高級クラブのホステスだったこと、生家は島根の石見銀山の近くで、江戸時代から続く大きな造り酒屋だったことを思い出した。小夜子を探すのに役立ちそうな情報はこれくらいである。
「そうそう、オレと別れた後、アメリカ人と結婚したらしくてな。何年かあっちに行っていたという噂を聞いたことがある。だけど、その男とはまもなく別れたらしく、日本に帰ってきて、青山辺りの英会話学校の先生をやっていたらしいんだが……」
 その顔は斬った張ったのヤクザな世界に生きた男とは思えないほどしんみりしている。銀座で売り出し中の若いヤクザと高級クラブの美人ホステスにどんな愛憎ドラマがあったのか、私は、会長にそれ以上聞けず、新田裏の事務所を後にした。

(3)前半につづく

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