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『盗聴(みみ)』(5)  レジェンド探偵の調査ファイル(連載)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第七話】盗聴(みみ)

5(前半)

 被調査人、明子の素行調査は依頼の翌々日から開始した。
 マルヒが浮気をするとすれば、夫が会社に行っている間だろうと考え、依頼人とも打ち合わせのうえで、午前十時から自宅前で張り込むことにした。
 不倫相手から呼び出されたら、たぶん車で出掛けるだろう。こう予想して、車の所有者である依頼人に頼み、奥さんがいつも乗っているベンツに尾行用の追跡装置も取り付けてもらった。この追跡装置は百円ライターほどの大きさで、装置から発信された電波を捕捉すれば、リアルタイムでその車両の位置を確認できる。万が一、渋滞などでマルヒの車を見失っても、すぐに追いつけるというわけである。
 調査はこんな最新のハイテク機器を使って万全を期したものの、主婦の場合、行動の予測が難しい一面がある。これまで調査した主婦不倫のケースでも、普段着で近所のスーパーに行ったので買い物だろうと思っていたら、キャベツや大根が入ったビニール袋を持ったまま男性とホテルに直行したケースもあった。
 調査第一日目の木曜日、マルヒは昼過ぎまで家にいた。十二時ごろ、報告してきた調査員に「変わった様子はないか?」と尋ねると、「いえ、特にありません。窓に猫がいるだけです」と答える。
 マルヒが家から出てきたのは昼の一時四分だった。トレーナーを着て、髪を後ろで束ね、ターバンのようなものをかぶっている。歩いて最寄りの井の頭線A駅に行くと、駅前の薬局で買い物を済ませてすぐ帰宅した。
 それから一時間半後、今度はきちんとした身なりで、大きめのバッグを持って家を出た。A駅まで歩き、渋谷行きの各駅停車に乗って渋谷駅で下車。道玄坂の途中にある喫茶店に入った。
 調査員が少し遅れて店に入ると、同年代の女性と楽しそうにおしゃべりしているだけで、男はいない。二人は一時間ぐらいで喫茶店から出て、渋谷駅南口改札付近で別れた。マルヒはこのあと駅構内にあるTストアーのめがね売り場でサングラスを買い、食料品売り場で買い物をして帰宅した。
 夕方六時半、この日はこれ以上特別な動きはないものと判断し、依頼人に調査を終了する旨を報告して、調査員は張り込み現場を離れた。
 この尾行調査の担当員が、依頼人に「本日は男性との接触もなく、特に不審な点はありませんでした」と報告すると、依頼人は独り言のように「ああ、それは良かった」と言ったという。
 私はこれを聞いてちょっと首を傾げた。大方の場合、依頼人は調査対象(妻や夫)がたぶん浮気をしているはずだと思って探偵社に調査を依頼する。このケースでは「男と会ってホテルに入った」という結果が出れば、自分の思い過ごしではないことがわかり、次の段階——離婚を前提とした話し合いや夫婦関係の修復に移行できる。当然、費用という面でも、一日でも早く結果が出たほうが負担も小さい。依頼人の吉村氏は、心のどこかに「妻は浮気していない」という期待を抱いているのだろうか? それほど妻を愛しているということだろうか?
 もし私が依頼人で、「今日は、奥さんは男と会ってません」と報告されたら、果たしてどう思うだろうか。吉村氏は、定期健診でガンの疑いがあると言われ、「いや、そんなことはない」と詳しい検査を受けるような気持ちでうちの事務所に頼んだのだろうか? だが、依頼人がどんな気持ちで調査を頼んだかは、私たちに探偵にとっては関係がない。私はこれ以上依頼人の気持ちを詮索するのをやめた。

 調査二日目も、午前十時からマルヒの自宅前で張り込んだ。
 黒ずくめのシックないでたちで、靴やバッグ、帽子まで同系色にまとめ、化粧も念入りにしたマルヒが玄関先に現れたのは、調査員らが現場についてすぐの十時三分だった。
 A駅から渋谷行き電車に乗ると、明大前駅で下車。ここで乗り換えて、新宿駅に。サブナードを抜けOデパートに行くと、一階のスポーツ用品売り場でゴルフウエアを二、三枚購入した。
 デパートを出ると、新宿三丁目方面に歩き、Iデパートから歩いて一分ぐらいのところにある高級喫茶店に入った。
 少し遅れて調査員が店に入ると、マルヒは四十代前半と思われる男性と親しそうに話していた。ときどきテーブルの上に置いた手を重ね、ひと目でただならぬ関係とわかる雰囲気だった。
 男は身長百七十センチくらいで、中肉ながら筋肉質でがっしりとした体型。朝黒い顔のスポーツマンタプである。調査日は金曜日だから、普通のサラリーマンではないだろう。
 一時間ほどして店を出た二人は、近くのビルにある中華レストランに入った。食事が終わると、マルヒが食事代を払い、歩いて新宿駅南口まで行くと、改札口で二、三言葉を交わしてあっさり別れた。調査員の報告によると「別れ際、男性がマルヒの腰に手を回し、抱き寄せるような仕草をした」という。
 マルヒは駅で男と別れると、Kデパートの地下食品売り場で食材を購入し帰宅した。帰宅時間は三時四十五分である。五時半に依頼人に連絡し、この日の調査を終えた。

(6)につづく

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