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『盗聴(みみ)』(8)  レジェンド探偵の調査ファイル(連載)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第七話】盗聴(みみ)

 この日の調査で、マルヒが不倫をしていることは、さらに明確となった。
 ただし、昨今の法律事情や離婚裁判の判例では、ラブホテルで密会した場合は肉体関係があったとされるが、このケースのように一般住居における密会は、当人たちが肉体関係を否定すると裁判に負けてしまうケースもままある。「ええ、確かに彼の家に行きました。けれど、話をしていただけで、変なことは何もしていません」と言われればそれまでなのである。安易に損害賠償の請求をしようものなら、逆に名誉毀損で反訴されかねない。
 翌日、依頼人と会い、奥さんが不倫相手のマンションに行ったことを報告し、私の考えを述べた。これで三回目の打ち合わせとあって、依頼人も私の人となりをある程度信用してくれたのだろう。
「一回、二回、彼のマンションで過ごしたくらいでは、裁判のときの証拠能力として弱い。五回、十回とマンションを訪れる回数が多いほど裁判になったとき有利になるので、あと何度か尾行調査を続けましょう」
 と言う私に、依頼人も、
「妻はもちろん、相手の男にも賠償請求するつもりです。裁判で負けることがないよう徹底的に調査してください」
 と言った。
 探偵社で素行調査などを頼むと、一般の人が想像する以上に費用がかかる。ちなみに、私の事務所では、尾行調査などは基本料金(一日五万円)+時間料金(一時間一万五千円)×調査所要時間が基本で、これに調査実費(交通費や宿泊費、車両使用料など)がかかる。また、不倫相手の身元を詳しく調べるため、住民票などの公簿を取得するときは、依頼人から弁護士事務所に依頼してもらわなければならない。むろん、この弁護士に対する費用も依頼人が支払うことになる。
 例えば、夕方五時から深夜十二時まで七時間の尾行調査をする場合、最低でも十五万五千円かかり、これに調査実費や消費税が加わる。私は調査を受件すると、調査員に「調査は迅速にやり、なるべく早くマルヒの動かぬ証拠を掴むようにしろ」と命じる。これは、依頼人に余計な費用をかけさせたくないからだ。
 このケースでは依頼人が「裁判に勝てる調査」を強く望んだこともあり、それから、十数日、マルヒの尾行調査を続けた。このプロセスでマルヒの浮気のパターンもある程度わかった。下北沢のマンションに行くのは、三日に一度ぐらいで、その都度、二、三時間ぐらい男と過ごす。ある時は五時間余りも男性の部屋で過ごしたことがあったが、マルヒがマンションに出入りするところや二人が手をつないで下北沢周辺をそぞろ歩く写真も膨大な量になった。

 こんな尾行調査と並行して、男性の身辺調査も行った。
 浮気相手は、最初に依頼人が推察した通り笹木という名前で、ゴルフ練習場で組織しているクラブ会員のひとりだった。昭和三十七年生まれで、マルヒより四歳年下の四十一歳。愛知県出身で、父親は某大手企業の部長職を最後に退職して、地元で悠々自適に暮らしている。地元にはサラリーマンの弟がいて、すでに結婚していた。笹木自身は、東京の私大を卒業後、アパレル会社に就職したのだが、ここにすぐ辞め、一時期、アメリカのロスアンゼルスで生活した。そのころ、日本の不動産会社の現地出張所に勤務していたのだが、「仕事は日本から来た社長のご接待役」だったという。
 ゴルフはアメリカで覚えたのだが、まだ二十歳だった笹木はゴルフの腕前もめきめき上達し、本業の仕事はほったらかしで賭けゴルフをする自堕落な生活を送っていたようだ。
 日本に帰国したのは三十歳を過ぎたころだった。帰国後は、ゴルフ練習場で物色したカモを相手に賭ゴルフで生活していたのだが、金がある人妻や女性実業家などに近寄っては金をせびることもあったようだ。実際、調査の過程で、笹木のもうひとりの愛人の存在も判明した。マルヒと同じようにHクラブの常連客で、マルヒより少し年上の人妻だった。この女性が、スーパーで食材を買って、笹木のマンションを訪れる姿も幾度となく目撃された。
 真面目な読者はこんな男は唾棄すべきヤツと思われるだろうが、私は笹木の調査報告書を読みながら「いい身分だな」とちょっぴり羨ましくなった。キチンとした仕事もせず、女の稼ぎで生きる。いわゆる「ヒモ」というわけだが、この言葉が持つ何となく隠微な響きに少しでも共感する私は、今流行の言葉を使えばチョイ悪中年なのかもしれない。

 依頼人の妻と、その不倫相手である笹木の調査が進むにしたがい、依頼人の怒りもどんどん大きくなった。
「こんな不貞を働いた妻とは絶対離婚します。財産分与なんかトンでもない。岳父と共同で建てたいまの家も、私の名義分を第三者に売却するつもりです。不倫相手である笹木には数千万円の慰謝料を請求し、一生かけて償いをさせてやりたい」
 エリート商社マンは、報告書を見てこう息巻くのだが、その気持ちは私にも痛いほどわかった。
 依頼人が奥さんの古い手帳を引っ張り出して調べたところ、妻と笹木は七、八年前から関係していた可能性があるという。
「私も忘れていたのですが、私が赴任して二、三年したころ、妻が通っていたゴルフ練習場が主催して、アメリカでゴルフコンペが行われたことがあったのです。妻と久しぶりに会えるということで、私もそのコンペ会場に駆けつけたのですが、妻は一日だけお義理のように私のところに泊まり、あとはホテルに宿泊したんです。当時の手帳を調べると、このときも笹木が一緒に来ていました。ゴルフは私が教えてやったのに、それを不倫のキッカケにするなんて……絶対許せません」
 聞けば、依頼人は、彼が三十歳のとき、新入社員として入社した奥さんに一目惚れして、頼み込むようにしてやっと結婚にこぎ着けた相手だったという。奥さんを愛し信頼していただけに、裏切られたダメージも大きかったのだろう。
 私はこんな依頼人の気持ちを充分察したうえで、あるとき、こう言ったことがあった。
「貴方のお怒りは私にもよくわかります。私も男のはしくれだから、相手の男をぶん殴りたいと思うでしょう。まあしかし、それをやったら、逆に罪になる。だから笹木に対して、思いっきり慰謝料を請求することを考えていると思います。でもねえ……これは怒らないで聞いてもらいたいのですが、奥さんのことをいっぺんだけ許してやったらどうでしょうか。別れるのは簡単ですが、人間だから過ちを犯すこともあるんじゃないでしょうか? 奥さんを許して、添い遂げるっていうのも価値があることだと思うんですが」
 なるべくやんわり言ったつもりなのだが、依頼人は、私が何を言っているのかさっぱりわからないという顔で、
「とんでもない。何年も亭主をないがしろにして、他の男に抱かれた女を許せるものか」
 と、顔を真っ赤にして怒ったのである。

(9)につづく

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