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『漁火(いさりび)』(1) レジェンド探偵の調査ファイル,内定調査(連載)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第一話】漁火(いさりび)

1 前半

 午前九時十五分、羽田発青森行きのANA401便は定刻通り青森空港に到着した。天候は良く、飛行中はさして揺れることもなかったが、飛行機が苦手な私は、ほーっと大きく息を吐いてタラップを下りた。
 三月も半ばだというのに、空港は白い雪が残っている。東京は新緑が芽吹く季節なのに、飛行機で一時間飛ぶとまだ残雪がある。日本列島が南北に長いことを改めて実感する。
 空港近くのレンタカー屋で、事前に予約してあった車を借りて青森市内に向けてアクセルを踏む。雪解けが始まった道路は泥でひどくぬかるんでいるが、レンタカーは雪道対応のスタッドレスタイヤが装着してあるため、ハンドルを取られることもなくスムーズに走行することができた。一時間ほど走ると青森市内に入った。市役所を右折して国道四号線に入り、浅虫温泉、野辺地と抜け、下北半島の中心部であるむつ市に着いたのは午後二時過ぎであった。目的地である下北半島の太平洋に面したA村へは、ここからさらに二時間である。
 太陽も西に傾いた午後四時過ぎ、漁業が村の主産業であるA村に着いた。村の中心であるS港に行くと、潮の香りがぷんとする。私が訪れた時期はマスやヒラメ漁の最盛期だったが、港は漁から帰った船が積み荷を下ろし終えてひっそりとしている。
 車から降りて港のすぐ近くにある砂浜を歩くと、夕闇が迫った早春の海辺にザザー、ザザーッという静かな波音がしている。その波音を聞きながら、私はふと故郷の山口県豊浦町(現下関市)を思い出した。私が育った豊浦町の家は海辺までは歩いて一分もかからないところにあり、潮騒が子守唄代わりだったのである。本州の北端と西端の違いはあるが、波音と潮の香り、そして目の前に広がる海は変わらない。
(そういえば、伯母さんが死んでもう十一年か。早いな……)
 まだ一歳だった私を成人するまで育ててくれた養母の顔を思い浮かべ、しばらく湿った感慨に浸っていた私は、足下の小石をポンと蹴ると港に停めてあった車に乗り込み、港から車で三、四分のところにある民宿に向かった。
 この漁村に一軒しかない民宿〈はまゆう〉は堤防から道を一本隔てたところにある海に面した宿だった。宿に着くと、人の良さそうなおかみさんがほつれた髪をかき分けながら出てきた。
「いらっしゃいませ。お待ちしてました。道に迷いませんでしたか?」
「いえ、すぐ分かりました」
「ああ、それは良かった。えーと、とりあえず二日ほど撮影の仕事でお泊りですよね?部屋はご用意してありますので、どうぞこちらに」
 私が北国の小さな漁村を訪れたのは、むろん撮影の仕事ではない。この港の近くに住む被調査人の駒田某を調べるのが目的だった。当然ながら今回の調査もマルヒ(被調査人)に知られてはならない内偵調査だったので、私は風景写真専門のカメラマンと言うことでこの宿を予約していたのである。
 部屋に荷物を置いた私は、夕食前に付近の地理を確認するため、レンタカーで辺りを一回りすることにした。港と海を一望できる村はずれの峠で車を停めて外に出ると、松の梢を揺らす風はさすがにまだ冷たく、海はもう黒い闇の中に沈んでいた。海を透かし見ると沖にポツンポツンと灯りが見える。漁火である。
 沖に揺らめく漁火を見ながら、私は再び養母のきぬ子のことを思い出していた。私がまだ小学生だったころ、浜に並んで座った彼女は私の頭を撫でながら、
「あれは漁火といってね、漁船が魚を集めるために灯している明かりなんだよ」
と教えてくれたのである。
 あれはイカ釣りの漁火だったのだろうか。沖に見える赤っぽい灯を指し示す指は、月明かりに照らされて細く白かった。
 北国の暗い海にまたたく漁火を見ながら、私は久しぶりに豊浦町の海に面した家で伯母と暮らした少年時代を思い出していた。

(2)につづく

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