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異性のジャッジ

仕事ができるからモラハラはしょうがない
綺麗だから性格が悪い
儲かっている経営者は家事をしない
等々、自分の経験の眼鏡を通して異性を見ていることはないでしょうか。

浮気をしている人や、浮気をされた依頼者さんと話をしていると、○○は××という固定概念を持っている方が多いと感じます。

特に、今後新しい異性を見つける人にとっては非常にもったいないことですよね。
僕もある種「パターン」をよく人に当てはめて言葉を選ぶので、そういったバイアス的なものにかかっているのかもしれません。
もしかしたら、○○は××というのではなくて、○○で○○というポジティブな両面を持っている可能性もあります。
その部分を見ずに自分フィルターで相手を判断してしまうと、せっかく仲良くなれるはずだった人を避けてしまったり、はたまたトラブルになってしまったりするかもしれません。

ただ最近思うのは、異性を見る時にこういったバイアスが発動するのならまだ「もったいない」で済むのですが、
僕が恐ろしいと感じたのは、「自分」を経験で縛ってしまうことです。
例えば、20年前の学生時代にモテていたからと言って20年前と同じ感覚で異性の学生に話すのはちょっと危ないですし、
過去に「会社であれだけの賞をとっていた自分」は、転職したら関係なく、人に見られるのはその肩書ではなく「今の自分」です。
このように、「今までの自分はこうだった」だから自分は○○。というのが怖いなと思いました。

それが原因でトラブルになったり、なにかしらで損をするのはまだマシです。
本当に怖いのは「過去の自分に憑りつかれている人」は裸の王様になってしまう、ということです。
その状態になると、人からの指摘もなく、自分でギャップに気づくわけでもなく、ただそのギャップを抱え進んでしまう。
最終的に知らぬうちに人から避けられ、孤独に溺れる。
人が老いていく原因の1つに「孤独」があります。孤独の沼に落ちてから不思議がる前に、定期的に自分を見つめなおすことが大切だと思います。

最近、立て続けにそういった人の話を聞きましたので、自分への戒めに書いてみました。
なんか書いていると怖くなってきますね!(笑)
僕も気を付けます!

ありがとうございます!!これからも精進して参ります(^^)/