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企業人失格

2017年4月、僕は約5年勤めた会社を辞めた。
あれからずいぶん経ったが、自分がなぜ会社を辞めたのかをなんとなく最近見つめ直している。
僕のような、どうしても辞めなければもうダメになっていた、という人も多いんじゃなかな?

そもそも僕は仕事をコロコロと変えてきた。雑誌編集者、国連職員、ガリガリの営業、そして前職では不動産。表向きの職業は変わっても、自分の中では常にあるルールがあり、それに則って生きてきているつもりではある。それぞれの転機はまた別の機会に色々と書ければと思うのだけど、今回は前職の退職について、だ。

企業の中で生き抜くには、それ相当のスキルが必要ということが心底わかった。そもそも入社当初はまだ少ない人数で進めていた新事業を担当させてもらった。不動産というのは、その土地に根ざしてビジネスをしているという点では地場産業だ。それは強みでもあり弱みでもある。根本的にそのエリアの経済などの外部要因に左右されてしまうことは如何ともしがたい。最も脅威と言えるのが少子高齢化だろう。これに対して、具体的な解決策がない限り、地場産業である「従来の」不動産業の将来はシュリンクして行くしかないように見える。

そんな中立ち上げられた新規事業。それが海外不動産だった。今でこそ、様々な不動産企業やデベロッパーが海外に進出しているが、仲介という立場で海外に進出したのはかなり先見の明がある企業だった。担当していた同僚たちも、ほぼみんな外部からのメンバーで、根底に日本不動産産業の未来への不安もしっかりと共有されていてモチベーションもかなり高かった。

僕はそれまでかなり小さな会社ばかりを転々として来たので、働き方の癖として自分で何から何までやらないと気が済まないという所があった。「営業」や「マーケティング」と言った枠内だけで仕事をするということ自体、やったことがなかった。まさにこの新規事業では、実際に物件を売るに当たって必要な契約書から、それをどのように管理するのか、どのように決済まで持って行くのか、どのように売った物件を管理するのか、何も決まっていない状態であり、自分としてはとてもやりがいのある楽しい現場だった。

しかしながら、企業は拡大して行くものである。ほぼ業務的なルールがないところからのスタートだったため、細々としたルーティーンを一つひとつ決めては回しながら進めなくてはならない反面、とてつもないスピードでビジネス自体は拡大して行く。実際に自分一人でどうやっても追いつかないところもどんどん出て来た。そこで必要になってくるのが組織力。そして僕ははっきり言って、この組織力というものが全くわかっていなかったのだ。

ビジネスが大きくると、より多くのインプットが必要になる。単純明快だ。でも、僕は人や資金と言ったインプットをどこから持って来ればいいのか、ということを完全に勘違いしていた。そもそも「サラリーマン」という本質をあまり理解していなかったと言った方がいいかもしれない。

サラリーマンの本質とは、会社との契約により自分の時間を売っているわけだ。そのために勤務時間というものがあり、オフィスがあり、職務がある。そしてその対価に給料をもらっているわけだ。当たり前って言えば当たり前。多くの人は、知ってか知らずか、それをきちんとこなしているわけだ。そもそも自分はそこにずっと違和感があったのだが、具体的にその違和感は何に対してなのかってことがよくわかっていなかった。

では僕がどう勘違いしていたかというと、こうだ。自分の給料は、会社からではなく、お客様からいただいている、と。経営者でもなく、役員でもない単なるサラリーマンがこんなことを思ってしまうと、かなりイタイのだ。しかもある程度大きな組織になってくるとさらにそうだ。そりゃそうだ。自分が契約をしている相手は会社なのだから、自分がやりたくない仕事を会社から言われれば、それはやるのが当たり前。だってそのために会社は給料払ってるんだから。考えれば単純なのに、それが全くわかっていなくて、意味なく不満やストレスを覚えていた。

そういう意味では身分不相応なくらい高い職位をいただいていたため、新規事業をある程度組織として動かさなくてはならない立場だった。そんな立場の人間が、ここをきちんと理解していないと、企業の中での論理からずれまくってしまい、余計に意味のわからないストレスを抱え込んでしまうのだ。幸い、社長をはじめ色々な方から方向修正を示唆されて来た。特に覚えているのは、ある役員から「そんなんだったら辞めて自分で会社やれ」と言われたこと。その時は、何言ってるんだこと人は、こっちは必死にお客様のために頑張ってるのにって怒りさえ覚えてた。でも今になってようやく、組織として人を動かすために必死になって僕に思いを告げてくれていたことに気づく。

会社にいくら希望を言っても、人を増やすことも、ビジネスの細かいルールだって変えることができない。そりゃそうだ、だって企業という組織がどのような論理で、どうやって動いているか、根本的に理解していなかった。根回しなんか糞食らえ!とさえ思っていた。今思えば、僕のような存在がどんなにあの新規ビジネスにとって邪魔だっただろうと思う。そんな中で、よく社長や役員がたがきちんと接してくれていたなと感謝が絶えない。

そして転機となったのは長期のハワイ出張だ。日本で毎日オフィスに通っていると、自分の想像力だけではなかなか気がつかないことが多々あり、このハワイ出張は物理的にも精神的にも日本オフィスと離れたことで良くも悪くも企業というホモソサイエティで生き抜くということについてよくよく考えさせられた。時同じくして当の海外不動産というビジネスはさらなる拡大の一途で、ハワイのみならずシンガポールや香港などへと破竹の勢いで展開していた。そんな中で新しく外部から入ってくる企業人たち。大手企業で鍛え抜かれて来たプロたちだ。彼らの立ち居振る舞いは一貫していた。今でも覚えている言葉に、「仕事は上下左右を見ながらしなさい」ということ。まぁ、上下っていうのはわかるけど、左右ってなんだよ!って思っていたが、企業の中で物事を動かすには確かにこの左右というのが大切なのだ。どんなにお客様にとって良いことでも、それを進めるには会社内の理解が必要。それは上層部も、部下も、他部所もしっかりと理解をしてもらうことが大事なのだ。そんな視点なんて持ち合わせていなかった勘違いな僕は、上下左右もなく、顧客についてしか考えていなかった。

プロ企業人たちと接する。それはそんな僕に、企業人としていかに不適切かを思い知らせてくれた。いわば、企業人失格をまざまざと言い渡されたのだ。正直、自分にはこの上下左右を見て仕事をするという能力がない。つまり、組織を動かせない。完全にその能力が欠落しているのである。そんなタイプの人間が企業内で生き残るには、それ相応の職位と職務で、不満を飲み込んで自分はここまでと納得させて与えられた立場を全うするしかない。いや、自分には少なくともそう思えた。それはそれで幸せな道だったかもしれない。だけども、自分はそれは選べなかった。家族もいるのに。何故か?

残念ながら、僕はそこまで頭が良くないんだろうな。きちんと自分を納得させて、幸せな道を選ぶ、その能力もなかった。企業人として成長するか、自分の立場を見極めてそこで生き残るか、どちらも選べなかった。つまり、逃げ出したわけだ。

もちろん、もっと直接お客様のためになることをしたい、と言う欲求はあった。だけども、会社を辞めると言う膨大なエネルギーの源はといえば、むしろ僕の場合はこのマイナスのエネルギーの方が大きかった。逃げ出したのだ。

企業人失格を言い渡されて、人生の選択を迫られた。そこで選んだのが逃げ出すと言うことだった。
人それぞれ、ビジネスを始める動機はあるはず。その多くはプラスに向かうエネルギーであり、素晴らしいこと。だけども、僕の場合はマイナスからのスタートであり、そんな中でも生き抜くために自分ができることを見つめ直して、それを再構築して再出発すると言う作業が起業だった。そもそも企業で生き抜く能力がないんだから、自分でやるしかないのだ。

そう思うようになったら気が楽になり、本当に自分がやりたいことってなんなのか、その作業を否応なしにやらなくてはならなくなった。自分を見つめ直すことは確かにとても大切であると同時に、怖いことだ。でも、僕は今、それが見つかった。と言うか、もともと持っているんだが、再発見できた。そして少なくとも、企業人として生きていけないんだと言うことがわかったので、これからはどんどん自分でビジネスを始めてやる。そう思ったのが2017年と言うわけだ。あぁ、もっと早く分かってればよかったなと思わなくもないが、それだけ回り道をして来た分、いろんな視点があるのでそれを武器に。結局は自分の過去を武器に、これから未来に切り込んでいくしかないのだ。


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