「極東の将来」講演にみるラフカディオ・ハーンの日本観 〜小泉八雲旧居にて〜
こんにちは。先日、歯科通院の帰りに以前から気になっていた小泉八雲旧居を見学してきました!小泉八雲とはラフカディオ・ハーンの日本名です。ラフカディオ・ハーンの著作と言えば、一番に『怪談』を思い浮かべる方が多いと思います。特に、「耳なし芳一」「ろくろ首」「雪女」は有名ですよね。
私もラフカディオ・ハーンについては、熊本に一時期滞在していた『怪談』を書いた日本通の外国人くらいの知識しか無かったのですが、小泉八雲旧居に展示してある資料やパネルを読んで、ハーンさんの人間的魅力や日本愛溢れる作品・エピソードに触れて、有意義な時間を過ごす事が出来ました。中でも「極東の将来」という講演内容の抜粋パネルにひときわ感銘を受けましたので、今回はその内容を中心にご紹介したいと思います。
ラフカディオ・ハーンについて
ラフカディオ・ハーンは1850年、アイルランド系イギリス人とギリシア人の母の間に生まれ、1869年に移民船で渡米しました。1890年(明治23年)ニューヨーク、ハーパー社の記者として来日し、後に松江(島根県尋常中学校)の英語教師となりました。1891年(明治24年)松江で結婚したセツ夫人とともに、第五高等学校(現熊本大学)英語教師として来熊し、3年間を熊本で過ごします。
ハーンは日本の文化に魅了され、日本の伝統的な生活様式を尊重し、自身の生活にも取り入れました。例えば家の中に神棚を作らせ、仕事に出かける前に柏手を打ち、人力車に乗って大学に通いました。日本の伝統的な生活様式を大切に思うハーンは、西洋文化を急いで移入しようとする近代日本の姿に悲しみを覚えていました。
熊本滞在中に、ハーンは日本における文豪の地位を確立しました。ハーン一家は熊本に3年間滞在した後神戸に移り、再びジャーナリストの職につきました。1896年(明治29年)日本に帰化し、小泉八雲と名乗ります。東京帝国大学で英文学の講師を務めた後、1904年(明治37年)早稲田大学英文科の教員となりましたが、その年の9月に心臓発作のためこの世を去りました。
『極東の将来』
"The future of the far east" (抜粋)
以下は、熊本滞在中の1894(明治27)年1月27日、ハーンが第五高等学校で行った講演「極東の将来」の言葉を抜粋したパネルからの引用です。講演の行われた明治 27年は日清戦争が勃発した年でした。日本は欧米列強に追いつけ追い越せの富国強兵政策を推し進めていた時代です。
※講演中の九州スピリット・熊本スピリットは、恐らくハーンさんが熊本で講演したためにそう呼んだもので、九州・熊本に限らず、当然日本全体に当てはまる美徳(だった)と考えます。
あとがき
ハーン先生のお言葉、ジャーナリストらしい洞察と示唆に富んだ提言ですよね。100年以上前のものですが現代にますます重みを持って心に刺さります。最近リモートワークも増えて、一日中PCに向かい、エネルギーを使いたいだけ使って、殆ど動かない日も多い今日この頃。この生活をずっと続けていたらヤバいんじゃないかという生物としての本能的な危機感のようなものを感じていますが、その原因と解をハーン先生にピシャリと言い当てられた気がしました。文字通りもう少し地に足のついた自然に近い生活にシフトしていきたいなと思いますが、とはいえ、どっぷり便利な生活に浸っている今の生活様式を簡易、善良、素朴なものに変えるのは並大抵ではありません💧取り敢えず、プランター栽培から始めてみようかなと思います🌱😅
因みに、リンクは貼れないのですが、熊本国府高等学校のホームページで「極東の将来」講演の全文を読むことができます。(日本語訳)西洋の人口爆発に触れ、あらゆる進歩の原動力は餓えであると解かれています。また、鋭い洞察力で世界の各地域の民族性について述べ、将来を予見しておられ、それが殆ど当たっている事に驚きました。ご興味のある方は検索してみて下さい❣️
最後までお読み頂き、ありがとうございました😊
【参考HP】
熊本市観光ガイド(アクセス情報もこちらから)
熊本国府高等学校HP LAFCADIO HEARN 's “THE FUTURE OF THE FAR EAST”
熊本アイルランド協会HP
小泉八雲旧居内 展示パネル
【引用資料】
小泉八雲旧居内 展示パネル
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?