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小西行長と馬門石の里🌹宇土市歴史さんぽ③ 【復元された古代船と石棺】

こんにちは。今回は熊本県宇土市散策の3回目です。宇土市は馬門石(まかどいし)と呼ばれるピンク色の阿蘇溶結凝灰岩の産地です。馬門石は古代には中国・近畿地方の古墳の石棺として使われました。有名どころでは、聖徳太子ゆかりの四天王寺の礼拝石や、第26代継体天皇の陵墓とされる大阪府の今城塚古墳、第33代推古天皇の初陵とされる奈良県の植山古墳の石棺が馬門石製であることが分かっています。

今回は、宇土マリーナ(宇土港)に展示されている「大王のひつぎ実験航海プロジェクト」で使用された馬門石製の復元石棺や古代船を写真でご紹介します。「大王のひつぎ実験航海プロジェクト」とは、どのような方法で重い石の棺を有明海から大阪湾まで運んだのか、その謎に挑むため2005年夏に実施された実験航海です。それでは早速行ってみましょう🏃‍♀️

今回の散策地はここ!

宇土マリーナ

宇土マリーナは日本渚百選である御輿来(おこしき)海岸に隣接し、雲仙普賢岳を眺望できる風光明媚な場所で、ボードレンタルも可能です。敷地内には管理事務所が入るマリーナハウスと物産館・食堂が入る道の駅が併設され、広い芝生広場や護岸遊歩道もあって、家族で楽しめる憩いのスポットとなっております。以下、写真で宇土マリーナ敷地内の様子をご紹介します↓

広い駐車場に、奥に見えるはマリーナハウス。
写真には写ってませんが、右隣に道の駅があります。
揚降施設とボート
広大な芝生広場。
この日はたくさんの人で賑わっていました。
護岸遊歩道。
この日もあいにく、雲仙普賢岳は霞んでよく見えず。

復元古代船と復元石棺

そして、「大王のひつぎ実験航海プロジェクト」で使用された復元古代船と馬門石製の復元石棺は、駐車場の脇に無造作に展示されています。まず目に飛び込んでくるのは、古代船「海王」の勇姿です。「海王」の下に設置されている解説板を引用して、航海実験と海王の説明といたします。↓

   大王のひつぎ実験航海事業について
 宇土市網津町馬門産の石が、1500年前に、瀬戸内海沿岸地方や関西、特にヤマト政権中枢部の人々のひつぎ(石棺)として使用されているということを古代に近い条件で再現された事業です。石棺の輸送方法、手段、航路等の研究を進めることや、沿岸航路の人々との交流、地域おこしの一環として実施されました。
 航海は、18人漕ぎの古代船で、重さ約7トンの馬門石(別名:阿蘇ピンク石)製石棺を、宇土から大阪まで、有明海・東シナ海・玄界灘・関門海峡を通過して瀬戸内海に入る航路を、22の港に寄港して運ぶ34日間の航海であり、2005年7月24日に宇土マリーナを出航し、8月26日に大阪南港に到達しました。各寄港地では大歓迎を受け、歓迎会・交流会も開催され、多くの人々の注目を受けました。
 宮崎県西都原古墳群出土の船型埴輪をモデルにして作られた木造の古代船「海王」、石棺の蓋と身を載せるための丸太台船「有明」・「火の国」の2隻、それに指揮船・母船・曳航船などの現代船3隻の計6隻で船団を構成し、漕ぎ手は、山口県にある水産大学校など7校のカッター部学生があたりました。
 航海実験は、石棺文化研究会・社団法人熊本県青年塾・読売新聞社・宇土市など4構成団体からなる実行委員会を設立して実施され、日本財団をはじめとして、多くの方々による物心両面からのご支援・ご協力で成功しました。

        古代船「海王」
我が国では古代から中世にいたるまで、自然の木を船形にくりぬいた丸木船が主流だったとされていますが、弥生時代以降、玄界灘を渡るような「新しい船」が登場します。丸木船を船底として両舷に波よけの舷側板を立てた準構造船です。「海王」は5世紀後半の古墳出土の船形埴輪をモデルに、出土船材の大きさや、当時の造船技術推定により設計・建造されました。

構造:樹齢500年のベイマツの原木2本を接合
   した木造準構造船
規模:長11.9m  最大幅2.05m  自重5トン
航行:舷側支点櫂18本による漕行
速度:4〜5ノット、乗組可能要員30人
基本設計:松木哲神戸商船大学名誉教授
建造:藤田造船所(福岡・志賀島)

因みに「海王」の船内はこんな感じ。

次に、解説板に出てきた残りの復元建造物・馬門石製石棺と、その石棺を載せた丸太台船「有明」・「火の国」を以下に写真で紹介しますね↓

宇土市網津町産の馬門石を使い、熊本県出身の彫刻家高濱秀俊氏が作成した家形石棺。大阪府の今城塚古墳(継体天皇墓)から発見された馬門石製の石棺の破片をもとに復元因みに石切場近くの大歳神社から木ゾリの一種である「修羅」を使っての石棺の陸上輸送も地元の方々を中心に再現されたそうです。(実際に港まで引いたのかは不明。)
丸太台船「有明」・「火の国」。直径80cmの3本のベイマツ丸太材を裁断・接合して作成。丸太材の接合方法は、日本や朝鮮半島で出土したイカダ船を参考にした古代技術を用いたそう。

そして、これらの復元品が海上でどのように運航されたかの写真が以下です↓(現地案内板より)

漕ぎ手の水産大学校の学生さん達↓(案内板写真)

櫂の一漕ぎに全身全霊であたっていらっしゃる様子が見てとれますね!こりゃ〜大変そう💦若いってすごい✨宇土市デジタルミュージアムのサイトによると、漕ぎ手は写真の水産大学校端艇部員を中心に、寄港地で当地の学生さん達が応援に入って一緒に漕いだりしながら交流しながらの航海だったようです💡サイトの航海日誌を読むと、もちろん体調不良者が出たり、トラブルが起きたり天候不良だったりと、一筋縄ではいかない航海だったようですが、学生さんたちや航海当事者の方々にとっては、豪華客船世界一周より思い出深い価値ある経験だったことでしょうね🌊いや〜、青春ですね✨

宇土マリーナから大阪南港までの大まかな航路。
詳細な航路・寄港地は宇土市デジタルミュージアムサイトをご参照ください。

同じく宇土市デジタルミュージアムによると、宇土を出発した古代の漕ぎ手達も、毎日どこかの寄港地に停泊するため、寄港地の人々と良好な関係を築いていた形跡があるとのこと、また、馬門石の石棺を注文したヤマト朝廷の有力豪族達は、当時最果ての地と見做されていた宇土から切り出された巨大石棺の輸送を沿岸各地の人々に見せつけることで、自らが有する絶大な権力を誇示したのではないかと考えられているそうです。面白いですね💡

しかしこの実験航海プロジェクト、計画立案から復元品の作成・実際の航海と、実に沢山の人々を巻き込んだ壮大なプロジェクトですよね!私は何より、この無謀とも言えるプロジェクトを思いついて実現させ、成功させた立案者の方々の、パッションと交渉力とバイタリティとその他諸々の能力に脱帽です😳その能力があれば、人生たいがいの事は実現できそうですよね❗️

宇土市デジタルミュージアムの『大王のひつぎ実験航海事業』のページはとても面白かったので興味のある方は是非ご覧になってください↓個人的には、「航海日誌」がユーモアがあって面白く、漕ぎ手の学生さん達を励ますために中島みゆきの『プロジェクトX』を流したけど、疲労のため全員甲板で爆睡してたというくだりに笑いました🤣

最後に、宇土マリーナのトイレ入り口に貼ってあった、ゆるキャラのポスターに癒されたので下記に掲載します↓

左は言わずと知れた「くまもん」。右は宇土のご当地キャラクター「うとん行長しゃん」(※標準語:宇土の行長さん)。宇土にゆかりのある小西行長をモチーフにしたゆるキャラですが、個人的には小西行長はもっと若くてスラっとした知性派イケメンのイメージですが。。まぁ、ゆるキャラの行長しゃんは行長しゃんでかわいいからいいか😅因みに、2014年のゆるキャラグランプリでは総合72位だそうです。がんばれ、行長しゃん‼️

と、言うことで、次回宇土散策4回目は、小西行長の本城・近世宇土城跡をご紹介予定です。(時代が前後しますが、中世宇土城跡は5回で取り上げまる予定です。)次回も宜しくお願いします❣️

宇土マリーナからほど近い御輿来(おこしき)海岸脇の道路沿いにある「景行天皇聖蹟記念碑」。御輿来海岸は、景行天皇が九州を遠征された際、あまりの美しさにしばし御輿を駐め見入られたという伝説より名付けられたそうです

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

【参考HP】
・宇土市ホームページ
・宇土市デジタルミュージアムWebサイト
・宇土マリーナHP

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