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『お約束には乗れない僕ら』 その1

一話: 「いっけなーい!遅刻遅刻!」

僕、原稔(はら みのる)の人生にはドラマがない。
顔も、体も、頭も冴えない。おまけに名前だってパッとしない。
何よりそれを苦にも思っていないものだから、そんな自分を変えることさえ諦めてしまっている。
おかげで多感と言われる高校二年生のこの時期に似つかわしくない、無感動で不感症な毎日。
今が好きなわけでもなければ、嫌いなわけでもない。何もかもが中途半端だ。せめてこんな現状に強く憤れたら、あるいは反対に「僕はこの平凡な日常を愛している」なんて開き直れたなら、平凡な青春小説の主人公みたいに、偶然の出会いが与えられるかもしれないけど……。

多分僕は、そういう“お約束”には乗せてもらえないタイプなんだろう。

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「……とか、ハァ、なにイッタいこと考えてんだ俺」

俺、原稔は、そんな感じで登校路を走りながら思索に耽っていた。
住宅街の無駄に入り組んだ地形にも慣れたもので、上の空でも走って進める。危険なことこの上ないが、この時間帯に外を出歩いているのなんて、散歩好きの主婦と犬か、俺と同じような遅刻魔だけだ。
今期の遅刻回数は既にギリギリ。そろそろ評定に影響する頃合いだ。
今日こそは、なんとしてでも間に合わせなければ……!

「いや無理……」

大きく息をついて立ち止まる。
無理無理。体力も気力も人並み以下の俺には、学校まで走り続けるなんてのは絶対に不可能だ。
登校路の三分の一、家を出て五分のところでギブアップ。食卓でのお叱りは甘んじて受けると決め、のんびり歩くことにした。

『あーもう、なんでこうなるの〜!』

目の前をばびゅん、と通り過ぎていく人影。
翻る黒髪と制服の赤。恐らくは同じ高校、それも同学年の生徒だ。
はじめて見る、と、直観的に思った。他クラスの生徒は大抵ただの顔見知りで、ほとんど記憶もないはずなのに、その誰とも違うことが一瞬で分かった。
ただ、俺がその時考えていたことはそんなこととは一切関係なくて、

「危なかった……」

あのまま走ってたらぶつかるところだったな、なんて。

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「おはようございまーす」

「はい、重役出勤ご苦労様」

「スイマセン……」

教室に入ると、先生の呆れた声と、一部のクラスメイトの笑いが耳に入る。
雷と尋問に備えて言い訳を8パターンも用意していた俺は、そんな反応に拍子抜けしてしまった。

そんなことになった理由は、一目瞭然だ。

「今日からクラスメイトになる宮古 愛(みやこ あい)さんだ。皆もう自己紹介したから、お前も後でやっとけよ」

『はじめまして』

面倒見きれるか、と吐き捨てる先生。
それを見て同情した様子の“新しいクラスメイト”。

「あ〜っっ!」

俺だけが思わず声を上げた。
クラス一同、先生も、勿論彼女も含めて、ぽかん。

遅刻して三言目で奇声を上げる男が、そこにいた。

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思えばこれが、僕と彼女が最初に“お約束”を外した瞬間だった。
僕は彼女のことを一瞬だけ見ていて、彼女の方に至っては、僕に気がついてもいない。劇的でもなんでもない、ごく普通の出会い方だ。
だからこそ、今でも想像してしまうことがある。あの朝、僕があのまま登校路を走り続けていたとしたら。もしかしたら、もっとずっとあっさりと、僕らの物語は進んだのかもしれない!なんて。
そんなこと考えたってしょうがないんだけどね。

……あ、そうそう。
すっかり言い忘れていたけれど、

これは僕と彼女の、いまいちお約束通りにいかない恋の物語なんだ。

常に前よりダサい語りを心がけます。