UXと危機…
世の中の流れは過保護で局所的な方向へ。
川にひとが落ちれば手すりをつけるとか川を塞いじゃう。耐震法や消防法の規制ががんじがらめになって、唯一無二の魅力はどんどん削られていきます。社会全体がどんどんつまらなくなってきています。空地があれば駐車場へ、危険があれば柵をして退ける、商業優位の退屈な開発へ。
一見無駄そうに見えるスペースも、無意味な時間をすごす意味のある場所だったのに。少なくとも子どもたちは集中して遊んでいました。そこには一糸の秩序が張り詰められていた。昔は川に落ちるのは酔っ払いで、ただ笑い飛ばされた。落ちたのは自分のせいだから気をつけるんだよ…と。
真面目で几帳面な大人たちは、そんな事件が起きるのが辛くてしんどくなってしまうあまり、その前に蓋をしてしまうのでしょうか。世間がそれを見守る器でなくなっているのでしょう。それを学ぶ場所が社会から減ってきています。教授の場を社会が奪い去ると、危機回避する能力はもっと退化するんじゃないかなと思う。
空間家自身が、原理原則に厳格な僕となって、ファンダメンタリズム(原理主義)に陥らないようにしたい。原理だけで形を興すとそのロジックが風雪にさらされてもろくなった時、大きな負債を負うことになります。日本では子どもに「人に迷惑をかけることはしてはいけない」と教えられます。周りへの配慮や礼儀が美徳と刷り込まれていく教えに対し、インドではこのように子どもに教えるのだそうです。
「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と。どちらが正解というわけでもない。どちらも受け入れられる世間でありたいと思います。
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