教育と社会はすごく関係する(社会学基礎理論)
大学院で学ぶ「学習のデザイン」の、今回は社会学です。
なぜ社会学?
教育について勉強してるのに、何で社会学の授業なのか。自分もはじめは履修する予定まったくなかったのですが、大学院の方針では次の3つが基盤になっています。
知の理論(前回紹介した内容)
教育学
社会学
何かを学んだり教えるには、まず「知る」とはどういうことかを理解することからはじまります。次にそれを何のためにどうやって教えるかを身につけます。そして教えたり学んだことが、学習者の暮らしや世の中に影響を与えることになります。つまり、知の理論→教育学→社会学とつながります。
そして、教育と社会は密接に関係します。
明治時代になって義務教育がはじまったのは、一部のお金持ちや貴族だけでなく、子どもに等しく教育を提供すべき、という社会思想です。学校教育にももっとデザインと創造力を、という僕のテーマも、ビジネスや国際問題で日本が欠けているという社会課題から来ています。
なので、教育を考えること=社会を考えること、とも言えます。
ならば「社会って何?」ということをもっと理解すべきなので、この機会にちゃんと学ぼうと思った次第です。
社会学はつかみどころがない
社会学とは何でしょう?授業ではこのような定義を教わりました。
ううむ、わかったようでわからない感じです。社会問題とは何か、例えば少子化・LGBTQ・SDGs、戦争など世界的な関心から、住宅地での騒音・町内会・ゴミ出しルールといった個人的なことも含みます。全部じゃないかと。
でもここでくじけては先がないので、もう少し頑張ってみます。
社会とは個人と組織の関係
入門書として紹介されたこちらの本を読みました。
読みながら図にまとめてみたところ、1つのシンプルな関係性にたどり着きました。それは、社会学とは個人と集団(あるいは組織)との関係を見ることではないか?ということです。
個人と集団(組織)のあいだには矢印があって、それをつないだり行き来することが社会なのではないか?と考えます。
例えば、ある人の行いが社会的に良くないという場合は、それが集団(学校だったり日本という単位だったり)の秩序から逸脱している、というふうに捉えることができます。
反対に、学校のような場では個々人の集団から成り立っているけど、数年単位で学生がまったく入れ替わっても、学校という社会的な存在は残り続けるというように考えることもできます。
個人から出発し集団に向かうながれを「社会名目論」、集団を起点として個人への影響を見るながれを「社会実在論」と呼ぶそうです。
なるほど、ちょっと分かってきたような気になりました。
社会はコントロールがむずかしい
授業を受け始めて自分が特におもしろいと思ったのは、社会は完全にコントロールすることはできない、という点です。
コモンズの悲劇とアンチコモンズの悲劇という例があります。
資源の利用にルールがない(アンチコモンズ)と、自由競争で早いもの勝ちの格差社会が生まれます。でも資源をキッチリ分割(コモンズ)しすぎると、使えるのに使われない資源が余ったり、管理者が過度な権力を持つような社会になります。
このように、絶対がないのが社会学です。だからこそ「社会秩序はいかにして可能か?」ということが、社会学の主題の1つでもあります。
今回学んだこと
まずは導入として、社会学とは何であるかを、おぼろげながらに知れたことが今回達成したことです。そして、教育で何かしようとする=社会がどうあるべきか?を考えること、ということも学びました。
もう1つ、なんで社会学の本などは哲学のように難解なのかというと、「絶対はない」から図式などで数学的にまとめる方法ではなく、考え方を探求し続ける必要があるからではないか?というように自分は理解しました。
とはいえ、社会学も学問なので、これまで先人が積み上げてきた、いろいろな理論はあります。次の授業でそれらを学ぶ予定なので、受けたらまた更新しようと思います。
今回はここまでです。
デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。