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知るとはどういうこと?(知の理論)

これまで学習のデザインについて、独学で調べたり自分なりのアイデアを紹介しましたが、今年の4月からは大学院に通うことになりました。

実務教育研究科

入学したのは社会構想大学院大学というところです。社会人専門の大学院で平日夜と土曜日に授業があります。キャンバスは東京の高田馬場ですが、ほとんどはオンラインで受講できるので、忙しい人にありがたしです。

この大学院に「実務教育研究科」というコースがあります。教職者でなくても教育について学べるので、自分の研究テーマにピッタリです。

2年間あるので(休学・留年しなければ)、最初はデザインにこだわらず、教育に関する基礎的な知識を学んでいきます。これからはしばらくは、自分が学んだことの要点をnoteにメモしていきます。

知の理論(Theory of Knowledge)とは?

この大学院の単位取得では、必修科目が1つだけあります。それが「知の理論」です。

まずは、これまでガイダンス含めて2回うけた授業の要点を書きまとめてみます。(今時点での理解度なので浅かったり間違ったことを書いているかもですが一緒に学んでいきましょう。)

知の理論とは、知ることとは何か? を考える学問です

グローバルに認められている教育プログラムで「国際バカロレア」というものがありますが、この国際バカロレアの中で、基盤となる3要素のうちの1つが「知の理論」です。

セオリー・オブ・ナレッジ(2016.01.10) P116より

第二次世界大戦後はグローバル化が進み、学問に国際的な基準が必要になりました。そこでは、正しいかだけではなく、異文化への理解と尊敬が必要になります。ある地域で使われている知識が、別の地域では別の意味を持つ場合があるからです。

例えば、あいさつは地域によって異なりますが、どれか1つを正として他の風習を否定することは、偏った社会につながりかねません。

知ることはどういうことか?ということを学ぶには、俯瞰して捉えるメタ認知が欠かせません。とても概念的で哲学的です。

なぜ知の理論が必要?

この学問の背景には、知識を盲目的に信じすぎた過去の反省があります。知識には力や権威があり、そのために社会が悲しい結果をつながることが、これまで多く起こっていました。

例えば、医師は知識人であり権力もあるため、医師が言ったことは従わざるを得ません。でも過去には、誤った知識で間違った治療をしたり、医師の発言によって人々の命が奪われてしまうこともありました。

最も大きな失敗が第二次世界大戦です。有名なミルグラム実験という研究がありますが、この研究結果によると人は盲目的に権威に従います。それが独裁者の暴走した教えを助長して、悲劇的な戦争を引き起こしたことにもつながると考えられています。

なので「知識を持っているからすごい」と安易に考えてしまうことは危険です。知ってる=エライではありません。最近であれば、対話型AIの使い方について、使用を制限したり倫理観を議論していますが、これも知の理論と関係した現象です。

知ることとはどういうことか?をメタ的に捉えて、知識で成り立つ社会について学ぶこと、はとても大事だとわかります。

知ってるとはどういうこと?

知の理論によると、知識とはこのような図式で示されます。

知識(Knowledge)=正当化(Justify) x 真実(True) x 信念(Belief)

社会構想大学院大学 知の理論(川山竜二)の授業より
  • 正当化:その知識に証拠や理由づけがされている状態であるか

  • 真実:そう考えるに至る偽りがないか

  • 信念:私がそう強く思っている

という3要素です。例として「地球は丸い」という知識を、この図式に当てはめてみるとこうなります。

  • 正当化:航海や天文学などの研究によって示されている

  • 真実:天気や時差など実社会に当てはまるので間違いでない

  • 信念:私は地球は丸い主張を信じている

地球が本当に丸いかどうかは、僕自身が獲得した直接的知識ではなく、本とかメディアとかで知った間接的知識です。なので、本当の本当の意味で僕は地球が丸いことを知っているとは言えないのです。

でもそんなこと言ったら社会が成り立たないので、正当化したり信じたりすることで知識は成り立つ、ことになります。この「信じる」という概念が興味深いですが、知の理論は、西洋の神学がベースであることも関係します。

学んだこと

これまでは知ることの意味を、自分は単に知識はあった方が良いくらいにしか考えていませんでした。

でも、そもそも知識を得るのは何のためか?ということを考えてみると、相手を理解するためであったり、今までにない発想を得たり、不都合が生じない社会を形成するためであったりします。

偏ったり間違った知識は差別や危害にもなりかねないし、自分が知っているという状態を客観的に理解できていないと、知の暴走を生んでしまうかもしれません。

「知ること」を知るということは、教育や学習にとってのベースであるので、知の理論が必修科目である理由が少しわかってきました。

今日はここまでです。

デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。