こんな話題を気兼ねなく書けるのも、カナダにいるからだと心の底から思う。

私は人の感情を深く読み取ることができてしまう。良くも悪くも。
エンパスとかHSPとか、そんな表現で語られる性質を持っている。

だから、夫と一緒に日本で生活していた時には、自分が女性であることをすっかり忘れてしまっている。夫の心の性別が男性ではないからだ。相手が男性ではないから、対(つい)である女性にはならないのだ。無意識でそれを感じ取ってしまい、どうしても自分が女性だという感情を抱けなくなる。
一度、夫から少しの間離れていると、段々と自分の本当の気持ち(女性であること)が浮上してくる。

夫は、私が女性としてのアイデンティティを保てなくなっていることに対して、理解を示してくれた。能天気なので、事の深刻さをつい数週間前まで認識できていなかったのですが……(汗)

今、夫から離れなかったら私は自分のアイデンティティを失うと思いました。日本の社会的な常識に照らし合わせてみれば、夫を置いて海外に行ってしまうなんてあり得ないはず。
これまで、「こうあらねば」という思い込みの強い私がこんなことするなんて。と自分でも驚いています。

20代の時に、結婚という大きなイベントを目標に生きてきたのですが、色々なことがあって、結婚を目標にしたら自分を見失うなぁと思いました。

結婚、結婚……日本では、結婚していないと変に見られるところがあります。私も、それを恐れて、「私は普通」という切符を手にしたいという思いに駆られたこともあります。

結婚にまつわる虚像のような幸せ……
それって虚しいなって思ったんです。だって、結婚して子供ができて……と考えていたら、子供は生まれずに終わってしまったし、挙句夫はマイノリティさんだったし、「絵に描いたような幸せ」に憧れて、自分たちも!とその道を進みたかったけど、そうはならなかった。「普通」を追い求めて、この先ずっと幸せを感じられるのだったら、世間の「普通」を自分の幸せのスタンダードにすれば良いと思うけど、人生何が起きるか分からない!

その道でよかったか、どうなのか、って時間が経ってみないと分からない。
分からないからこそ、今この時にできる選択というものが、自分が正しいと思ったことをやるしかない。世間の常識にしたがっていたら、きっといつか、「世間に囚われて自分の人生を生きていなかったなぁ」って思うし、自由に生きていたら、「やっぱり、これでよかったんだ」と思うかもしれない。本当にわからない。

そんなことを踏まえて、パートナーにしたいと思う人は、私の事を深く理解してくれる人でもあり、一緒に心の旅をしてくれる人。

その他のことは、そんなに気にならない。いつもいつも、外出に連れ出されたら、たまには家にいて休みたいよ、って言う事もあるかもしれないけど、心の旅が一緒にできなくなったら、関係が終わってしまうことは目に見えている。だから、これが一番大事。

これからは「どんな人が好きなの?」って聞かれたら、心の旅を一緒にしてくれる人って答えたい。

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