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僕がデザインで株式会社に入社するまで。

はじめに

おはようございます。デザインで株式会社(以下:デザインで)の新米アートディレクター/デザイナーの藤井隼人と申します。

3月に大学を卒業し、4月から新卒第1号としてデザインでに入社したわけですが、せっかくなのでその経緯をまとめてみようと思います。
拙い文章で大変恐縮ですが、最後まで読んで頂けたらとても嬉しいです。

僕の自己紹介は以前のこちらの記事に掲載されているので、割愛いたします。(僕の敬愛する先輩、さきやまさん執筆の投稿です)

さて、僕がデザインでに入社するまでの道のりは大きく分けて3つのパートに分けることができます。

1つ目は若者能実行委員時代
2つ目は株式会社1Line時代 
3つ目はデザインで株式会社インターン時代

各パートそれぞれ、参加した経緯活動内容社長の齊藤さんとのやり取りそこから得た経験などを交えてまとめています。


「とにかく挑戦」をモットーに、若者能実行委員会時代

2020年2月〜2021年3月までの約1年間、若者能実行委員会(以下:若者能)という団体に参加して、広報周りの制作物、映像、ウェブなどの制作を行いました。

この団体に入ったきっかけは、僕の大学の先生であるK氏の紹介で若者能の公演を見に行ったことから始まります。
公演後、お誘いしていただいたお礼と来年にむけて僕の友人たちにこんなイベントがあるよという共有も兼ねてFacebookに感想を投稿したところ、それが回りに回って主催の喜多流能楽師、塩津圭介さんのところまで届き、最終的にはお誘いを受けて実行委員会のメンバーとなりました。
(ちなみにK氏は弊社社長の母校でもある武蔵野美術大学でも教鞭をとっていたことがあり、不思議なご縁を感じています)

この1年間は僕自身「つくれるものは何でもつくってやろう」という気持ちだったので、リーフレット、パンフレット、フリーペーパー、宣伝用映像、ウェブなど、すべて手を動かして制作しました。

デザインについて、何かアカデミックなことを学んだ経験がなかったため、試行錯誤しながらの制作活動でした。その中で入稿データの作成方法や最終的な納品物に仕上げるための調整などを、齊藤さんにアドバイスを受けながら進めていました。

この1年は課題の連続でした。若者能の活動だけでなく、大学の授業の課題、映像コンペにむけての作品制作、アルバイトなどが並行していたため、タスクが多く、その内容もそれぞれに濃かったため、当時の自分のキャパシティを完全に超えていました。。
そうなってくると当然、徐々に歯車が狂いはじめました。なかなかスケジュール通りに制作が進まないことに強いフラストレーションも感じ、共同で作業している仲間にも同様のフラストレーションを与えていました。

そうやってうまく行かない時、軌道修正できるほどの余力が残っていないと、物事はどんどん悪い方向へ向かっていきます。
このときの僕はその渦中にいて、キャパシティを超える前にある程度調整したり、超えてしまうなら早い段階で誰かに協力を依頼するということができずに、常に後手後手になっていました。

それでもなんとか一緒に制作活動している仲間のサポートもあり、結果的には若者能も成功に終わり、コンペでも賞を頂き、単位もしっかりと取れ、実りの多い1年を過ごせました。

せっかくなので、映像のコンペで受賞した作品も紹介いたします。


デザインの可能性を感じた、1Line時代

若者能の活動が終わり、本格的に就職活動がスタートする中で、齊藤さんのご紹介で株式会社1Line(以下:1Line)で2021年の4月から2022年の3月までの約1年間、デザインや映像制作の業務に携わりました。

きっかけとなる最初のお仕事は、撮影と編集をして納品するという内容でした。撮影中、眞鍋さん(株式会社1Line 代表取締役社長)とコミュニケーションを取っていく中で、以下の課題を抱えていることがわかりました。

デザインで株式会社がブランディングした世界観を、うまく社内の制作物に広げていくことができない

そこから、営業用のプレゼン資料、メルマガ、noteの記事、販促用POP、チラシ、イベントのプロモーションビデオなど、メディアに囚われることなく、その時いちばん必要なものを制作する役割を担いました。

眞鍋さんがイメージを出せずにどうしたらいいかわからないようなものを、僕がイメージを起こし、それをもとにコミュニケーションを取りながら膨らませていくことで、形にしていきました。常に密なコミュニケーションを取りながら、常にイメージを共有し、一方通行にならない関係性を築けるように意識していました。

また、この頃は毎週金曜日にデザインでと1Line の定例MTGがあり、そこで直接齊藤さんからアドバイスをもらったり、デザインで行うブランディング業務を間近で見ることができたため、それが自分にとっては大きなモチベーションになり、それが最終的にデザインでに入社したいという思いに変わって行きました。

デザインで株式会社が行っている株式会社1Lineのブランディング事例はこちら↓ 



空気感に馴染むことを意識した、インターン時代(前半戦)

就職先が決まっていなかった10月ごろ、齊藤さんからインターンのお誘いをいただき、翌月からインターンとしてデザインでに出入りするようになりました。

インターンと言っても、何かやるべきこと与えられたわけではなかったので、自分が受けているお仕事や1Lineの制作物へのアドバイスを受けながら、デザインでのオフィスで作業をする、という毎日でした。

僕がこの時期いちばん重要視していた行動は、とにかくこの空気感に馴染むということでした。

今でも覚えていますが、インターン初日に空っぽのデスクを渡されて、「とにかくここ使っていいからね」と言われて、最初の3時間くらいデザインでのみなさんが気を使って話しかけてくれていたのですが、「これではまずい」と思い、一度自宅に戻り、とりあえずモニター、キーボード、マウスなどを持ってきて作業環境を構築しました
(あのアクションは自分でも褒め称えたいです、、よくやった藤井!)

(あたりまえですが)会社が特段なにか準備をして待ってくれていたわけではないので、そこからは自分でやることを見つけて作業していました。

その中で、可能な限り同じ時間を共にする、会社の空気感に馴染む、お客様でいないようにする。ということを意識していました。

5ヶ月間のインターンのうちの前半戦は、こんな感じで過ごしていました。


とにかく自分に向き合った、インターン時代(後半戦)

卒業制作を大学に提出した1月17日に思い切って齊藤さんに「どうしたらこの会社に入れますか?」と聞きました。中途半端な状態でこのままインターンを続けるよりも、デザインでの皆さんに僕の意思をはっきりと表明しておくことが重要だと思ったからです。

齊藤さんのお返事は「ポートフォリオをつくって、それを見せてください。ポートフォリオは、他のみんなにアドバイスを貰いながら進めて下さい」ということでした。

そこからは、1Lineの業務デザインでの業務ポートフォリオの制作、という3つのことを行いながら過ごす後半戦が始まりました。

当然、当時の僕のスキルだと前者2つだけでかなりの時間を要してしまい、ポートフォリオ制作のスピードがなかなか上がらずにいました。

なので、構成だけある程度先にまとめて休みの日に作業を進めたり、作業時間がとれない中でも、どうしたら妥協せずに進められるかを考えながら取り組んでいました。

合間をみて、デザインでみなさんにアドバイスをもらい、それを反映していくということを繰り返しました。この時、齊藤さん以外のみなさんにだけ、アドバイスをもらっていました。
(齊藤さんには初見でお見せするということになっていました)

それぞれのデザイナーの先輩方からもらうアドバイスは、それぞれ視点が違いとても学びがありました。僕もこのアドバイスを貰う過程で、それぞれのパーソナリティーを知ることができたり、さまざまなアドバイスをもらう過程で、どの意見を取り入れることがいちばん完成度につながるのかを考えながらデザインに向き合いました

変わった形状のポートフォリオを制作していたので、いくつかの業者に見積り依頼をすることができたのも、いい経験になりました。

気がづけば、3月も半ばになり、なんなら卒業式から1週間後の3月の17日、ついにポートフォリオが完成しました!!それをその場で齊藤さんに提出し、なんとその場ですぐに内定をいただきました。。!!

ポートフォリオ制作は、自分のいままでの学生生活を振り返りながらまとめていく作業でした。最後の2ヶ月間はそういう意味でも、とにかく自分自身と向き合った時間だったとと思います。

7インチレコードをモチーフにしたポートフォリオ
帯文は野口さんに寄稿していただきました!!
デザインでメンバーがクラッカーで祝ってくれました😂

映像から、デザインへ

映像を専攻していた僕が、なぜデザインの仕事を選んだのかをお話ししたいと思います。

前述の通り、僕は大学3年の時に東京国際プロジェクションマッピングアワードとい映像のコンペティションに参加し、優秀賞を受賞しました

このプロジェクションマッピングアワードが、僕にとっての転機になりました。

僕はこの制作に、プロデューサー/ディレクターという役割で参加していました。書類審査用にコンセプトシートを作成したり、イラストが得意なチームメイトにお願いして絵コンテを描いてもらったりと、映像を制作する前段階や、チーム紹介用のグラフィック制作など、映像の制作だけをするという感覚ではなく、それら過程も含めて作品と捉えていました

この時に、自分の考えたアイデアを様々なメディアを使って表現していくという楽しさ、そして、自分ではできない領域も、それが得意な人にお願いすることでより良いものができるということを経験し、目指すべき方向が決まりました。

映像業界に行きたくなかったわけではなく、広義のデザインというフィールドに身を置くことが自分にとっていちばん可能性を感じると思うようになり、デザインで社会と向き合うことを決意しました。


100日間のバナーチャレンジ

【番外篇】100日間の修行

そして、もう一つ僕にとって重要なパートがありました。それは若者能実行委員会と1Lineの間に来る、パート1.5に当たるお話です。

その期間に、僕はあるウェブ制作会社のデザイナー職に応募しました。応募した後に気づいたのですが、その求人はデザイナー職ではない上に、新卒採用をしていませんでした。しかし、担当の方の善意で、面接をして頂けることになりました。

その時の担当者から言われたのが以下の言葉です。
(大体こんな感じでした)

「藤井くんのポートフォリオをみさせてもらい、全体的に藤井くんの作りたいものとか好きなものはわかったんだけど、それ以外にどんな作品が作れるのかわからない。いろんなパターンの作品がつくれることも大事だから100日間毎日バナー模写とかやってみれば?」

その当時、就活解禁前の緊張と落ち込みのある時期だったのもあり、この言葉に対して無性に負けず嫌いな自分が出てしまい、「やってやる!!」というモードになり、そこから100日間、毎日バナー模写をしました。模写とはいえ、とにかく毎日デザインする行為は、良い筋トレになりました。

毎日真摯に目の前のことに向かっていると、幸運はふと流れて来ます。
90日目あたりで、齊藤さんから1Lineをご紹介いただき、そこからデザイナー人生が始まりました。

真摯に目の前のことに向き合えば必ずチャンスは訪れる。そのチャンスを逃さない準備をしておこう。

この期間を経て一番強く感じたことです。


最後に

もっと簡単にまとめようと思っていたのですが、いつの間にかすごく長くなってしまいました。。

改めてここまでの道のりを振り返ると、僕はとても人に恵まれているなと感じます。いろいろな人とのつながりがあっての今の自分なんだと、改めて感じました。
ですが、まだその恩返しをできていないことがとても悔しいです。
これからは寄り道した分、いろいろな人に「恩返し」や「恩送り」をしたいと思います。

まだまだ駆け出しのアートディレクター/デザイナーですが、日々自分のやるべきことに真摯に向き合い、はやく一人前になれるように努めていきます。

今後も、noteでの情報発信を積極的にしていきたいと思っています!
どうぞよろしくお願いいたします。

デザインで初代新入社員 藤井隼人

デザインで株式会社が、デザインで様々なことと向き合う中で感じたことや経験を記事にしています。サポートは今後の情報発信に活用させて頂きます。よろしければ、サポートお願いいたします!