「ゴト」と仕事の神隠し
こんばんは。
こちらは社会人n年目のくたびれたアラサーです。私は今、完全にガス欠を起こしています。
というのも私、今週は休日も出勤をしておりましてですね。勘のいい私め月曜日の時点で、あれ、なんかおかしいぞと気づいてしまった訳です。もしやこれは「ロクレンキン」というやつなんじゃないかと。
5連勤も6連勤も大差ないんじゃないか、1日休みがあるだけマシじゃないか、昔の私ならそう思ってました。
しかし週休2日で調教されたアラサーのサラリーマンという生き物にとってはこれはなかなかヘビーなものでございまして、もはや身体は48時間かけてじっくりを回復してようやく元のゲージに戻るか否かというのが現状なのです。
無尽蔵に走り回れていた学生の頃とは異なり、疲労も心労も取れづらくなりました。
夜眠ろうとすれど、目を閉じていても浮かぶのはやり残した仕事と上司の顔であり、朝は低血圧で重たい頭を引きずり、カバンと共に肩こりとドライアイを引っさげてカフェインを原動力に仕事に向かうのです。
マジ卍な業務を乗り越え、ようやく家に帰って一息思ったら今度は飲み会に連れて行かれ、追い討ちの如くに時間と体力が削られていくのです。
そんな生活をしている大人にとって!
どうして休みが1日だけという環境で生き延びることができたでしょうか!(反語)
こんな現状だから、この国の人々は疲弊していくのです!さあ皆さんで実現しましょう!
いますぐこの国に週休3日制を!!!
以上、選挙演説妄想
ここ最近、最寄り駅でも乗り換えの駅でも勤務先でもあんまりにも選挙演説がやかましいから、頓珍漢な演説の隣で青い顔して週休3日制を叫んでやろうかと思った。あまりにも現実味のない政策を謳った演説よりも、よほど聞く耳を持ってもらえるんじゃないかと思う。あくまでも思っているだけである。実行はしない。
だからこの「アンチ6連勤!目指せ週休3日制」の静かな絶叫は、おそらく声に出せば一定数の共感が得られるであろうに、どこにも響かずに消えていく。アーメン。
なんだかんだ言いつつも、とりあえず普通に働いて金を得て不自由なく生きている現状に不都合はないし、会社を辞めて実家で貯金を切り崩して生きていく選択も取れる中で働いてるのも自分だから、そこに対して責任は持たないといけないなとも思っている。
あんなに数年前までは仕事を辞めたがっていたのに、我ながらびっくりするような心変わりだと思う。
結局のところ大体の人は口先でアンチ社会人のスタンスをとっているように見せかけているだけな気がしている。敢えてそんなことをして
「仕事が本当にカス」
だのなんだの吹聴して回るのは、そう言った方が共感を得やすいからで、そんな風潮がなんとなく社会全体をぼんやり薄暗く染めているような気がしないでもない。根拠はない。
海外を知らないから、この労働意欲の低いジャパニーズスタンダードが当たり前で、海外のワークホリックなんて目の当たりした日には腰を抜かすかもしれない。少なくともこの前行ったベトナムは、働かないでコーヒーを飲み歩く人ばかりだと現地民に教えてもらった。
労働生産性の高い国にしろ、まじで働かない人ばっかりの地域にしろ、多分労働が尊いものとして受け止められてるんじゃないか。「働くのサイコーじゃん!」か、「だらけてても生きていけるのに働くなんてヤバすぎじゃん!」という差異はあるような気もするけど。
とりあえず私はもう疲れた。6連勤を吹き飛ばすだけの良いニュースか6連休をください。高望みしないので、どうか6連休をお恵みください。6連休だけでいいから。。。
2連休(土日休み)を得るまで
10時間勤務×5=50時間
6日分の休みを得るまで
50×3=150時間の労働
6連休はおろか6日分休むまでの道のりはローマより遠い。ああやだやだ。もう仕事のことを考えるのもやめよう。仕事の「し」の字も見たくない。
五十音から「し」だけ消したい。
「し」の字を消したってそんな差し支えないだろう。むしろ仕事を思い出さずに済む。
ワイシャツは「ワイャツ」になるし、満員電車は「マンインデンャ」だし、会社は「カイャ」だ。
良いぞ。仕事は今から「ゴト」です。ゴトゴトゴトゴト。仕事仕事仕事仕事よりよほどいいわ。
限界を迎えると人間はこんなに頭が悪くなれるのかと、もはや我ながらとても興味深い。期末の業務立て込みバーストなこの時期にまともな精神状態で健気に働いていられるわけがないのだ。そうだ。まともでいる方が気が狂うという、精神の何らかの防御反応なのかもしれない。
人間の精神のしなやかさに恐れ入る。
救いようのない期末も残り20日。4月に見返して
「ああ、この頃の自分頭おかしかったんだな」
と思えることを願ってやまない。。。