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#045:学んできたこと

兵庫県神戸市を拠点に活動しております「まじわるデザイン」代表の戸田裕之です。
「ムダをなくしたいだけ」です。

今回は、自分の学びの棚卸をしてみました。
こうして書き出してみると、いろいろなことを学んできたもんだと感慨深いのと、なにかしらあとにつながっているというのが気づきです。
コツは勉強と考えないことです。学ぶのは「勉めて強いる」つらいことではありません。

(作業研究)
・学生時代の学科は経営工学科でしたので、基本的素養として、作業研究を身につけました。
・作業研究は、「作業を分析して最も適切な作業方法である標準作業の決定と、標準作業を行うときの所要時間から標準時間を求めるための一連の手法体系。方法研究と作業測定から構成される。」(JISの定義)というもの。要はストップウオッチもって測るやつです。
・今でも仕事で活用しています。まさに一生もののスキルになりました。これからは動画を活用するやり方もやってみます。

(統計的品質管理)
・これも学生時代の必修項目。統計の数学的な理論からみっちりとやりました。その後も、今に至るまでよく使ってます。
・手計算で標準偏差の計算をしたりしていたころと比べたら、Excelなどがある今はパラダイスですが、それほど活用されていない実感があります。また、QC7つ道具ですら、実務の現場では、忘れられてしまっているようです。大変もったいないことなので、お手伝いの現場で有効性をお伝えします。

(工場計画)
・学生のときは、工場を作ってみたいと漠然と考えていたので、卒業論文は工場計画を選択しました。
・その後の職業生活で、工場や設備の計画にたずさわる機会が多くありました。工場は、機能美そのもののアートなので、今でも一番好きな分野です。

(運搬工学)
・工場計画の中の一つの分野に運搬工学があります。マテリアルハンドリング(略してマテハン)と呼ばれます。自動倉庫のような物流施設は運搬工学の応用そのもので、私の大学の卒業論文はそういった内容でした。
・就職して以降も、実務で自動搬送システムに関わることが多くあり、当時世界に類例がない特殊物の工場まるごと自動搬送システムの実用化にも関わることができました。
・自動搬送システムが当たり前の世の中になるのはこれからなので、実は私の出番なのかもしれません。毎年1-2件はそういうお話がくるようになりました。

(ワークデザイン)
・卒業論文でお世話になった先生は、工場計画、物流システムの権威であったことに加え、ナドラーさんの「ワークデザイン」を日本に紹介することをしておられました。
・ものごとをインプット、アウトプット中心で考えるという体系で、今では、当たり前みたいなことですが、当時は、びっくりでした。今に至るまでものごとの考え方のベースになっています。

(コンピューターシステム)
・就職したときに、自分の強みを出していこうということで、1980年代初頭にはやり始めた製造領域へのコンピューター応用についての知識と実務経験の蓄積を始めました。
・所属した組織や仕事の機会にめぐまれたこともあり、今に至るまでこれが表芸になっていて、私自身のスキルの大きな強みです。

(機械加工技術)
・入社したときに配属された工場は産業機械製造工場でしたので、私への期待としては、機械加工の技術者でした。
・当時は機械加工についてほとんど何も知見がなかったので、精密工学会に入会したりして知識習得をして、周りの話についていけるところまでにはなりました。
・今でも、機械加工関係の事業者さんのお手伝いをすることがあるので、こういう経験をしておいてよかったです。

(素形材技術)
・上記の工場は、もともと蒸気機関車の工場で、板金、鋳造、鍛造という金属素形材の設備と技術をもっていました。
・私の所属は工場全体の生産技術部門でしたので、上記の設備や改善にも携わることがありました。ちょっと特別な領域で、知見がある人が多くない領域なので、今でも重宝されます。

(経営管理全般)
・地方の独身寮暮らしで時間はありあまってましたので、中小企業診断士の受験学習をしました。学生時代の専門分野、就職してからの仕事と重なる部分が多かったので、違和感なく学習できました。
・なにせ、当時は中小企業診断士はそれほどむずかしい資格ではなく、企業や官公庁をリタイヤした方が取得するものという位置づけでしたので、28歳の私が受験年度の最年少だったようです。
・資格をとったあとは、仕事として協力会社さんのお手伝いをさせていただくようになりました。その経験のおかげで今があります。

(組立技術)
・社内異動で、当時忙しかったオフセット印刷機組立部門に行きました。本当の現場第一線でしたので、いろいろなことがあるものだという人間修養的なことが最大の学び。
・現地での改造工事がたくさんあって人が足らなかったので、あちこちに組立実作業をしに行きました。この経験もあとに生きてます。ボルトは力任せに締めればよいものではないとか。

(オフセット印刷)
・組立部門では、総組立と試運転が担当でしたので、オフセット印刷技術について学びました。毎時10,000枚を超えるスピードできれいなカラー印刷物ができることは奇跡的です。
・印刷業というのは、大きな産業分野なのでお客さまも多く、このときの経験は今につながっています。

(博物館学芸員)
・私が担当していた小型の印刷機は、展覧会のカタログなどの高級印刷物を印刷することが多いものです。
・以前から博物館には興味がありましたので、お客さまとお話をするネタにならないかな(あわよくば博物館を運営する仕事に転職できないかな)ということで、博物館学芸員資格を通信教育でとりました。
・想定外だったのは、博物館は社会教育の一貫なので教育学関係の内容が多かったことです。それも、今のお手伝いの仕事の内容につながってきますので、世に無意味なことはないということなのでしょう。

(アート)
・杉浦日向子さんの「百日紅」(お栄さん=北斎さんの娘が主人公)を読んでから、浮世絵に興味が出て、それから江戸期の日本画に対象が広がりました。
・その後は、博物館学芸員の資格をとったときに、文化史などを学ぶのでそれで知識が増え、出張のときに空き時間で日本、世界各地の美術館に行って実物に触れることで、アートについて目が肥えていきました。
・今は、美術館でボランティアをするようになりましたので、一生つき合う良いテーマです。心が休まります。

(生産管理)
・組立は最終工程で、物がそろわないことには何できないという悲しい役割です。また、お客さまに約束した納期は絶対で、いろいろな制約の中、どうやって間に合わせるかを考えることをしてました。
・そこで仕事をしたことで、生産管理の大切さの実感を持つことができたのと、計画とフォローの実務能力がつきました。

(設計)
・そこから設計部門に異動になりました。自部署に設備やシステムを導入する仕事をしていたことから、社内外のお客さまに対して、商品としてお納めすることが仕事になりました。
・結局、一番長くやる仕事になり、どうすれば誰でも良い設計ができるのかみたいなことを日々追求する過程で、いろいろな個別技法を身につけるきっかけになっています。
・なお、屋号の「まじわるデザイン」のデザインは、この「設計」です。

(HACCP、GMP)
・一時期、食品や医薬品の工場計画を担当する機会がありました。このときに、HACCPやGMPのことを学びました。食品や医薬品も大きな産業分野なので、今につながっていて、食品工場でも感じがわかるのはこのときの経験のおかげです。

(交通工学)
・社内の異動で、道路交通に関わる事業を担当することになりました。それまで全く縁がなかった分野でしたが、世の中のためになるおもしろい内容だったので、直接的に関わること以外にも興味を持つようになりました。

(国際規格)
・仕事の一環で、道路交通関係の国際規格を作る委員会に関わることになり、国際規格(ISOなど)のしくみや運用を知る機会がありました。
・こういう競争もあるんだなあと世界の見方が変わりました。

(ISO9000シリーズ)
・あらたに所属した組織は、社内でもモデルケースでISO9001の認証を受けたところで、私自身は認証を受けた後に異動してきたのですが、設計部門の代表として監査対応などを受ける立場になりました。
・私の不注意な対応で認証取り消しになったらえらいこっちゃということもあり、規格の原文を読み込んだりして研究しました。
・やっているときは、正直めんどうくさいなあという感じでしたが、開業して、中小企業さんのお手伝いをする上では、その当時、外部監査員の人たちに指摘されたようなことを自分で言っているわけで、とても役に立ってます。 

(プロジェクト管理)
・社内で、プロジェクトマネジメント人財を増やそうという動きがあり、それに乗って、PMP(プロジェクトマネジメント・プロフェッショナル)の取得のための学習をして合格しました。
・それまで自己流でやっていたプロジェクト管理を、こんなにきれいに体系化できるということが衝撃で、その後は、PMP的仕事の仕方がベースになりましたので、人生の一大転機になっています。

(会計)
・設計をやっているときは、多くのプロジェクトのコスト見積をやりましたので、コスト項目をヌケモレなく洗い出すことと、それぞれの項目が「これぐらいでできるだろう」という実際的金銭感覚は身につきました。
・部門全体管理を担当するようになって、数百億円規模の損益管理という経験ができました。数字は正直で、何かするとちゃんと変わるということがよくわかりました。なので、いわゆる原価管理は得意分野です。
・そんな経験があったので、開業準備でキャッシュフローコーチ養成塾(後述)に入ったときもお金の分野は楽勝だろうというつもりでいたら、損益管理でも利益処分からバランスシートまでの部分が自分の知識からすっぽり抜けていて、これじゃあ中小企業さんのお手伝いができないなあと痛感しました。
・開業の後、いくつかの企業さんで決算書から財務的な改善案を検討するような機会があり、そこで役に立つレベルの会計知識を獲得しました。今は、いろいろな立場の方にわかりやすく、損益計算書と貸借対照表のお話ができるようになりましたので、ここはこれぐらいでよさそうです。

(組織・人事)
・いわゆる人事のことは好きではなかったのですが、立場上しょうがなくやってました。前職は歴史ある硬い会社でしたので、人事や組織関係のいろいろなルールがきっちりとできあがっていて、事業部門のこっち側が何か変わったことをやろうとすると、総務や人事部門の人から、「それはできません。なぜならば・・・」と懇切ていねいに教えてもらってました。そういうやりとりが、今の企業さんのお手伝いの仕事にとても役にたっています。そのときに自分が言われたことをお客さまに言っているわけで。

(ファシリテーション)
・そうこうしているうちに、人に気持ちよく仕事してもらう方の仕事が中心になってきて、ファシリテーションという技法があることを知りました。
・コミュニケーション苦手な私としては、やり方でカバーをしようということで、ファシリテーションに関する本を読んだり、セミナー出たりしました。「あり方」はともかく「やり方」はたくさん仕入れました。

(学習する組織)
・ファシリテーションを研究している過程で、「学習する組織」にたどりつきました。
・ネーミングが魅力的で、自分がいる組織を学習する組織にしようといろいろやってみましたが、在職中は自己流だったこともあり満足できるレベルにはなりませんでした。
・開業してより自由に学習ができるようになり、学習する組織のうちの自己マスタリーやシステム思考などの個々の要素について、良い先生を見つけてじっくり手ほどきをうけることで、近ごろようやく関与する組織に実装ができるようになりました。なんと、15年以上かかっています。

(サプライチェーン)
・社内の異動で短期間、全社の調達とりまとめ部門に行きました。調達は設計の大きな要素なので、感じはわかっていましたが、後工程から見ると設計はこう見えるのかというのが気づき。
・また、調達には、いろいろな専門性が必要で、うまくやったら事業全体に良い影響があるということがよくわかりました。

(VE:価値工学)
・調達とりまとめ部門では、調達先さまとの共創活動の全社旗振り役がメインの仕事でした。そのときにメインツールとして使ったのが、VEでした。
・それまでほとんどVEに縁がなかったのですが、あらためて学び直してみると、とっても役に立つ技法だったので、入れ込んで社内に広めておりました。これも今の仕事に生きています。

(技術士)
・東京に単身赴任をしていて時間の余裕があったので、技術士(経営工学部門)を受験することにしました。
・2次試験は、「自分が技術士にふさわしいことを経験を引用しながら証明する」という趣旨の論述試験なので、やってきたことの棚卸ができました。

(デザイン思考)
・ファシリテーションやVEの内容を深めたいということで行き当たったのが、デザイン思考です。本を読んだり、セミナー行ったりしました。
・やり方は断片的に取り込むことができていますが、今後の実践にもっとおりこんでいきたい分野です。

(広報)
・在職中は、自分の担当事業について、展示会の企画・実行やマスコミ活用のためのプレスリリースなどをやっていました。
・開業後、おともだちたちと社会課題解決のための活動を行う上で、広報活動が必要になり、いろいろ試してみています。
・また、神戸市さんのイベントでできたおともだちに広報の専門家がいて、その人と、小さな団体さんをお手伝いするための「小さな広報研究会」を作って、知見を広めています。
・良いことをしているのに、世に知られていない人たちはたくさんおられるので、広報の実務は大切。今後も強化したい分野です。

(労働・社会保険諸法令)
・そろそろ開業するかとなったときに、独占業務がある社労士資格をとっておこうと考えました。実は、若いころにも一度受験しようとしたことがあり、楽にとれると考えてました。
・しかし、とんでもなく難しくなっており、1回目は落ちたので予備校通いになりましたが、予備校での「あなた方は法律の専門家になるのですよ」のひとことで開眼して、法律としての学び方から取り組んだら理解ができるようになりました。2回目で合格してよかったです。3回目の受験はさすがにムリ。

(事業支援者の基本)
・事業支援者になるためには、お金についての知識が足らないなということで、日本キャッシュフローコーチ協会のキャッシュフローコーチ養成塾に通いました。
・お金のことがわかっただけでなく、事業支援者としての基本的なあり方とやり方を広く学ぶことができてよかったです。キャッシュフローコーチとの出会いがなかったら、今の形での仕事はできていなかったでしょう。また、良いおともだちがたくさんできているのもよかったです。

(会社法など関連法規)
・開業前にいろいろなことを知ろうとしていた中に、これからのはやりになるだろうということで、スモールM&Aがありました。
・実際はやったのですが、結局、いままでM&Aに直接かかわることはできていません。機会があればやってみたいところ。
・しかし、法人の作り方などに触れることができたので、実際に、一般社団法人や株式会社を設立したり、宗教法人を解散したりと、ちょっと変わった分野の仕事ができるようになりました。

(日本酒)
・それぞれ別のところで知り合ったおともだちがそれぞれに日本酒(業界)に愛着をもっておられたので、そのお二人をつなぐところから、「小さな酒蔵未来経営研究会」という団体を作ることになりました。
・私自身は日本酒は苦手だったのですが、日本酒のことを学んだり、蔵主さんたちとおともだちになったり、酒蔵さん訪問をしたりするようになって、おもしろい分野だと感じるようになりました。一生つきあうことができそうです。

(社会課題解決)
・前職では社会インフラに関わる事業を担当していて、道路渋滞という社会課題を解決しますということをテーマにしていました。
・開業したときに、これからはもう少し身近な社会課題解決に関わっていこうということで、立教大学の「ソーシャルデザイン」のコースに参加したり、周辺地域のセミナーなどに参加したりしました。
・これからは、仕事の中心を地元にしていくつもりなので、この分野が大切になってきそうです。

(公的年金)
・社労士会の「高度年金・将来設計コンサルタント」という研修コースに参加して、ファイナンシャルプランナーさんがやるような領域であったり、確定拠出年金等の導入であったりということを学びました。
・現時点ではあまり出番のない知見ですが、先々、成年後見人をやるときには生きてきそうです。

(福祉分野)
・開業初期からのお客さまが訪問介護事業をやっておられて、その後も周辺に事業を拡大したので、福祉分野のこともわかるようになりました。
・どういう仕事の中身か実感したかったので、神戸市さんの「生活支援訪問サービス従事者」の研修を受けました。実際に介護の仕事をしようと思えばできるのですが、自分にはちょっとムリ。

(チームづくり)
・日本チームビルディング協会の「ファシリテーター講座」の栄えある第1期を受講しました。
・「学習する組織」は、コンセプトとしては秀逸なのですが、実現のための体系的なツールがないのが困るところです。氷山モデルやループ図などはすばらしいツールですが、どうやって実装するかは悩ましい。良いものがないかずっと探していたら、アクションラーニングをベースにした、この講座に出会うことができました。この講座受講以降、事業のお手伝いのやり方がごろっと変わりました。

(年金相談)
・先々のことを考えて長くできる仕事を見つけておこうということで、年金相談員のトレーニングを受けました。
・社労士の試験に合格していたので、関連の経験がなくてもなんとかなるだろうと考えていましたが、始めてみるととんでもなく大変。どういうことでも何とかなるというのが今まででしたが、人生で初めて、これはできるようになるのはムリかもと考えました。
・周りの方々のサポートのおかげで、相談員実務をよろよろとスタートしています。ここが学びの現在地です。

写真は、香川県善通寺市の善通寺駅前の黒板アート。善通寺周辺は黒板に関する産業集積があるところで、市内あちこちに黒板アートがあります。
学びには黒板がつきもの。
===誰一人取り残さない===



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