スリランカ観光(シリギヤロック)
スリランカ滞在中は、宿泊でお世話になったコテージのオーナーさん(Ravinさん)に旅程をアレンジしてもらった。
8時過ぎに国歌が流れ始めると、それまで落ち葉をはいていた作業員が仕事をピタッと止めて直立不動。時間の流れは、とてもゆっくり。
シギリヤロック登頂
海抜より360m。地上より200mの高さの岩山だ。
階段の段数は1,200段ある。
長い階段を登りながら当時の歴史に想いを馳せながら、シギリヤ ロックの頂上へと歩みを進める。
シーギリヤ・ロックにまつわる歴史
シーギリヤ・ロックは古代から仏教僧の修行場だった。
この修行場に住んでいた仏教徒を追い出し、華麗なる王宮を建てて住んだのが「カーシャパ(Kasyapa)」である。
カーシャパの父親は、ダートゥセーナ王(King Dhatusena)であり459年〜477年にヌアラーダプラを統治し広大な貯水池を建造した偉大なる人だった。
話は脱線するが、この時代の治水の技術には驚かされる。水を居住区にひき、貯める技術が約1500年前からあったことをうかがい知ることができる。
ダートゥセーナ王には長男のカーシャパの他、腹違いの弟「モッガラーナ(Moggallana)」がいた。
弟(モッガラーナ)の母親は王族の血筋の女性であり、自分(カーシャパ)の母親は平民の血筋の女性だった。
そのような状況にあった、カーシャパはモッガラーナに王位の継承権を奪われるのを恐れて、実の父ダートゥセーナ王を監禁。王位を剥奪した。
弟のモッガラーナは、兄のカーシャパの愚行に憎しみを抱きながら、南インドに亡命した。その後にカーシャパは、父親であるダートゥセーナ王にこのように言った。
「隠している財産をすべてだせ!」
父はそれに応えず、息子には自分が建設した貯水池カラー・ウェア(Kala Wewa)に連れて行き「これが全ての財産だ」と言った。怒りに震えたカーシャパは父に恨みをもち、家臣に命じて父親を殺めてしまう。
岩山を登ると、雨水を集める為に岩を削ったのだろう。
創意工夫の跡がみられる。
弟からの復讐を恐れたカーシャパは、この頂上に宮殿を作ったのであった。
非常に入り組んだ構造の岩山だ。
今となっては階段や手すりがあるため、幾らか登りやすくなっているが当時は大変だっただろう。
それが故、弟や親族(などの敵陣)が攻めてきたとしても交戦に有利になるような作りになっている。
ガイドブック等には、シギーリヤロックは「謎の宮殿」、カーシャパは「狂気の王」と呼ばれている。歴史を紐解けば納得させられる。
シギーリヤ・ロックにはエキゾチックな微笑みを浮かばせる女性の壁画がある。山の中腹にある、この写真のみ撮影が可能。岩山を登って生活をしていたためか、線の細い女性が多い。
カーシャパはこのシギリヤ・ロックで11年間にわたってこの国を統治した。
次の写真の下にある一段高くなっているところにカーシャパは座していたようだ。その前にはダンスホールがあったと聞く。女性のダンサーを踊らせて自分の権力を確認していたのだろう。
カーシャパは権力は手にした。しかし、彼は孤独であった。
8時半に登り始めて、休み休み登ると既にお昼近くなっていた。
遺跡入場料は30USDと高いが、是非とも足を運びたいところ。
シリーリヤ・ロックは1982年に世界遺産に登録。スリランカを代表する観光名所である。
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