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ホントはおもしろい現代文__資本主義

◆ホントはおもしろい現代文__資本主義

2022/07/09

現在、私たちのあり方を大きく規定しているのは、おそらく政治でも芸術でもなく、経済であろう。その「経済」とは、資本主義経済。近代以降、急速に発展してきた資本主義経済は、今では、外的環境にとどまらず、僕らの思考や精神にまで深く浸透している。

では、その資本主義とは、いったいどういうものだろうか。岩井克人氏は、それを「差異を媒介して利潤を生み出す方法」であると述べる(「資本主義と『人間』」)。

大航海時代においては、商人が遠くインドやペルシャにまで渡り、絹や胡椒を安く買い付けて、ヨーロッパに持ち帰って高く売り、莫大な利益を得ていた。資本主義の最初の形態である商業資本主義においては、このように、異なる地域の価格の差異を仲立ちすることによって利潤が得られていた。

産業革命の後、工場でモノが大量に生産されるようになると、アダム・スミスらの経済学者は労働者の労働こそが価値を生み出すものであると主張した。
だが、実は、そこで利潤を生み出していたものは、汗水ながして働いた労働者の労働そのものではなくて、作り出された製品の価格と安い労働力との差異であるという。農村で仕事にあぶれた若者が都市に流入し、安価な労働力となって、資本家に利潤をもたらしていたのである。これが産業資本主義である。

このような農村の余剰人口や、その変形である海外の安価な労働力が消えつつある現代は、大量生産や大量消費も難しくなり、それらを利用した利潤追求は不可能になりつつある。

そうした中、モノに代わって商品としての価値を高めているのが情報である。
高度情報化社会においては、情報そのものが価値を持つようになり、あるいは、これまでモノの添え物にすぎなかった情報が価値の中心となり、経済を大きく動かしている。
しかし、その情報とは何であるかと問えば、その本質はまさしく差異である(「ホントはおもしろい現代文—情報」参照)。従って、ここでも、差異が利潤を生み出していると言える。

このように、商業資本主義からポスト産業資本主義に至るまで、一貫して、資本主義は、差異から利潤を作り出すことをその原理としてきた。

筆者は、ここから、資本主義の歴史において人間が中心であったことは一度もなかったと結論付ける。そして、フロイトの言葉を引用しながら、これが、「人間の自己愛の傷」のひとつであるとしている。

そうすると、私たちがこの社会において幸福を追求するとき、経済的価値観や論理に依存することのあやうさが見えてくる。確たる実体をもたない差異を根拠とする論理は常に流動的で、時に恣意的にならざるを得ない。こうした観点が、支配的に働く論理を相対化する一助となるのではないかと思われる。


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