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18歳で学部決めるのって渋い。

今後、ゆるっと読みやすい記事を書こうかなと思います。そっちの方が続きそうなので。

今回は、日本で学んでいると「専攻」を決めるタイミングが早すぎるし、そのくせずっと変えられないという話をしたいと思います。日本にはあまり「専攻」という言葉は馴染んでいないように感じますが、要は学部とか学科で学んでいる「法学」とか「経済学」とかを指しています。

高校3年生で学部決めるのって正直渋い

ここでは、いわゆる文理融合学部は除きます。普通の経済学部や教育学部、法学部などに進学する場合、その分野が18歳(浪人の場合は違うけど)で決めなければなりません。

これの何が問題かというと、(すでに感じている人もいるかもしれませんが)大学に入った後のミスマッチングを起こす可能性をはらんでいることです。大学中退者は、実に10名に1名と言われる昨今、「法学、私無理だわ」とか「経済学ってめっちゃ数学使うやん。だる」みたいな状態が一つの原因となっていると思います。

(ちなみに、筆者の専攻は「教育学」です)

大学で何を学んでいるか、は高校で触れられない

基本的に大学でのいわゆる学問領域に、高校生の段階で触れることはめちゃめちゃ難しいことだと思います。これだけ高大接続と言われていても、「社会科学」と「社会学」と高校の「社会科」の違いをわからない人も多い。

そのくせ専攻を変えることはめちゃめちゃ難しい

ただ、さらに問題なのは大学入学後に「あ、この分野僕にあってない」となった場合でも、学部学科を変えることが普通は無理というように認識されていることです。

私の所属する文学部ですら、教育学専攻から社会学専攻や心理学専攻に転専攻する学生は一握りです(制度上、一握りの入試形態入学者しかできないようになっています)

それに心理的なハードルも高い。すでに人間関係が形成されている他学部・他学科に移るって結構渋いんですよね。

編入学制度が欧米諸国のように整っていない

とはいえ、一応編入試験はあります。所属大学が変わってしまうことが多いですが。ただ、リベンジ受験のように捉えられていたりして、日本全体ではまだまだマイナーな選択肢です。これを使う人も限られてしまう。

じゃあ、他の国ではどうなの?

「専攻」の概念が浸透しているアメリカはどうかというと、通常は2年生の終わりまでに自分の専攻を選択し、それまでは大学で自由に広く学ぶことができるようになっています。

英語でacademic major(専攻)と検索すると、Wikiではこうでてきます。

In the US, students are usually not required to choose their major discipline when first enrolling as an undergraduate. 
Normally students are required to commit by the end of their second academic year at latest, and some schools even disallow students from declaring a major
until this time.

自信がないながら和訳すると、「アメリカでは、通常学生は最初に履修登録するとき、主要な専攻分野を決める必要はない。通常、遅くとも2年の終わりまでに専攻を決める必要があって、ただ学校によっては2年終わりまでに専攻を宣言することを許していない場合もある」ということです。

リベラルアーツと言われるような分野横断的に学ぶことも重視する一方で、3年次以降は「専門性」も重視しようという姿勢が感じ取れます。1・2年の間に自分の専攻を何にするか選べるので、ミスマッチングも起こらなさそう。(これは東京大学教養学部や北海道大学の進学振り分けに似ていますね。気になる方は調べてみて)

なら、文理融合学部にいくべき?

最近よく「文理融合」という言葉を耳にしますね。これが流行った背景には、これまで話してきたような学部のミスマッチングがあると個人的には見ています。

なんでもできるよ!というような趣旨の学部に進学することで、高校生は大学入学後に後悔することを防げるという利点もあると思います。

ただし、これにも注意が必要です。慶應大学の中室先生は、以前こんなことを言っていました。(一語一句合っているわけではないですが、趣旨は同じだと思います)

私の所属している総合政策学部では、毎年「自分が学んでいることは一体なんだったのかわからないまま卒業する学生」が大勢生まれてしまう。

その通りですね。文理融合・なんでもできますよ学部に進学して、専攻(専門分野)を持たないということはそれ自体がリスクでもあります。

自分は大学でこれを学んだのだ!と胸を張って言えないということは、コンプレックスにもなりかねません(そもそも大学生活で勉強しようとか思ってない人には関係ないですが)。

日本型文理融合とアメリカの決定的な違い

日本の文理融合学部は、4年間自由に学び続けられます。一方で、先に述べた通り、アメリカの大学では3年次以降は専攻を定めることが求められるわけです。

いくらリベラル・アーツ(分野横断的に自由に学べる)といっても、専門性も持ちましょうという姿勢は常に存在しています。

逆に日本の場合は、自分の専門分野を持とうという考え方は根付いていません。ここに決定的な違いがあるでしょう。

アメリカの場合は大学院を前提にしている

もう一つ、決定的な違いがあります。

それは、アメリカのリベラル・アーツが大学院進学を見越して、ゆとりのあるものになっているという点です。

どういうことかというと、日本では、主に文系の場合「大学院進学は就職に不利」「そもそも大学院に行く意味はない」と考えられています。これは、日本企業がポテンシャル採用であり、各人の学んできた専門分野と採用が全く関係ないためです。

しかし、アメリカではどのレベルの教育を受けてきたかというのは採用において非常に重要なポイントです。大学院を修了し、修士号・博士号を持っているか/いないかに注目が集まるわけです。

つまり、アメリカでは「幅広く学びましょうね」と言っていられるのは、後々大学院で専門性をつける前提があるからです。

他方、日本の文理融合・横断的に学ぶはそうではないのです。4年間しか学ばないのに専門分野(専攻)を持つことなく、何を学んだのかわからないまま卒業してしまう人が続出しています。

各人のテーマに沿って、必要な分野を必要に応じて学んでいくことは良いことですから、完全に否定するわけではもちろんないのですが、前述した問題が生じていることもまた事実だと思います。

あなたはどうする?

これは完全にこれから進学を控えている高校生・受験生に向けたものですが、志望している学部の入門書を手に入れて読んでみましょう。おすすめは、有斐閣アルマとか有斐閣ストゥディアなどの「大学生の入門教科書」シリーズです。分野の学びに納得して入学して欲しいものです。

あるいは、これだ!という確固たるテーマ(障害者雇用とか若者の政治参画とか)を決めて文理融合学部で、それを軸に学ぶというのもありかもしれません。

いったん、終わり。

番外編 : 高等専門学校の制度的な問題

高専って知ってますか?ロボコンとかで有名ですね。

5年制(高校と短大をくっつけた感じ)の学校で、一般的に工学を学んでいるという印象が強くあながち間違いではないと認識しています。

実は、この「高専」。

設置されるときに強烈な批判がありました。なぜでしょう。

. 5年制って、卒業後に大学進学できないんだから「必ず就職しろ」ってこと?それは選択肢を狭めない?
.  1なのに、決断するのが中学3年生(15歳)って、入って後悔したらどうするの?15歳にそんな大きな決断ができるの?

当時の批判は主に1だったと思います。日本における教育は、いつでも進路を変更できるように保証しなければならないことになっています。

ただ、当時は高専に入る=就職しか道がないという状況でしたので、批判が殺到したんですね。

今は理系学部の高専卒業生向けの編入試験が拡充しましたから、あまりその心配はないのかもしれません。

しかし、それで全て解決でしょうか。

文系学部への進学が絶望的

以前私の友人(高専4年生)がこんなことを言っていました。

高専から文系学部に進学する人はいないし、しようと思ってもできない。3年生で退学して試験を受けることもできるけど、そのための勉強をしてきたわけでもないし、指導してくれる人もいない。

残念ながら高専から文系学部への進学の道はいまだに閉ざされたままです。いや、正確には編入やAO入試を使って入るには入れます。が、圧倒的に不利なのは変わりません。

普通の大学生と違って、他学部履修で編入の専門科目における基礎的な知識をつけることもできませんし、相談する相手もいないのですから。独学でやるにはなかなか酷ですよね。

ここでもう一度注目したいのが、この決断(高専に入ること)はいつ行われたものなのかということです。15歳の時点でここまで将来を見通すことができたでしょうか。

やっぱり日本は「専門」を変えることが難しい

18歳でも専門を決めるのは渋いのに、15歳で「工学だ!」って決めて5年間も勉強して、進路や就職先がある程度定められてしまうのって制度的に問題があるとしか言えません。

せめて、一般的な高等学校と提携してそちらへの転学制度を作るとか、AO入試や公募制の推薦入試(高専からの推薦入試はハードルがもっと高い)が、高専生の受験を前提にしたものに移行させるとか、対策は打った方が良いでしょう。

嘆いてもしょうがないので、今できる全力の対策を!!!

筆者:中央大学文学部教育学専攻 伊藤勇気


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