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鍋奉行な前職の上司とご飯に行った話

前職の時に、部長とエンジニアという関係性でお世話になった人に、久しぶりに会って飯を食った。

彼は、自分が退職するより少し前に転職して、今は外資系のIT企業で、トップセールスの営業マンをやっている。
現行の社会にしっかり向き合って、社会的に評価される結果を出し続け、奥さんや子供をしっかり養っている人だ。

彼は、「サラリーマンとして、やれるところまでやり切った」と言っていて、本当にそうなのだろうな、と思った。
もう、お金や色々な心配がほとんどなくなったフェーズの彼が、次に目指しているのは、自分の内面や本質にしっかり向き合っていく、というフェーズらしい。

その彼からは、僕がその道を先に歩いている人に見えるらしく、
その「道」を歩くのはどんな感じか、何が起きているのか聞いてみたい、と言われた。

僕は、客観的にみたらめっちゃ幸せな場所にいたのに、なぜか全く満たされず、何も楽しくないと感じて、自分の道を追求するルートに歩き出したこと
歩き出すと、色々な出会いに恵まれて、少しずつ進んでいること
自分の道で見つけたものを、他の人の価値になるものにするのがとても大変なこと
自分だけの道なので、最初は一人で、向いていること、向いていないこと、関係なく色々やる必要があり、それが大変なこと

などを話した。


彼は、鍋奉行で、肉や野菜を焼くのが好きなんだ、と言って、年下の僕にずっと肉や野菜を焼いてくれていた。
でも、そこには無理が一切なかったので、僕はただありがたく肉を食べていた。

一方、僕は、「やってくれ」と言われたら鍋奉行をやれるけど、正直誰かがやってくれるなら自分はやりたくない。色々気を使うことが疲れるからだ。

彼が、肉を焼き、彼の話をする
僕が、それを聞き、自分の話をする

この関係性で、
僕は、自分の話や考えが、彼の今後の人生のヒントやインスピレーションになって嬉しい。しっかり今の社会でうまくやっている人から、自分がどうやって渡っていけるか、のアドバイスを受けられて嬉しい。あと、肉が食べれて嬉しい
彼は、自分の人生の見通しや、アートの世界の考え方がしれて嬉しい。あと、肉を焼いて食べれて嬉しい

この、お互いが無理をしていないのに、お互いの嬉しさが生まれている関係

自分はただ、この関係性の網をどんどん広げていけばいいんだろうな、と思った。

僕にとっての「鍋奉行」になっていることは、これからどんどん人にお願いしていけばいい。
必ず、それを自然にやれて、好きな人がいるから。人は、想像以上に違う。

自分が我慢を止めると、我慢していたことに空席ができる。
その空席には、それを我慢せずに、熱中して自然にやれる人に座ってもらう。

椅子取りゲームじゃなくて、席の譲り合い

あわなくなった席を譲れないのは、今までの自分への執着や、想像の中の他人の目線や、意地や、プライド、色々な理由がある。

しがみついていても、必ず席から離れる時は来る。

ならば、できるだけ軽やかに席を譲ろうと思った。
僕は、そのほうが美しいと思う。

そんな感じで、それぞれの人が、自分にとって最高の席で、この人生というゲームのプレイヤーとして、遊びきれるといいな、と思った夜だった。

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