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仲間、友人、ファン、クライアント

ここ数年、「仲間」と、「友人」と、「ファン」と、「クライアント」の区別をつけていなかったのが、自分の人間関係のストレスの原因だった気がしてる。


「仲間」の定義は、「共通の目標に向かって、お互いに身銭を切りながら進んでいく人」

「友人」の定義は、「目標は違うが、人間として好きで、一緒に遊びたい、定期的に会いたいと思える人」

「ファン」の定義は、「自分の活動に興味を持ってくれて、応援してくれる人」

「クライアント」の定義は、「自分の活動に価値を感じて、対価・報酬を支払ってくれる人」


今までは、そこに垣根を設けず、判断をせずに、
人を人として見ていくことで、いろんな人と出会い、知り合い、仲良くなることができた。

フェーズとして、その分け隔てがない時期は必要だった。

今の自分には、自分の活動を現実的に支援してくれる「ファン」または「クライアント」が一番必要で、彼らに向き合う時間を一番大事にするべき。

「友達」と過ごす時間が全くなくなると、自分のことを誰も気に留めてないんじゃないか、
とか、
不安に取り憑かれて、パフォーマンスが落ちるから、その時間も大事。

ただ、「友達」と過ごす時間が多すぎると、その時間は、金もどんどん減っていくし、自分のやってる活動のレベルを直接的に上げることには繋がりづらい。

自分の中で
・直接的に人生を前に進めることになる人と過ごす時間
・純粋に楽しめる人と過ごす時間
・対価・報酬を支払ってくれる人と過ごす時間

このバランス、割合を、常にベストで保っていく。

相手は「仲間」だと思っているが、自分は「クライアント」または「友人」の場合や、
相手は「友人」と思っているが、自分は「ファン」だと思っている場合

そういった関係性が生まれた時に、自分で関係性の調整をしないと、どんどん自分が息苦しくなった。

「仲間」だと思っていたが、活動が続くにつれ、お互いの目標が変わり、「友人」になっていった人たちの目線に合わせて、無料労働している気分になっていたのが、自分の中でのフラストレーションになっていた、ということに気づいた。

自分と友達になりたい人がいてくれるのは、もちろんありがたいことだし、友達は大事にするのが良い。

ただ、自分の人生を賭けて達成したいビジョンがハッキリしてきて、その為にアーティスト活動をしていて、そのアーティスト活動を前に進める為に全てを賭けている。

その状態の自分と
「日々楽しくやりたいなぁ」
「サーダンと仲良く遊びたいなぁ」
「やりたいことはよく分からないけど、とりあえず誰かと一緒にいたいなぁ」という思いの人は、「友達」や「ファン」ではありうるかもしれないけど、「仲間」にはなれない。

ハッキリ言って、自分と会うならば、金を払って欲しい、と思うときもある。

この態度を表面化すると、友達すらも離れていくことがあるので、インターネット上にこの言葉を提示するのは、リスクが高いかもしれない。


冷酷だと昔は思っていたが、我慢して最後に関係性を壊すよりは、キッパリと断る方がマシだ。

また、「仲間になりたい」という思いが相手にあったとしても、能力やその時の経済状況、健康状態などを考慮して「今、この人と一緒の船に乗ることはできないな」と切り捨てる判断も必要になる。

一人の人が、「仲間」でもあり、「友人」でもあり、「ファン」でもある、という時、事態はややこしくなるときもある。

そういう関係性の時こそ、「いま、我々はどういう関係性で接しているのか」を意識的に切り替えていくのが大事になる。

そうでなければ、自分が「仲間」として果たしていない責務を、「いや、だって友人だろ?」と逃げることになるからだ。

実際の人間関係は、常にダイナミックに変化していく。

「ファン」からはじまり、「仲間」になる場合
純粋な仲間を選ぶ時より、判断基準が甘くなってしまうことがあった。
「友人」の位置から、「クライアント」としての要求をされる場合もあった。

本当に一緒にできる「仲間」は、なかなか見つかるわけがない。
自分のビジョンがユニークなものであればあるほど、最初は誰にも理解されない。
そこで妥協して、「仲間」のハードルを下げると、ロクなことにはならない。

結果、自分が「仲間」にするのは、いま、自分一人でいいことに気づいたので、海外へ旅に出ることにした。

「友達」や「ファン」や「クライアント」にたくさん支えられたことに気づいたので、旅に出ることにした。

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