人生何も面白くない人が、ちょっと前に進む現実的な方法①: 「しなければ」の呪縛を外す

こんにちは。
少し前に、思い立って学生さん、新社会人さんを中心に無料でコーチングセッションをしていた時期がありました。
(今も募集中です。しばらくは無料でコーチングいたします。ご興味ある方は https://twitter.com/galgorillaZ にDMを下さい。)

10人強ほどのセッションをして、みなさん、それぞれ大変な思いを抱えたり、それぞれのやりたいことに向かおうとしたり、自分に向き合おうとしていて、美しく、素敵でした。

また、正式?にコーチングを始める前から、僕はよく人に悩みの相談をされることがありました。
その経験から、ある程度人々の悩みを抽象的に見ると、いくつかの「根本的な悩み」に収束するということに気づきました。
なので、今回はそれらの悩みのうちの一つについて、自分の経験を踏まえ「こうすると少し楽になるかもね?」という視点で、お伝えしてみようと思います。
遥か彼方の雲の上の高みから、成功者として「お前らはこうするべきだ!!」というアレではなく、「ああ、穴に落ちた時はこうすると出れたよ!」という等身大の解決策、「やけどしたときのアロエ」みたいな感じで読むと効果的だと思います。

やけどに効きましたら、アロエヨーグルト代として記事購入やサポートをしていただけると、幸いです。


誰が書いているの?

人が書いた話を参考にするかしないかは、その人が今どのような人生を送っていて、ある部分でその人のようになりたいかどうか、で決めるべきだと思っています。なので、少し自分のことを書きます。

経歴的な部分はこちらのnotionの記事を見てください。

今27歳です。新卒で2年半ほどソフトウェアエンジニアとして勤めた会社をこの前退職して、個人の名前で食べて行こうといろいろなことを始めました。
収入は仕事をしていた時と比べて落ちましたが、今は自分に正直に、自分の時間のコントロールを持って暮らしているので、大分ストレスは減りました。
その状態で、少しずつ自分の好きなことを軸にして他人に価値を提供して、それで生きていこうとベースを構築し始めています。

他者から見るとそれなりになんでもそつなくこなしているように見えるようですが、常に「なんかこれは俺がやるべきことではない気がする」という気持ちがまとわりついていて、天才的な才能を幼少期から発揮して、悩みなく一つのことに打ち込んで、何か圧倒的な成果を残した存在でもないです。

3ヶ国語が話せて、プログラミング未経験から3ヶ月でメガベンエンジニアになって、高校の時部活で日本一になり、大学院海外留学したみたいな、人によってはSNSでアピールするような経歴やスキルは持っていますが、それはどうでもよくて、自分が本当に納得のいく大きな「仕事」を成すために、日々色々やってます。

そういう意味では、僕はまだ自分に満足できていません。
ただ、今の方向に進んでいる自分のことは、かっこいいと思うし、好きです。
そんな自分だからこそ、人の持っている等身大の悩みに対して、解像度高く、リアリティを持ってどうすればいいかを考えられると思っています。

何が好きなのか、何をやっているときが幸せなのかが、「やらなければならないこと」をやりすぎて分からなくなっている人が多い

いろんな人の話を聞いていて、結局、なんとも言えない満たされない感じは、この問題に収束する人が多いなあ、と思いました。
学生に限らず、働かれている人でもよく見られるパターンだな、と思います。
「やらなきゃいけないこと」をずっとやっていると、心の防御反応として、それに対して嫌な気持ちがしている自分の心と身体を見ないようになります。自分の心と身体で感じていることへの、センサーが鈍っている状態です。

で、その状態で分かりやすいギャンブルや暴飲暴食や恋愛依存に浸ったりして、それが「俺のやりたいことだ!」ってしたりする人もいるのですが、結局満たされません。

また、「やらなければいけないことを、どうすればやらなくて済むか」を考えることに無意識にリソースを使うようになるので、パフォーマンスもどんどん落ちていきます。
この状態で、「何がやりたいか」を考えても、何も出てこないんですよね。

お話しした学生さんの中にも、何人かこの状態に近い人がいました。
僕も、数年に一度その状態に陥るのですが、一番ヤバい時に書いていた文章が出てきたので貼っておきます。

「なんにも面白くない」
中指を立てる何かがあったら、どれだけラクだろうに
ただ生きることができない生き物、それが人間
空気吸って吐くだけなら、別に生きたくないと思ってる

仕事が面倒くさい、生きるのも面倒くさい、死ぬのも面倒くさい、こうして思考が生まれているのも面倒くさい


メシを食うために生きる?何も感じない そんなに楽しいか?メシ

子供のために生きる?
何も感じない そんなに楽しいか?こども
仕事のために生きる?何も感じない そんなに楽しいか?仕事
生きる辛さを忘れるために、とりあえずの生きる意味を取り繕うのに疲れた。すぐ変わってしまうから。

全部に飽きた。何かをやればやるほど、どんどん飽きていく。
飽きていくから、やれることがどんどん減っていく。

「うっわ、こいつ大分やられてるなぁ〜」
と今なら笑って読み返せるけど、こういう状態に人はなるときが誰でもあると思います。
こういう時期が悪いもので、すぐ解決するべき、とは僕は思いませんし、他人のこういう状態を笑い飛ばそうとも思いません。

「しなければ」の呪縛を外す

先ほど書いたような状態は、「すぐ解決しなければ!」と思うほどドツボにハマります。

「しなければ」でがんじがらめになってしまっている状態。

これはなんというか、「腹減ってる」、「眠い」、「お腹痛い」みたいな、人間の心の状態の変化なので、一生続くわけではない、というのは心に留めておくと楽だと思います。

「しなければ」状態にある人は、休めるのであれば、できれば1ヶ月くらい決めて、徹底的に何もしない時間を作ってみてください。
まあ、色々な他人の目や経済的な不安、将来への不安を振り払って、その勇気を出すことや、実際の生活を成り立たせることが難しいんですけどね... (ひろゆきやプロ奢みたいな、Youtube / SNSの有名人に相談すると、半笑いで、気軽に生活保護を受けろ!とか言ってくるアレを思い出しながら)
家族や支援をしてくれる関係性にある友人がいるならば、思い切って「ちょっと今もう色々無理になってきたから、一ヶ月休ませて。お金を貸してください。」と言えばいいと思います。
そうでなく、すぐに頼れそうな友人も思いつかなければ、仕事を辞めて失業保険や生活保護を取って見るのもいいかもしれません。

そして、休んだ後、または休んでいる時に、一旦「自分がやるべきことをやらずに休んでいる」ということを棚に上げて

・「それで食っていけるのか」
・「就職/今後のキャリアに有利か、役に立つか」
・「周りに尊敬されるか(いいねがもらえるか、フォロワーが増えるか、モテるか)」
・「今の自分の能力・身の丈にあっているか」
・「他にもっとできる人がいるのに、なぜ自分がそれをやるのか」
・「年齢的にこんなことをしてる場合なのか」
・「ブルーオーシャン、レッドーオーシャン、社会課題、バリュー、マーケット...etc」

みたいなことを抜きにして、 無条件かつシンプルに、自分が今やりたいことだけ、どんなにしょうもなくても、やってみましょう。
リストアップした言葉、特に自分を心配してくれる親や先生や近しい友人や上司にかけられやすいんですけど、これに従って何か行動を起こすと、結局「やらなければならないこと」をやることになり、いつか限界が来て、それすらもできなくなります。
というか、「やらなければならないこと」を感情を抜きに淡々とできる人は、そもそもこの記事を読まないと思うので、いま迷っていて、動けない人は、一旦その世界から離れましょう。

離れた上で、まずは自分の「やりたい事」、「心がワクワクすること」を軸に、「やらなければならないこと」、「稼げること」をくっつけていく感じで生活をデザインしていく感じでやると、精神が安定すると思います。


ぼくの場合、一旦頭を空っぽにしてやりたくなったのは、バク転教室に行くことと、ラップと、カポエイラと、自転車で爆走することと、風来のシレンの実況動画を観ることだったので、仕事をサボってそれだけをやりました。

その結果、身体を鍛えていたおかげで、仕事を辞めた後にスポーツ系モデルの仕事が入ってきたり、ラップをしていたお陰で今までやったことのないライブへのお誘いが来たり、そこから新しい人間関係が広がって、別の領域での仕事が入ってきたりしました。

そして、「あれ、今の生活でこんなにお金もらっても、結局辛さを誤魔化すためにお金使ってるから、結局俺が欲しいのってお金より時間の自由なんじゃね?」と気づいてから、すぐに仕事を辞めました。

そういう風に、好きなことベースで動くと、世界の複雑性・不確実性が自分の味方として動いているような感覚になれるので、おすすめです。

まとめると、「まず一旦休んで、いろんなしがらみ忘れて、やりたいことやろう。絶対それが後で繋がるから。」です。

13歳のハローワーク公式サイト 職業調べ「好きで調べる:何も好きなことがないとがっかりした子のための特別編:何もしない・寝ているのが好き」より
何をやるにも面倒で、とにかく寝ているのが好きという子は意外に多い。いつも脱力感があり、勉強もスポーツも恋愛もばかばかしくてやる気になれないというような子だ。そういった子は大きく2つのタイプに分けることができる。1つは、大物で、学校の勉強やスポーツという常識的な枠からはみ出した才能を持っている場合だ。もう1つは、本来何かを見つけたり、何かに打ち込むための好奇心やエネルギーを、学校の先生や親、あるいはいじめっ子からうばわれてしまった子だ。
大物のほうは、放っておいても、いずれ自分が打ち込むべき何かを見つける。問題は、好奇心やエネルギーをうばわれてしまった子だが、そういった子は社会の助けが必要だ。そういった子は、マグマのように、本当は心にもからだにもエネルギーがたまっていることが多い。社会的な助けがあれば、そのエネルギーを解放するのはむずかしいことではないし、そういった子が大物に変身して、偉大なことを成し遂げる可能性もある。  
(https://www.13hw.com/jobidx/jobfavjobs.html?c=other&f=08)

おわりに: 「しなければ」が強い日本社会

僕が相談に乗っていた学生は、建築学科出身の学生が多かったです。
建築学科のカリキュラムは、とてもつらいです。
何が辛いかに関してはこの記事では割愛しますが、デザイン系の学生の場合、多くはセレクションをベースとした巨匠建築家育成プログラムを受けるので、9割の学生はセレクションされないことで、常に否定され続けているような感覚に陥るのだと思います。
それが続くと、自分の選択は常に何か間違っているのではないか、自分を否定することでしか人は前に進めない、という思考のバイアスがかかります。
よりよいものを作るための否定・批評だとは思うのですが、多分自分にそういう声をかけた上で進んでいくのは、効率的ではないです。
なんというか、心のバケツに穴が開いた状態で、水を必死に入れようとしている感じ。
高校生の時に部活文化にどっぷり浸かって、その後建築のデザイン系に進んである程度真面目にやった経験から考えても、「んー、あの否定、なかった方が前に進めたな」と僕は思います。

「あの辛い日々があったお陰で、今の俺がある」
というのは、辛かった日々を美化したいという個人の願望が入っていると思います。
だって、辛くなくても結果が出ていたということを認めてしまうと、自分はなんのためにあんな辛い思いをしていたか、分からなくなりますからね。

そもそも、日本の教育システムが、自分のできないところに注目しやすいようなものになっていると思います。
テストや受験勉強も、得意を伸ばしたとしてもせいぜい100点以上にはなりません。
なので、効率的に限られた枠に選ばれる為には、苦手な部分を平均点に近づけていくようなスタイルで学習を進めるのが普通かと思います。

「石の上にも三年」
「ここで踏ん張れない奴は他どこ行ってもダメ」
「辛さを乗り越えた先にしか見えないものがある」

こういう言葉が、知らない間に人々を「しなければ」の呪縛に縛り付けていきます。
マジで、しなければならないことはないし、多分楽しんでるうちに圧倒的な成果を出す、みたいなことは可能なので、みなさんその方向でやっていきましょう。
僕はそれを証明する為に今色々やってます。

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