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AI のシンギュラリティの前にジャパニーズ・シンギュラリティが来る

少し前には,人工知能つまり AI のシンギュラリティの話が世間を賑わせていました。最近,AI の技術が急速に進歩し,実用的な問題も急にAI で解決可能になったことにより,このままのスピードで AI の技術が進歩し続けると,今,人間がやっている仕事の多くがコンピュータに奪われ,いずれ AI の能力が人間の能力と同等となるシンギュラリティを迎えるというものです(通常は,その後,人間の能力を超えるという意味を含みます)。シンギュラリティとはもともと数学の用語で,singularity point,和訳すると特異点という意味です。こう書くと何かミステリアスな感じがしますが,例えば,f(x) = 1/( x - 1 ) という関数で,x が 1 に近づくと分母が急速に小さくなって,f(x) の値が急激に無限大に向かい,x = 1 でその値が定義できない特異な点に至ります。これが特異点です。つまり,x = 1 の直前までは普通に x の値を f(x) = 1/( x - 1 ) に代入すれば,その値を計算できていた関数が,急に x = 1 で状況が変わって計算ができなくなることから,特異点は状況の急激な変化を意味します。AI のシンギュラリティは,この比喩とも言え,AI の技術が進歩することで,コンピュータに仕事が奪われるにしても,基本的には,我々がやらなければいけない面倒なことをコンピュータが肩代わりして,どんどん社会が便利になっていくのですが,AI の能力が人間の能力と同等となるシンギュラリティを迎えてしまうと,どんどん社会が便利になるというこれまでの流れとは全く違った,予測不能な状況になるという意味です。これが AI による人間の支配だ,などと言うのはSF小説作家の仕事で,学術的には,どうなるか全く分からないというのが正しいところだと思います。こう書くと,AI のシンギュラリティもなかなか不安でいっぱいなのですが,日本には,それより前に,ジャパニーズ・シンギュラリティが来るというのが私の見方です。

ジャパニーズ・シンギュラリティという言葉は,私が勝手に使っている言葉で,特に世間で知られている訳ではありません。また,AI とも少しは関係していますが,大きく関係している訳でもありません。みなさんも最近では,Google 翻訳などの自動翻訳の技術が大幅に進歩しているのに気づいていると思います。また,Alexa, OK Google, Siri といった音声認識も実用の域に達し,ラジオのニュースも合成音声が多くなってきています。ポケトークという自動翻訳機まで出ています。つまり,音声認識,自動翻訳,音声合成の一連の技術がどんどん進化し,日本語のまま外国語を話す人と意思疎通ができる未来はすぐそこです。こう話すと,呑気に海外旅行が便利になるなんて考える人も多いと思いますが,実は,その逆が問題なのです。日本語のまま外国語を話す人と意思疎通ができるということは,外国語のまま日本語を話す人と意思疎通ができるということです。日本には,1 億 2 千万人を超える大きな人口とマーケットがあります。そして,その多くが英語を喋らない特殊な国です。外国のニュースなんかを見て気づくことがありませんか。外国では政治家も一般人も英語でインタビューされると,多くの人が英語で受け答えをしています。非英語圏の外国の大学に行くと,そもそもその国の言葉で全ての教科書がある訳ではなく,英語の教科書がそのまま使われています(かつてはフランス語やドイツ語というところも多かったと思いますが,最近では圧倒的に英語です)。日本は,良くも悪くも,1 億 2 千万人を超える大きな人口とマーケットのお陰で,日本語を聞いて話せて読み書きできれば,商売も勉強もできます。大学の教科書もほとんど日本語で用意されています。実は,こんな国はほとんどないのです。この「日本語の壁」のせいで,日本人は,外国語,特に英語の習得に苦労してきましたが,逆に,アメリカを中心とした英語圏の企業は,簡単に日本に進出することができなかったのです。ところが,音声認識,自動翻訳,音声合成の一連の技術の進歩によって,英語圏の企業は,簡単に日本のマーケットに入って来ることができるようになります。日本語の壁のお陰で,日本の企業がやってきた仕事も英語圏の企業ができるようになります。こうなると何が起こるでしょうか。デジタル化の遅れた日本企業は仕事の効率が悪く,仕事の効率がよい英語圏の企業に仕事を奪われます。次に,労働市場です。日本語を流暢に話すことができるという理由で,価値のあった日本人労働者は,もはやその価値を失い,英語圏の労働者と仕事の能力だけで比較されることになります。このとき,少なからず一定程度の日本人労働者は外国人労働者に置き換えられることになります。さらに,最近進んだリモート化の流れで,地理的に日本に住んでいない外国人労働者とも単純に仕事の能力だけで比較されることになります。インターネットが,国境のない,世界に唯一の共通の空間であることを忘れてはいけません。私は,この現象を,日本語および日本人,すなわちジャパニーズに関するシンギュラリティということでジャパニーズ・シンギュラリティと呼んでいます。つまり,音声認識,自動翻訳,音声合成の一連の技術が,翻訳家や通訳といった人たちの能力と同等となり,それを超えていくという意味のシンギュラリティですね。

私は,AI のシンギュラリティの前にジャパニーズ・シンギュラリティが来るのは間違いないと思っています。最近,下がり続けているとはいえ,比較的所得水準の高い 1 億 2 千万人を超える大きな人口とマーケットは,英語圏の企業からみると相当魅力的です。音声認識,自動翻訳,音声合成の一連の技術が,実用レベルに進化すれば,間違いなく,日本のマーケットは美味しいターゲットです。AI のシンギュラリティよりもジャパニーズ・シンギュラリティを心配すべきと考えるのは私だけでしょうか。

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