コマーシャルから見えてくること

日本のテレビあるいはネットのコマーシャルには,みんな持ってるよ,みんなやってるよ,と呼びかけて来るものが多い。そして,映像と音で,親しみのわく雰囲気を演出する。一方,欧米のコマーシャルは,未だ誰も持っていない新しいものをあなただけにと迫って来るものが多い。映像と音も,これまでに体験したことのない雰囲気を演出しようとする。例えば,最終的に笑わせるタイプのコマーシャルであっても,日本のものは,バカバカしい笑いをとることで親近感を演出するが,欧米のものは,映像などで最初にちょっとした驚きや,なるほどと思わせる気付きを仕込み,その結果からクスッと笑える形にもっていく。もちろん,日本の全てのコマーシャルが日本的ではないし,欧米の全てのコマーシャルが欧米的ではないが,明らかにこの傾向が見られると思う。

欧米の文化では,未だ見たことのない何かを初めて創り出した者へのリスペクトが大きい。物理や経済の法則には発明者の名前が付けられるし,未だ見たことのない何かを創り出した人に莫大な報酬を与えることで,その人がさらに大きな何かを創り出せるようにする。一方,日本の文化では,物理や経済の法則の名前は,その現象を記述したものであるし,報酬も創り出せなかった人とほとんど同じである。新しいものを創り出して多額の報酬を得ると妬まれてしまう。なぜ,こんなに違うのか。

前から見た自動車の見た目,つまり,自動車の顔も比較すると面白い。欧米の自動車は,モデルチェンジを重ねるごとに新たな雰囲気を模索している。常に,新しさと同時に大人の格好良さを両立させようとしている。雰囲気としては,あくまでも美女か男前である。一方,日本の自動車の顔は,基本的にやさしそう,あるいは,親しみやすいオジサンかオバサンの顔だ。時々,格好良さを狙ったものもあるが,その場合,欧米のように大人の格好良さではなく,何かガンダムのような格好良さになる。この違いをどう理解すれば良いのか。

今回の考察は,確かにそこに存在していると思われるが,相当に感覚的なものであるから,論理的な結論は導き出せない。ただし,次のように言えるかもしれない。欧米は,未だ誰も見たことのないものを創りだせることをよしとし,基本的に妬まない。つまり,出し抜くことができる才能や格好良さは素晴らしいもので,賞賛の対象だ。日本は,出し抜かれることを嫌い,みんな一緒で親しみやすいことを好む。出し抜くことができる才能や格好良さは妬みの対象だ。英語の smart は,ずる賢いという意味だが,欧米では,基本的に良い意味に使われる。ずる賢いことは良いことなのだ。もちろん,日本語でずる賢いという言葉にあまり良い意味はない。

ここまで書いてみて,欧米は,やりたいことをできる自由を担保するがその結果は自己責任で,となる。日本は,みんなと同じようにしなければならず,自由は少ないが,ある程度の結果の平等が保証される。どちらも一長一短のような気がするが,現在のイノベーションを第一とする社会には,明らかに欧米の考え方の方が適している気がする。日本経済の低迷は,ここが原因か。

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