日本でイノベーションが難しい理由

イノベーションとは,単なる発明や発見ではなく,その発明・発見により,今までやってきた仕事や物事のやり方を根底から変えてしまい,大きな経済効果(多くの場合は効率化)をもたらすものを指す。例えば,電気通信というイノベーションは,それまで人間が移動することによって行っていた情報伝達を,人間の移動なしに実現するものであり,あわせて,1対多数の情報伝達も実現する。農機具というイノベーションは,それまで人力あるいは家畜の力により行ってきた農耕を,機械の力で実現するもので,1人の農夫により広大な土地を耕すことを可能とする。つまり,イノベーションは,短期的には,それまで必要とした人力を不要にするという意味で,失業を生む。ただし,長期的に見れば,今更,人力で情報伝達をやりたい人(駅伝を職業にしたい人)はいないわけで,時間が経てば,人はイノベーション前の不便かつ大変なやり方で仕事をやりたいとは思わなくなる。

次に,なぜ日本でイノベーションが難しいのか説明する準備として,グローバルな組織と日本の組織の違いを考察しよう。まぁ,グローバルな組織と言ってもアメリカの組織になってしまうが。

アメリカの組織は,一言で言うとトップダウン型である。イノベーションのためのアイデアを持っている人間がそれを実現するために企業する。従業員は,そのアイデアに共感してともに実現を目指す存在である。このため,企業名も「アイデアを出した人の名前 & Company = Co.」,つまり,アイデアを出した人とその実現を目指す仲間たちという名前が多い。企業は,そもそも社会を変えるため,つまり,イノベーションを起こすためにあるという考え方が基本である。働くことの目的として,もちろん,生活費を得ることも重要ではあるが,第一の目的ではない。第一の目的は,イノベーションを実現すること。明らかに,これが経営層の働く目的である。従業員は,それに共鳴し,生活費を得ることを目的としてお手伝いする存在。このため,目的があわなくなってくると転職しやすい。雇用の流動性が高くなる。雇用の流動性が高いということは,転職が当たり前ということ。自分が所属していた企業がイノベーションを起こせない,あるいは,目標とするイノベーションが時代遅れになると会社は潰れるが,あまり悲惨なことではない。より自分にあったイノベーションを目標としている企業に転職するか,あるいは,自分で企業するという選択肢もある。こんな感じで,企業はどんどん新陳代謝していく。実際,GAFAやMicrosoftも若い。長く存続する企業は,長く利益を出し続けられるビジネスモデル(これもイノベーション)が尊敬されるのであって,長く存続していること自体が尊敬されるのではない。起業家は,イノベーションを提案できる人である。そして,イノベーションを実現できた人が経営層となる。この人たちが高学歴であるとは限らない。そして,仕事を奪ってしまうという側面については大きな問題とせず,われわれの仕事や暮らしを便利や楽にしたという側面にスポットライトを当てる。イノベーションにより仕事を奪われた人は,自分たちがそのイノベーションを起こせなかったために仕事を失ったと考える。スティーヴ・ジョブズが iPhone を作ったとき,みな自分たちの暮らしを便利にしたと言って歓迎したが,多くの電機メーカで携帯電話を開発していた人たちの職がなくなったと言って怒る人はいなかった。そんな古くさい携帯電話しか作れない自分たちが悪いと考える。このため,イノベーションを起こしてどれだけ多くの人の仕事を奪えるかが,ビジネスであり,その競争こそが社会の活力だと考えている。

一方,日本の組織は,ボトムアップである。現場がアイデアを出して,経営層が承認する形。アイデアがちょっとした改善なら,うまくいく。経営層は現場を褒める。現場も褒めてもらえて嬉しい。経営層は現場を改善して効率化できるし,自分たちの存在意義が問われる程のアイデアではないから安心していられる。つまり,ウイン−ウインの関係だ。この形は,組織が安定的に長く続くのを目指す場合に有利だろう。経営層は,全体を見た総合判断を行う。この総合判断は,皆から受け入れられる「妥当」なものでなければならない。そして,その総合判断はアイデアよりも重要視される。このため,総合的かつ妥当な判断ができるとされる高学歴の常識派が経営層になる。より高学歴である方が,従業員たちの納得感も高い。働くことの目的は,生活費を得ることが第一になってしまう。社会を変えることではない。このため,企業風土も家族的になりやすい。上に立つ人間も,従業員のことをよく考えるお父さん・お母さん的存在。このため,社会的にestablishされた学歴を有していて,突飛なことを言わない常識派の方が受け入れられやすい。会社を辞めるということは,家族から出て行くことに近い。裏切りという人までいる。でも,その流動性の低さが仇となって,不景気のときにジョブセキュリティの問題を生じやすい。どこかの会社がイノベーションを起こして,自分たちの仕事の価値が下がると,それを賞賛するのではなく,余計なことしやがってと,あたかも邪魔をされたかのような言い方をする。

ここまで比較してきて気付かされるのは,次の2点である。まず,第1に,日本型の組織も,外敵さえいなければ,つまり,グローバル化さえしなければ,先述の通り内部ではウイン−ウインの関係であり,家族的関係が多少窮屈ではあるものの安定的に存続するシステムであるということだ。しかし,グローバル化は,良い悪いの次元で議論されるべきものではなく,否応なくやって来る歴史的現象だ。外敵がイノベーションを起こして攻めてくればひとたまりもない。10年くらい前までは,自分たちの周りにある携帯電話やパソコンは全て日本製だったと思うが,この10年間で,ほとんどがイノベーションを起こしたアメリカ製のものに置き換えられた(そして,日本企業はその分の利益を失った)ことに気付くだろう。第2に,イノベーションの概念が少し違うということだ。アメリカ型の企業では,社会の在り方まで変えてしまうアイデア(とそれが社会を変えていく過程)をイノベーションと呼ぶが,日本型の企業では,仕事のある行程を少し便利にする程度のカイゼンをイノベーションと取り違えている節もある。カイゼンは,製造業中心のひとつ前の時代には素晴らしい考え方であったが,イノベーション中心の現在の社会では,解決策とはならない。

では,結論。なぜ,日本型企業では,イノベーションが難しいのか。単純である。アイデアを考え出した人と承認する人が違うからである。アイデアは下から上げていくので,提案書の体裁にまとめて審議する段階で,「妥当」であることが求められる。でも,妥当であるということは,誰でも思いつくということでイノベーションにつながらない。つまり,仕事のある行程を少し便利にする程度のカイゼンしか実現しない。本当のイノベーションは,提案書に妥当にまとめられるような代物ではなく,そのアイデアを実現したいという情熱が実現させるものなのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?