見出し画像

私たちはみんな違う世界を見ている  ~生物における「環世界」とは~

生物は、自らの機能や進化に応じて、ものを見たり感じたりしている。単純な生物ほど、知覚する対象は限られている。複雑な生物ほど、様々な知覚器官が発達しており、より詳しく周りの世界を知覚することができる。

生物学者のヤーコブ・フォン・ユクスキュルは「生物から見た世界」(1934年)において、動物は自らの知覚器官を通して知覚記号を受け取り、それが知覚標識となり自らの環境である「環世界」が出来上がっていると言う。そして、その知覚標識は、その生物の作用器官を通して行動につながるわけである。脳は、この知覚器官が半分、作用器官が半分を占めていると言う。

では、ひとつの例を見てみよう。ユクスキュルは、森の枝先にいて、哺乳類がその下を通るのをじっと待っている「ダニ」についてこのように説明をしている。

(ダニは眼もないし耳もない。)ただ、嗅覚で哺乳類の皮膚腺から漂い出る酢酸の匂いを察知し、獲物の接近を知る。この酢酸の匂いが、このダニにとって、そちらへ身を投げろという信号として働く。ダニは鋭敏な温度感覚が教えてくれる何か温かいものの上に落ちる。するとそこは獲物である温血動物の上で、あとは触覚によってなるべく毛のない場所を見つけ、獲物の皮膚組織に頭から食い込めばいい。こうしてダニは温かな血液をゆっくりと体内に送り込む。

このダニの場合、まずは酢酸という嗅覚による知覚標識が生まれ、その後ぶつかった哺乳類の毛に対する触覚という知覚標識を得て動き回り、毛のない皮膚に到達すると温かさという知覚標識によって動き回るのは終わり、代わりに食い込む行動が始まるのである。このように、ダニにとっては、この3つの知覚標識のみで、このような反射行動を確実に行うのである。

つまり、たいへん豊かな世界がダニの周りに存在しているにも関わらず、ダニにとっては、たった3つの知覚標識と3つの反射行動によってのみ世界を認識するわけで、豊かな世界は崩れ去り、この貧弱な世界がダニにとっての環境(「環世界」)となる。

しかしながら、環世界の貧弱さは、まさに行動の確実さにつながる。環世界が狭いほど、行動の確実さは上がるのである。このように動物には豊かさより確実さが重要となるため、余計な知覚は不要なのである

コクマルガラスというカラスは、キリギリスなどの昆虫を捕食する。ただ、キリギリスが跳ねて移動するときにはじめてパクっと食いつく。このカラスは、静止している昆虫の姿を知らず、動く姿に反応するようにセットされていると言う。つまり、静止した昆虫はコクマルガラスの視覚世界から完全に抜けおちているのである。

同様に、イタヤガイという貝は、その視界内に最も危険な敵であるヒトデがいても、ヒトデがじっとしているかぎりまったく動かない。なんの影響も及ぼさないからである。つまりヒトデの形は貝にとって何の知覚標識になっていないのである。ところがヒトデが動き出すやいなや、貝はそれに反応して長い触手を突き出し、これによる新たな刺激を受け取るやいなや、身を起して泳ぎ去るのである。

ミツバチの例を見よう。ミツバチの特性は、開いた形(星型や十字型)には反応するが、閉じた形(円)には反応しないのである。つまり、ミツバチにとって、意味があるのは、開いた形の「花」であり、円のつぼみには何の興味もないのである。このように、自らの世界である「環世界」において認識できるものを自分の環世界の「対象物」と呼ぶことにする。

ユクスキュルは、自らの体験として、アフリカの奥地にいた有能な黒人の話をする。彼に欠けていたのは、唯一ヨーロッパ式の日用品の知識だった。彼に、短い梯子に登るようにと言うと、その黒人は「支柱と隙間しか見えないけど、いったいどうすればいいんですか」と答えたという。彼は、ほかの人がそれを登るのを見て、なんなくまねることができた。つまり、「支柱と隙間」は、彼の知覚の中で、梯子という新たな意味をもつようになり、「対象物」になったのである。

さて、下の図を見てみよう。人間、犬、ハエから見た部屋である。それぞれの対象物が色付けされている。灰色の部分は単に歩行する対象である。

人間の環世界では、それぞれの家具や日用品がそれぞれ対象物となっており、それを色で分けている。犬にとっては、一部の日用品を人間と共有しており、対象物となっているが、本棚や本、回転いすは犬にとっては対象物にはならない。

ハエにとっての環世界は、灯りとテーブルの上の飲み物と皿になる。ハエは暖かい飲み物については、その温度が刺激になるのである。それ以外には対象物はない。

上から、「人間にとっての部屋」「犬にとっての部屋」「ハエにとっての部屋」
(ユクスキュル/クリサート著「生物から見た世界(岩波文庫)より)

このように、生物は主観的に世界を見ている。そしてそれは皆それぞれ異なるのである。さらに、梯子の話のように、人間であっても人によってその知覚する対象物は異なっているのである。

現実に、我々は時として、この知覚における対象物の違いを感じることがある。

例えば、俳句において、多くの人はこう言う。「俳句をつくるようになっていろいろ勉強すると、景色の見え方、見方が変わるんです」と。今までは、単なる花、単なる鳥だったものが、季節によって移り変わるそれぞれが名をもった花や鳥であり、それが大きな意味をもったり、感動の源泉として生き生きと躍動し始めるのである。まさに、今まで気付かなかったものが、自分の環世界の対象物として認識できるようになったということである。

また、ビジネスの現場で、ブレーンストーミングというプロセスを行うことがある。特定のテーマで皆がお互いに否定することなく、様々な意見を自由に言い合い、新たな気づきや関連付けを発見するためのものである。ここにおいても、それぞれの参加者の環世界に違いがあることをうまく利用していると言える。環世界の対象物は、人それぞれ、生まれや経験や教育、環境によって実際は大きく異なっているのである。

先ほどのハエの例や、動いているものしか見えないカラスのように、自らの対象物以外は、視界から抜け落ちている、つまり、見えないのである。

我々は、この生物学の知見を現実として受け入れ、人間もまたこの生物の環世界と同様の世界に生きていることを認識すべきである。そして本稿の結論として以下を伝えたい。

  1. 我々はあくまで主観で世界を見ており、人が同じものを見ていると思うのは間違いである。

  2. 我々は経験や知識を獲得することで、確実に環世界の対象物を拡大することができる。また多様な人が集まることで、より多くの対象物の認識が可能となる。

  3. 困難な状況に直面したり、新たなイノベーションを追及する場合、可能なかぎり広い視野と多くの対象物、そしてその関連付けがキーとなる。従い、環世界の拡大はビジネスにとって非常に重要である。