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「反脆弱性」講座 14 「デブのトニーはどうやってデブで金持ちになったか?」

アブダビには、政府の石油収入で建てられた巨大な大学のビル群があります。世界の一流大学から教授を雇い、子供を学校に通わせれば、石油を知識に変えられるとでもいわんばかりです。

大学の知識が経済的な富を生み出すという考え方に立てば、これは悪くない投資に見えます。しかし、この考え方は経験論というより迷信に近いのです。

アブダビのやり方の問題は、ストレスがどこにもないことなのです。昔から言われてきました、「成功は困難から生まれる」「必要は発明の母」「貧困が経験を生む」などなどです。

因果関係の方向性について考えてみましょう。教育 → 富と経済成長、なのか、富と経済成長 → 教育  なのかです。

元世界銀行のエコノミスト、ラント・プリチェットによる調査等によれば、国全体で教育水準が上がっても、所得が高まるという証拠はないと言います。一方、富が教育水準の向上をもたらすというのは誰が見ても明らかです。

経済学者のハジュン・チャンは、次のような主張をしています。1960年台湾の識字率はフィリピンよりずっと低く、一人あたりの収入は半分でしたが、現在台湾の収入はフィリピンの10倍です。同じころ韓国の識字率はアルゼンチンよりずっと低く、収入も5分の1だったが、現在ではアルゼンチンの3倍なのです。

世の中の人たちは、どうしてこんなに単純な自明の理に気づかず、ランダム性に騙されてしまうのでしょうか。関連性があるだけのものを因果関係があると勘違いしてしまうわけです。これも随伴現象なのです。

同じようなことがほかにもあります。たとえば、会話が面白い人ほど、教養が高いと思ってしまったり、本人も自分はビジネスで有望だと思ってしまったりします。心理学者はこれを「ハロー効果」と呼んでいます。チェスの名手だから名戦略家だと思い込む現象です。

「100万ドル損してみてわかったこと」という本に出てくる主人公は、グリーン材(未乾燥の材木)の取引を生業としていて大成功するのですが、グリーン材とは「緑色に塗った材木」だと思っていたという話があります。材木の取引に必要な能力は、外部の人々が重要だと思うこととはほとんど関係はありません。このような外から見えずらい知識とグリーン材の「グリーン」の意味のどちらが必要な知識なのか勘違いしてしまう現象を、「グリーン材の誤謬」ということにします。

デブのトニーが、デブのトニー(先に金持ちに、次にデブになった)になったのは湾岸戦争がきっかけでした。1991年1月イラクによって侵攻されたクウェートを奪還するために、アメリカがバグダッドを攻撃しました。

当時、頭のいいアナリストやジャーナリストは、戦争が起きれば原油価格が上昇すると予測していました。しかし、トニーはその因果関係に疑問を持ちました。みんなが戦争で原油価格が高騰するのに備えている、ということは、戦争を想定した価格になっているとして、その逆に賭けました。

デブのトニーが言っていたのは、「クウェートと原油は同じものじゃない」ということでした。これが「同一化」という概念なのです。

実際、多くの人たちが、戦争を正しく予想していながら原油価格の暴落で無一文になりました。戦争と原油価格は同じものだと思っていたからです。ある大物ファンドマネージャーは、部屋にイラクの地図を掲げ、そのチームはイラクや国連、ワシントンのことなどすべて熟知していました。彼らは見事な分析をしていましたが、戦争と原油は同じものじゃないという単純な事実に気づかず、原油の暴落でぼろ負けしました。

世の中にはこの「同じものじゃない」物事がいくらでもあります。あるものとその関数があるとします。同一化の問題は、これらを混同してしまうことなのです。原因は「関数」が間にあって、その関数がいろいろな性質があることを忘れてしまうことなのです。

あるものとその関数の間の非対称性が強ければ強いほど、ふたつの違いは大きくなります。違いが大きすぎて、まったく無関係になることもあります。

数学者のジム・シモンズは、市場間の取引を行うメカニズムを設計しましたが、物理学者と数学者だけを使い、エコノミストや経済レポートは無視して、同一化の問題を回避しました。

経済学者のアリエル・ルービンシュタインは、自分の理論的な知識をそのまま実用的なものに変えることはできないと認めています。

講釈と実践の違いは、実践には、見落とされているオプション性があるということです。ここでの正しい行為は、典型的な反脆さによるペイオフなのです。

ギリシャ神話に巨人の兄弟が登場します。#プロメテウス と #エピメテウス のふたりです。プロメテウスは、「先に考える者(先見の明を持つ者)」で、エピメテウスは「あとで考える者(後知恵で考える者)」という意味です。

プロメテウスは人類に火をもたらした人物で、文明の進歩を象徴しています。一方でエピメテウスは、陳腐さ、知性の欠如を象徴しており、 #パンドラ の贈り物を受け取り取り返しのつかない結果を招きました。

オプション性はプロメテウス的で、講釈はエピメテウス的です。オプション性は、利益は大きく害は少ないという非対称性を強みとして、自分に都合よく選択的に物事を行うことができるということなのです。オプション性は、不確実性を手なづけ、未来を理解しなくても合理的に行動ができる唯一の方法なのです。一方講釈に頼るのはその反対で、過去を単純に投影しただけでは、未来は見えないのです。

ここで、目的論とオプション性の違いをまとめてみます、オプション性は、オプション性に基づくいじくり回し(試行錯誤)により、反脆さを持ちます。目的論は、講釈的な知識で、いじくり回しと対立する形式的な知識です。

専門家の問題は、専門家が自分の知識を過大評価していることです。それが脆さを引き起こします。この専門家の問題は私たちを非対称性の誤った側に追いやります。本来、脆い人は反脆い人よりはるかに多くのことを知っていないといけないのです。だから、自分の知識を過大評価している人は、(間違いに対して)たいへん脆いことになってしまいます。

教育が富を生み出すことはないということを見てきました(随伴現象)。同様に、 #イノベーション や成長を生み出すものは、教育や、組織的・体系的な研究ではなく、たいていは反脆いリスク・テイクなのです。

理論や研究が何の役にも立たないと言っているのではありませんが、気を付けなければいけないことは、私たちは耳触りのいい理論に騙され、その役割を過大評価してしまいがちなのです。