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地震予知は100%不可能である  ~「予測不能性」とは~

現代の科学者は、一見関係のないような事象、例えば地震、山火事、株式市場の暴落、新たな技術革命、政治的な動乱、戦争などの様々な分野における変化や大惨事について、共通する性格を発見している。それは「べき乗則」という観点である。

世界で一番有名な「砂遊び」の話をしたい。パー・バク、チャオ・タン、クルト・ヴィ―ゼンフェルドという3人の物理学者による「砂遊び」である。テーブルの上に砂粒を一粒ずつ落としていくのである。何が起こるであろうか。大きな砂山がまず出来上がる。その斜面はだんだん急になってくる。そして、ある砂粒が落とされるとそれが引き金となり、山崩れが起こる。そして山は低くなる。

これをこの3人の物理学者は、コンピューターにおいて、仮想のテーブルに仮想の砂粒を落とし、どのような状況になると崩れるかの規則を設定してシミュレーションを行った。これなら短時間で何万回もの山崩れを観測することができる。

その結果は、驚くべきものであった。まず、「典型的な山崩れの規模はどのくらいなのか」という点である。結果は、典型的な山崩れの規模などない、というものであった。ある時は1粒だけ崩れ、ある時は100粒、1000粒、またある時は何百万もの砂粒が崩れ、砂山自体が大きく崩壊することもある。

これこそ予測不可能性である。砂山に臨界状態が生じて、あらたな一粒で穂崩れるわけであるが、その規模はさまざまである。小さな山の崩れが連鎖的に新たな崩壊を引き起こし、それがさらに大きな崩壊をもたらす。つまり臨界状態はとても頻繁に起こるが、崩壊の規模はまったく予測できないということである。

ただし、この山崩れにはある規則的なパターンがある。それは、数粒から数百万粒に至るまで、砂粒の数が二倍になると、山崩れの回数が2分の1(正確には2.14分の1)に減るということであった。これがべき乗則である。つまり砂粒の数にまったく関わらず、その頻度が同じ比率で変化しているということである。しかしながら、砂粒を落としたとき、それがどの程度の山崩れを起こすかは、決して予測できない、つまりやってみないと分からないのである。

これが砂山だけでなく、様々なものを説明できる法則であるということが明らかになった。ひとつは地殻の変動による地震である。また、山火事である。さらに、株式市場の暴落である。多くの激変の仕組みがこの砂遊びで説明が可能となる。

地球物理学者は、1世紀以上も、大地震の前兆を探し続けてきた。地中の電流に変化があるとか、地下水位に変化があるとか、精密に測定した地点間の距離に変化があるとか、様々な前兆を探してきた。

東大の地球物理学者のロバート・ゲラーは、700以上の論文を引用し、その中で何らかの前兆現象を主張している多くの論文を精査したうえで、その中のひとつたりとも信頼できるものはない、と結論づけている。

ちなみに、ゲラーは、その著作「日本人は知らない『地震予知』の正体」において、日本の多くの地震学者は、地震予知は不可能であると認識しながら、地震予知を掲げることで、年間100億円を超える国家予算を獲得していると言う。また東海地震が起こるという名目で、東海地域にきめ細かい測定ポイントが設置され、詳細なデータが集められている。また1兆円を超える防災工事が行われたという。しかしながら数十年たっても東海地震は起こっていないのだ。

地球内部の構造は、猛烈な熱によってマントルが流れている。マントルは沈んだり上昇したり、まさに海のように動いている流体である。一方地殻はその上に浮かんでいる固体であり、「プレート」と呼ばれる。3つのプレートが衝突している場所が日本である。地震発生の過程はこのプレート同士の密着と滑り合いに起因する。ただし、プレートは何百種類という岩石からできており、すべて異なる性質をもっている。また更にプレート上にたくさんの断層が存在し、極めて複雑に互いに影響し合っている。

すでに述べたべき乗則をエネルギーに当てはめると、地震の場合、エネルギーが2倍になると、その地震の起こる確率は4分の1になるという非常に単純なパターンが知られている。実際、毎日小さな地震は世界中の至る場所で起こっているのである。

プレートの動きによって、一定の歪みが生じて、それが蓄積されていく。それが断層のごく一部の岩石が滑る限界に達したとき、その岩石は滑る。その動きは1ミリかもしれないし、もっと小さいかもしれない。しかしながらそれに引き続いて更なる滑りが生じ次々に岩石が滑り出すかもしれない。その影響の大きさは、最初の岩石のわずかな滑りの大きさとは何の関係もないのである。「砂遊び」を思い出してほしい。つまり原因と結果は何の関係もないということなのだ。

コロンビア大学の地震の専門家であるクリストファー・シュルツはこのように述べたという。「地震は、起こりはじめたときには、自分がどれほど大きくなっていくか知らない地震に分からないのなら、我々にも分からないだろう」と。つまり、壊滅的な地震は、事実上まったく理由なしに発生するのである。

このように、地震の規模に関しては、予測する手がかりがまったくない。べき乗則は、地震の大きさと頻度の関係を示しているが、いつ、どのような規模で起こるのか、なんら法則性もない。またすべての前兆の情報は地震が発生したあとの「後付けの」思いつきであり、理論的また統計的に有用な情報となっていないのである。

このべき乗則は、金融市場においても証明されている。株価や為替などの大きな変動は、突然、大地震のように起こる。地震同様に小さな変動の頻度は高く極めて頻繁におこっているが、大きな変動は確率的には少ないものの、何の前触れもなく、突然雪崩のように大暴落が発生するのである。もちろん専門家と称する人たちは、まことしやかに後付けで暴落の原因を説明する。地震学者が、大地震のあと地殻に歪みが生じていたという説明をするように。

この3人の学者の「砂遊び」は、様々な社会や経済の現象、そして自然の現象も明らかにしていった。「べき乗則が支配する」こと、また、規模の大小に全く関係しない「スケール不変性」という現象である。大地震や金融市場のみならず、コロナのようなパンデミック、戦争、生物進化まで、同様な現象であることが分かり始めている。

更に言うと、企業経営における経営環境、つまり景気や競合他社の情況、為替レート、消費者の嗜好の動向、イノベーションなど様々な経営に影響を与えるファクターが、大地震や金融市場と同様に、ほとんど予測不能なのである。これらの環境を予想することは勝手だが、その上で経営戦略やリソースの配分をどこまでやっていいのか。予測不能、つまり「どうなるか分からない」という前提で経営を考えるべきだと思う。それが会社を様々な変化の中で成長を勝ち取り、予期せぬ大惨事から守る方法なのである。