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わたしの目は節穴なのか?  ~視覚優位の人間の弱点~

1.変異と選択(淘汰)

生物において遺伝子の「変異」が起こると、仮にそれが生存率を高めるものであれば、生存競争の中でその遺伝子は淘汰されずに残る。特定の変異した遺伝子が生き残ることを「自然選択」と言われる。この「変異」と「自然選択」により「進化」が起こる。これがあの有名なダーウィンの進化論である。
 
そのダーウィンが、「種の起源」を書き上げる際に、もっとも苦労したと言われているのが「目」の進化についての説明である。ヒトのこの複雑な目の機構がこのような変異と自然選択によってのみ進化を遂げてきたということが信じがたいのも事実である。しかし、ダーウィンは、生物における初期の目の機能から徐々に複雑化して人間の目の機能に至るまでの経緯を、途中の目の機能や形態をもつ生物を挙げることで、目の進化もやはり変異と自然選択にて徐々に進化してきたことを説明した。
 
「進化」と言うと、人間はその生物界の頂点に立っており、そのいろいろな機能も他の生物に比べて秀でていると多くの人は思っているかもしれない。人間がほかの生物より複雑な神経ネットワークを発達させ、知性を持ち得ているのは事実だ。しかしながら、生物はその環境に合わせた進化をしており、様々な生き物と比較して、人間が優位に立っているとは言い切れない。特に知覚機能には大きな限界を抱えているのだ。

2.視覚優位

人間は知覚においては「視覚」優位の生き物である。私たちは、匂いや音よりも目に見える光景を根拠として状況の判断をしている。哺乳類は一般的に視覚が弱い。その代わりに嗅覚が発達している。これは哺乳類が、恐竜などの捕食生物から逃れるため、夜間に行動するため視覚より嗅覚が重要だったからだと言われている。
 
ところが、人を含む霊長類は例外的に視覚が優れている。多くの哺乳類は、視物質として青と赤を識別する2種類しかもたない。ところが霊長類は、約3000万年前に、赤の視物質が突然変異を起こし、緑の光を吸収する第3の視物質を獲得したと言われる。他の哺乳類より優れた視覚を獲得した霊長類は、例えば、緑の葉のなかの赤い果実をすばやく見つけることができるようになったため、それだけ生き残る可能性が増した。さらに霊長類は、この視覚情報を処理する脳の領域が拡大していった。
 
それに対して、霊長類はほかの哺乳類にくらべて嗅覚が極度に退化している。匂いを感知する嗅覚受容体の遺伝子数が、多くの哺乳類で800~1000個あるが、人やチンパンジーでは300~400個しかない。また脳で嗅覚の処理をする「嗅球」も体重比で人の場合は他の哺乳類よりかなり小さい。

3.人間の見る「世界」と動物の見る「世界」

視覚優位な人間は、ある瞬間視覚で捉えたもののみが「世界」だと思ってしまう。つまりある瞬間の光景を切り取るのである。一方、嗅覚にすぐれた哺乳類はどうであろうか。私たち人間は、ある瞬間見た部屋にだれもいなければ、単なる無人の部屋でしかない。ところが嗅覚が鋭い動物は、数分前に仲間がいた、またその前には敵が潜んでいたことなどがわかる。それらの情報を含んだ「部屋」が「知覚」できるのである。つまり、嗅覚優位の動物の見る世界は時間的に厚みをもった世界ということになる。しかも、嗅覚情報は嗅球にダイレクト送られるので、視覚情報よりも短く直接的である。つまり、過去を含んだ情報がリアルに瞬時に把握できているのである。
 
一方、ほかの生物もそれぞれの環境に合った知覚機能を有している。蝙蝠は聴覚優位、温度に敏感な生物、ダニやヒルのように二酸化炭素を感知して宿主に近づく寄生生物もいる。このように考えると、生物は自らの目的に合致し最適化した感覚機能を有しており、それがゆえに生き延びてきたと言える。
 
私たち人間も同じように、何百万年もこのような視覚機能を高めながら生存競争を生き抜いてきたにちがいない。しかしながら問題は、その機能が現代社会においても最適と言えるかということだ。

4.人間の知覚の限界

具体的にこのような視覚優位の人間は、知覚において次のような特徴を有すると考えられる。
 
1.過去はすでに存在せず、現在の状況のみ知覚する。
2.現在の中で連続した視覚データから「もの」を抽出して認識する。
3.過去から現在、未来に至る時の流れにともなう「もの」の変化を一体的に把握できない。
4.見えない「もの」は存在しないものと認識する。

 
このように考えると、やはり現代社会においては人間の知覚機能は明らかな限界を抱えている。一体的に時間の厚みや流れを実感できないという弱点は次のような事実につながっている。一つには、私たちは往々にして刹那的な決断をしがちであること、また二つ目に、私たちは時間の流れを理解するために物語を好むこと。それは、歴史において、ほとんどすべての事象が物語として記述されていることからもわかる。つまり原因があって結果が生まれたという因果関係を作り出すのである。それで私たちは安心する。そして一方で、見えないものに対する警戒を怠り、見えない力の存在に気付かないのである。
 
いま、この人間の知覚機能について、生物でもっとも優れたものでも何でもない人間固有のものであること、また逆に大きな問題も隠されていることを認識すべきであろう。社会科学、たとえば経営や経済においても、その視覚優位の人間の、感覚による錯覚や弱点を十分考慮した研究が必要である。人間の目がたとえ「節穴」でなくとも、知覚できる情報は思っている以上に限られているのである。

                完

参考文献
「種の起源」(チャールズ・ダーウィン)
「人類はどれほど奇跡なのか」(吉田伸夫)