最近の思想観めも
○徹底的な被投性
まず、各個人は「徹底的な被投性」によって、環境や時代による制限を生まれながらに受けており、その中で可能なのは「制限的・選択的な自己実現」。その意味では人間は不平等。
○有限と無限
多かれ少なかれどのような人間でも制限を受けているという意味では、人間存在は根本的には「有限」。
ただし人間は「無限」を志向できる。(宗教や学問、個人的妄想に至るまで、人間の思考能力は今ある現実を「超えて」思考している)
○根本感情としての悲しみ
ゆえに常に満たされないという意識を抱えており、その感情が「悲しみ」。つまり、人間の根本感情は「悲しみ」。
○価値観の形成
人間社会の価値尺度について考えると、その社会を支配する価値観は、神からの賜り物でもなければ、普遍的なものもなく、歴史的・環境的によって後天的に成立してきたもの。つまり、相対的であり、流動的であり、変更可能。
(ニーチェ風に言えば、超感性的なものはなく、感性的なもの)
ただし、現在自分が生まれ落ちた社会の価値尺度というものは、一個人で容易に変更できるものではないため、基本的にはその現在の価値尺度内で自分の生存戦略や立ち位置を確保するように動かなければならない。
(幼少の頃の教育から、大人になってからの職業や生活スタイルの選択に至るまで、既存の社会のニーズに応え続けたものは勝ち組になり、応えられないもの、はみ出たものは必然的に負け組になる)
○現代社会の支配的価値観としての「生産性第一主義」
現代の日本社会で考えると「生産性第一主義」の価値観が支配的である。
それゆえ、教育の段階から現在の生産性第一主義に適応できる人間を基本的には育成すべき(ITスキルや英語力の向上)。また実際、そのような教育は至る所でなされている。
ただし、その中で本当に勝ち組になれるのは上位2割くらいで、格差は助長され、持たざる者の数は増えることは想定される。多くの人が生きづらさを感じるようになる。
○道化的精神
現代社会において支配的な価値観に変更を加えるには、長期的な時間と多くの人々の決起が必要。しかし、この「生産性第一主義」の支配は歴史的にみてもかなり強力で、基本的にはその軍門に下るしかない。
一方、人間の思考力は現実を超えることができるので、一種の「虚構の世界」を空想し、現代社会の価値観を価値転倒させることによってカタルシスを得ることは可能。いわゆる「道化的精神」。
(ある種の「芸術」のようなものは想定できるし、深夜のお笑い芸人のネタも価値転倒)
○無常
現代の価値基準がいくら支配的とはいえ、根本的には神からの賜り物でもなんでもない以上、この世界は根本的には「無常」。
(日本人にとって「無常」という感性は本来受け入れやすいもの)
ある社会で支配的な価値観に適合できないからといって、それは人間の本質に照らし合わせれば自然なこと。
○対応策
まず一定、この「生産性第一主義」の現状を受け入つつ、その中で自分の生存戦略を確立し、立ち位置を確保する必要がある。でなければ、自分や家族を守ることはできない。
一方、そのような世界に退屈さや馬鹿らしさを感じてしまう人は、ある種「観光客」くらいの立ち位置にこの世界での自分を措定し、この世界の価値観にどっぷり浸かるよりはそれを面白がるくらいの方が精神衛生上良い。
生きるという最低条件をクリアでき、余裕があるならば、その中で過去の叡智や別の世界を知り、今とは違った価値尺度や自分らしさを追求できると、より人生を豊かにするであろう。
教育の面でいうと、個人的には若いうちに社会を知るのもそうだが「自分を知る」ことも、同じくらい大切だと考える。自分を知り、社会と自分をものさしで測り、適切な立ち位置を取れるようになる能力。
決して勝つ必要などないが、死なないため、社会と折り合いをつけつつも自分らしく生きるため、必要なものさしを手に入れること。
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