Liebe Nelly -親愛なるネリーへ-

Tokyo, 18.03.2022

Liebe Nelly, この間はWhatsAppでメッセージをありがとう。日本で起きた地震と、停電の中で夜を過ごすのはどんなに恐ろしいか、と心配してくれたのね。そして最後に、ウクライナで起きていることはあなたに聞かせるのは耐えられないだろうから、今は書かない、と書いてあった。あの夜、ぐらぐらと長く続いた揺れの後に、我が家も、窓から見るとご近所も真っ暗な中にあって、頼りないような頼りになるような懐中電灯の明かりを見ながら、私はマリオポリやキーウの地下室で息を潜めている人たちのことを考えていたよ。

違う話をするね。今朝、ある日本人の俳優が亡くなりました。彼はその年齢の人の割にはすらりとした身長と、いかにも映画スターといったハンサムな少し西洋人のような顔で人気でした。彼を有名にしたのは「ゴジラ」という放射能を浴びて突然変異した怪獣と人間が戦う映画で(ネリーの好みじゃないだろうけど、きっと息子のゲオルグならゴジラのことを知っていると思う)彼は87歳で亡くなる数日前まで映画に出演をしていて、とてもパワフルだったので、突然の訃報を聞いた私はとても驚き、悲しくなりました。彼の死を悼む理由には、彼と私のお母さんをつなぐ小さな縁があるからです。彼(アキラ・タカラダと言います)と私の母は同じ小学校に通っていました。第二次世界大戦下に日本が統治していた中国の満州という地域のハルビンという都市にあった白梅国民学校という小学校の、タカラダくんはうちの母の1学年上だったのです。日本が敗戦した後、宝田少年も母もとても辛い目に遭いながら、なんとか日本へと引き揚げてきました。宝田少年は逃避行の途中にソ連兵の銃撃を受け、麻酔なしに銃弾を摘出したそうです。 私の母は当時のことを聞いてもあまり話したがりません。母の記憶がだんだんあやふやになってきた話は以前にしたよね。だから今のうちに戦争中の話を聞いておきたいのだけれど、ずっと話すことができない辛い思い出を今になって聞き出すのは残酷というものです。ただ、ハルビンから逃げる時に背負ってきたランドセル、逃げるにあたって最小限のものだけを詰めてきたランドセルを天津だか、奉天の駅だかで、祖母に「もうそれはここに置いて行きなさい」と言われ、仕方なく駅のベンチに置いてきた話は私の胸に深く刻まれています。 敗戦から一年経った頃、母と家族総勢7名はなんとか奇跡的に日本の港へ辿り着くことができました。そしてシラミだらけのおかっぱ頭の煤けた顔の少女はやがて2人の娘を持つ母となり、宝田少年はハンサムな映画スターになったのです。スターの宝田さんがテレビに出てくると、母は決まって「満州で同じ小学校だったのよ」と、いかにも何でもなさそうに、でも少し得意げに言ったものでした。宝田さんは亡くなる数日前に、ウクライナの少年は77年前の自分自身だと話していました。そう、今テレビで見る、背中にリュックを背負って、たくさんあるおもちゃの中から一番のお気に入りだけを泣く泣く選んできたに違いない小さいぬいぐるみを片手に抱きしめて、お母さんと妹、弟たちとウクライナから逃れてきた少女は、77年前の私の母です。暗闇と砲弾といつでもすぐそこにある暴力と転がる死体に怯え、その記憶を77年間誰にも、父にさえ語ることのなかった母の姿をテレビの画面に見るのは、そしてそれに対して何もできないのはとても辛い。

でもネリー、私が母に77年前の逃避行がどんなだったのか、何を見たのかを聞かなかったのと同じに、私はオデッサに住むあなたの親戚やお友達、キーウに住んでいるだろうご主人のレオンの家族が今どういう状況にあるのかを聞くことはしないよ。そんなことはしない。ただ、私の大事な友達であるあなたとレオンと、あなたが心から愛しているゲオルグとルース(私たちが語学学校で知り合った頃はあんなに小さかったのに)が、今は故郷から遠く離れたドイツに住んでいること、苦労して30年前に一家で移民してきて、今は可愛らしい庭のついたアパートに安全に住んでいること、77年前の戦争ではユダヤ人であることで、きっと恐ろしい目にあったに違いないあなたの年老いたご両親も近くに住んでいること、を何よりも良かったと思うだけ。

亡くなる直前までそのハンサムな姿で悲惨な戦争を糾弾し続けたスターの宝田さんもいなくなり、そして一切の記憶が柔らかい雲の中に消えていこうとする私の母もいつかはこの世からいなくなってしまう。ゲルニカやドレスデン、満州や広島で起きたことをその口で語ってくれる人はどんどん向こう側へ行ってしまう。そしてまた新たなストリーテラーがスーダンやボスニアやシリアやウクライナで生まれていくんだね。

ネリー、いつかまた世界が少しは静けさを取り戻して、東京からシベリア上空を飛んでドイツに行けるようになったら、あのいつものカフェの菩提樹の木の下のベンチに座って、コーヒーを飲んでおしゃべりがしたいよ。おしゃべりが止まらないから、きっと日暮れを告げるあの教会の鐘も聞こえてくるね。その時にはあなたの顔に今この時に浮かんでいるに違いない絶望と不安と怒りが消えて、いつものあのくるくる回る目と大きく上下に動く眉毛で私を喜ばせてほしいな。

この手紙は長すぎるからwhatsappで送らない。郵便局は今はヨーロッパ宛のエアメールを受け付けてくれないから、船便で送ります。この封筒をあなたが開ける時に、ウクライナの人々の受難が終わっていますようにと祈りながら、ポストに投函します。

Alles Gute!

Tsugumi

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