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脱サラしてエアラインパイロットになったが

「仕事なんて何やったって同じだよ」

これが今でも覚えている仕事を辞める時に言われた言葉です。
会社を辞めてパイロットを目指す、と取引先に挨拶に行った際にかけられた言葉。

半分バカにしてるんだろうな。なれないと思ってるだろ。
最近の若い奴はすぐに仕事を辞めると思ってるんだろ。

「そう、その通り。何やったって同じだよ。ただ違う業界で仕事をしたいだけなんだよ。絶対になってやる。」


1. 夢と目標の違い

「パイロットになりたい」は子供の将来なりたい職業によくあがってくる夢です。

ゆえに当時の僕のことが夢見てる青年のように見えていたとしても仕方ありません。しかしそう思われれば思われるほど絶対に実現させてやろうと思っていました。そんな生半可な気持ちで仕事を辞める訳ではありません。こっちは人生がかかっているのですから。相当調べて勝算があると思ってこっちは挑戦しようとしているのです。

僕は「夢」という言葉が嫌いなんです。
「パイロットを目指してるなんてすごいね」と何もしていなくてもすごいと思われるものです。夢が叶わなくても「残念だったね」と素敵なお話にされて終わるのが常です。何事も夢を見てるだけでは絶対に叶わないのに。

実際に現実的な「目標」を立て、そこに向かって具体的に動き出せば「目標」は達成できると思います。僕は夢と言っている間は、何も実行せずに語っているだけの状態に聞こえて好きではないのです。

2. 夜の読書

新卒で入った年の12月のことです。およそ8か月のサラリーマン生活。
辞表を提出した際に当時の部長には「君にはシンガポールに行ってもらうつもりだったのに」と言われました。惜しかったな、なんて微塵も思いませんでした。むしろ危ない危ない良かった、と思ったほどでした。

「最近の若い者はすぐに会社を辞める」「続かない」など、会社を辞めることに対して日本では非常にネガティブな印象をもたれます。やりたくない仕事でもずっと定年までやり続ける。これが日本では美徳のようです。

毎日満員の通勤電車で会社に着くころにはヘトヘト。終業時間は決まっているのになぜか先輩よりも先に帰ってはいけないという暗黙のルール。
そのせいで帰宅するのは毎晩遅く、クリーニングを取りに行く暇もない。
週末は行きたくもない飲み会やBBQ、野球の誘い。冗談じゃない。こっちはやりたいことがたくさんあるのに人の人生を何だと思ってる。こんなの一生続けられない。生きてる感じがしない。

そんな中でも僕は毎晩寝る前に飛行機の本を読みふけっていました。睡眠不足になってでも必ず読んでいました。とにかく知りたいんです。飛行機や航空業界のことが。仕事に行く朝は起きるのが辛くなるのはわかっているのに、飛行機に関する本だと読むのがやめられないのです。よっぽど好きなんだろうなと思うようになりました。
きっとこれが自分が本当にやりたいことなんだと。

まだ間に合うかな。どうすればパイロットになれるのかな。調べている内に日本では高卒もしくは新卒でしかなれないことがわかってきました。ではどこの国へ行けばなれるんだろう。いろんなことを想像しながら、まだ間に合う。とにかく仕事を辞めるなら早ければ早い方がいい。このままいるとズルズルと時間だけが過ぎていくに違いない。まだ1年もたってない、やり直せる。長い人生、絶対にあとで後悔するはず。

辞めると決めてからはとにかく調べまくりました。
「どうせなら本場のアメリカの航空大学に行ってやる」
当時両親はニュージャージー州に住んでいたので、何かあったらすぐ親元に帰れるという安心感もありました。そしてアメリカ国内にいくつかある4年制の航空大学の中から、卒業後は現地で就職するつもりでフロリダ州にある大学にしぼりました。

3. やっと見えた道

選考条件の詳細は覚えていないのですが、イギリスの大学の卒業証明と成績表に加え、英語でエッセイを提出した記憶があります。2ヶ月もしない内に合格通知が届いた時は嬉しかったです。

受け入れられたという喜びではなく、これで一応初めて道が見えてきたという喜びでした。まだ何も始まっていませんが、想像しかしていなかった道がようやく現実的なものになったのですから。それからはとにかく早く訓練を始めたい気持ちでいっぱいになりました。とにかくパイロットとしての適性があるかどうかも不安でしたし。

イギリスの大学は日本と同じく、最後にThesisという卒業論文を出して卒業の可否が決まります。他方アメリカの大学においては、大学院でない限りは卒業論文を書くというシステムがないのが一般的です。その代わりとにかく単位取得が厳しく卒業することが難しいのが現状。実際に入学して卒業していく学生は平均して6割から7割程度と言われています。

イギリスの大学を一度出ていたので特にアメリカの大学の授業に対しての不安はありませんでしたが、それでも航空大学を外国人として無事に卒業できるものか。そういった不安はずっと持っていました。

4. 不安と順応

確かに渡米した初日から英米の英語の違いに戸惑いはありました。文化もかなりヨーロッパと違い、早くアメリカの生活に慣れていかないといけないと感じた記憶はあります。それでも順応するのは早い方なので慣れるのにそんなに時間はかかりませんでした。僕の当時のイギリスのアクセントを揶揄されたこともありましたが、次第にそんなことすら気づかれないほど発音もアメリカ化されていきました。アメリカのテレビも音楽もスポーツも大好きで、生活の全てがみるみるうちにアメリカ化していき友達もたくさんできました。

文化を学ばないと本当の言葉の習得は難しいと思います。逆に文化を知ることによって言葉は学びやすくなると思います。言葉は数学と違って、方程式に当てはめるようにはいかないのです。どこの国に行っても文化を知ろうとすることがその国に溶け込む近道だと信じています。

4. 再度の学生

2度目の大学。親には申し訳なくとにかく早く卒業しないとと、がむしゃらに勉強しました。結果、4年課程を3年で終わらせることができました。ビーチに囲まれているフロリダ州ですが、一度も海で泳ぐこともありませんでした。観光に来たわけではないのでどこか罪悪感があり、どうも遊ぶという気分にはなれなかったのです。イメージとしては下を向いて勉強をしていて、ふと顔を上げたら卒業の日だったという感じです。

毎学期、宿題、クイズ(小テスト)、レポート、プレゼンテーション、期末テストの繰り返し。これがどの教科も同時進行するのです。更にパイロットの学部となるとその間にフライトの訓練が入っています。幾度もある試験にふるい落とされて何人も去って行きました。常に緊張感が漂う中での学生生活でした。

航空管制や航空エンジニア、宇宙工学など、航空・宇宙関連の学部の学生が集う全米でも有名な航空大学だったので、就職フェアには名立たるエアライン以外にもNASAやFBIなども学生のリクルートに来ていました。毎日刺激が多く、何よりもそんな大学で勉強できたことに親には感謝しかありません。

とにかく1学期でも早く卒業しないとという気持ちでいっぱいで毎日勉学に励んでいましたし、予定より1年早く卒業できたというのは自分にとって本当に自信になりました。

僕は特別頭が良い訳ではありません。高校の成績もよくありませんでした。でも好きなことなら一生懸命になれて、それに向けて努力したら実るんだということがわかりました。それがわかっただけでも、いわゆる脱サラをして本当に良かったなとすでにこの時点で思っていました。

5. 突然経たれた道

アメリカのパイロットの世界は、野球のメジャーリーグのようにマイナーからメジャーに上がるシステムが構築されています。日本ではいきなり中型機・大型機に乗る道が主流なのですが、アメリカでは小さい飛行機から始まり、段々といろんな会社を渡ってキャリアを積んでいき中型機、大型機にステップアップしていくというものなのです。

在学中には基本の4種類の飛行免許に加えて、教官の免許も取りました。特に教官になる免許は厳しく、あまりのストレスにより途中で膀胱炎になりました。病院でもストレスを軽減するように注意されたほど。それほど大変な訓練と試験でした。

教官のキャリアというのは誰でもまず小さなプロペラ機の操縦を生徒に教えるところから始まります。アメリカでエアラインを目指す学生は、飛行に必要な免許をある程度取得した後はほとんどがまずは教官になるのが主流です。薄給でも人に教えることによって逆に自分が多くのことを学べるチャンス。これは大変大きな糧になりました。ほとんどがマイナーリーグのように、貧乏教官時代を経てエアラインパイロットの世界に入っていきます。教え方はもちろんのこと、生徒との接し方、言葉の使い方も然り。心理学の勉強も相当やらされましたし、普段の振る舞いから言動まで相当プロフェッショナリズムを叩き込まれました。

4年の学生ビザを取得していましたが、卒業後は1年余ったビザで教官としてフルタイムでアメリカ人と肩を並べて仕事ができたのもとても良い経験でした。少しでも自分で生活費を稼げるようになったこともとても嬉しかったのを覚えています。

しかしビザが切れたら不法滞在になってしまうので帰国するしかありません。就労ビザを取得したとしてもアジア人としてアメリカで仕事に就くことは簡単なことではありません。友達との繋がりもあり、なんとか次のステップアップとして貨物の会社から内定が出そうなタイミングがありました。

そこで起こったのがニューヨークであの9/11のテロでした。ご存知の通りたくさんの人の運命を変えました。外国人としてアメリカで仕事に就く目標が突然断たれたのです。まさに夢となって散りました。

6. 目に見えない力

日本に帰ってもパイロットの仕事なんてありません。仕方なく派遣社員として英語を使った仕事を転々としていました。在日米軍基地で働いたり、通訳をやったり、バイリンガル・コンシェルジュをやったりして何とか細々としばらく生きていました。

最後に選んだ仕事のコンシェルジュ。ここは働いてる人とのコミュニケーションが良くとれとても良い職場でした。ここならなんとか日本でやっていけるかも。もうパイロットになる道は八方塞がりで諦めようとしていたのです。9/11のテロから4年が経とうとしていました。もうここまでだ。疲れた。

飛行機から最も離れた仕事を選んだつもりでした。飛行機すら見たくないと思っていましたから。ところがこの職場・・・。今ではあちこちにありますが、高所得者向けのサービスアパートメントの先駆けのようなもの。著名人や財界人が借りるような物件だったのですが、そこにたくさんの外国人を含むパイロットが住んでいたのです。

航空業界のことなんて考えたくもないのに毎日のようにパイロットと作り笑顔で会話をしなければならないのです。とても辛いと感じたこともありましたが、次第に何か意味があるのかなと思うように。何か見えない力が僕を航空界に引き留めようとしているように思えてきました。事実ここで出会った人の中には、後に一緒に飛ぶことになる国内の航空会社の人もいました。
不思議なことは続きます。

それでももうダメだなぁと思っている矢先、グアムの小さな会社からパイロットに空きがあるから面接に来てみないかというメールが届きました。応募すらしていない会社からなぜ?推薦状がたくさん届いているというのです。外国人パイロットの通訳をしていた時期があるのですが、実はその中の外国人何人かが推薦状を勝手に書いていたようなのです。それがいったい誰なのか僕はいまだにわかりません。

何か立て続けに僕の背中を押す力が働いているのを感じました。行くしかありません。7人乗りの飛行機ですが、とりあえずお客さんを乗せて仕事ができるようなのです。フライト時間も稼げるのでキャリア的には再スタートできます。そしてその後採用試験にも合格し、小型機のパイロットとしてグアムとサイパンで1年半を過ごしました。いろんなことがありましたが、なんとかご飯を食べていけましたし、結果的には充実した生活を送ることができました。初めて僕は本当にどこでも生きていけるんだなぁと実感したのです。

7. 帰国

1年の契約が切れる頃に契約の更新の話しをもらいましたが断りました。ちょうどその頃日本に、既卒者を対象に新しいプログラムを始めた飛行学校ができたのです。自費でアメリカの飛行免許から日本の免許に書き換える訓練を行い、航空会社の採用試験に合格した折りには会社が学費を返納してくれるという。うまくいく保障はないですがチャンスがあるならやろうと決心しました。とにかくここまでやってきたのだから後悔だけはしたくなかったのです。

そして1年弱の書き換え訓練のあと試験を受け、結果いま働いている航空会社に入社することができました。親から借りていた高い訓練費も後に返せました。入社式の時しみじみと今までのことを振り返ったのを覚えています。
サラリーマンを辞めてからちょうど10年経ったか、と。

残念ながらうまくいかずに借金だけ背負った人も中にはいるのです。僕はたまたまうまくいきました。本当に賭けでした。厳しい世界です。

でもたとえうまくいかなかったとしても、本当に辛いだろうけれども、サラリーマンを辞めてよかったとは思っているはずです。してきた経験が全く違うのですから、それこそ全く違う人間になっていたと思うんです。もしそのまま残っていたらずっと「あの時辞めておけば良かったな」と一生悔やんで生きることになっていたはずです。

8. 全ては自分の意志

海外転勤族に生まれた僕は数え切れないほどの引越しをしてきました。ゆえに言葉の問題や海外での生活に抵抗がありません。僕が通ってきた道は誰でも通れる道ではないかもしれません。親のサポートもありましたし、決して僕一人の力で目標が達成されたわけではありません。時代やタイミングもものすごく大きな要素だと思います。

でも努力というのは誰でもできることですし、時間というものも誰にも平等に流れているものです。本当に自分次第でいくらでも人生というものは変わるものです。そう思いませんか?

駅までのいつもの道を昨日と違う道に変えるだけで、いつも乗っている電車の時間帯を少し変えるだけで、出会う人も変わってくるのです。自分の意志で出会う人すら簡単に変えることができてしまうのです。

9. パイロットにはなったが・・・

僕はエアラインパイロットになることを目標としてやってきましたが、実際になった僕はパイロットではなく「どこでも適応して生きていける人間」です。その人間がたまたまパイロットなだけ。こんな人間になるとは思ってもいませんでした。

生活する国も日本にこだわっている訳ではありません。この先どこの国に行くかはわかりません。どこにも行かないかもしれません。でも僕の中には想像もしていなかった能力が備わりました。人よりも選択肢をたくさん持っています。

ほんの小さな勇気と、ちょっとした判断が与えてくれたものです。もし何か目標を持って進んでいる人がいたらこう伝えたいです。何事も小さなことから始まると。小さなことからしか始められないのですから。そして何よりも、きっとあなたは思いもしない人間になるであろうということです。

あなたの持っている夢は、実際には想像もしていないものに変わるかもしれません。それが目標に変わった時、その先に待ってるものは実はそれよりも もっともっと大きなものかもしれないのです。

「仕事なんて何やったって同じだよ」
そう、まったくその通りだと思います。僕はただ違う畑で仕事をしたかっただけなんです。その目標を達成するまでにちょうど10年かかりましたが、一つはっきりと言えることがあります。辛いこともたくさんあったけど、ずっと夢見ているよりは全然よかったと。

こうして振り返ってみると、大きいと思っていた目標は今の自分から見たら小さな目標でした。

未来の自分から見たら、今のあなたが必要としている勇気さえとっても小さなものでしかないのかもしれません。

そう逆に考えていくと、あなたの目標としている未来は意外に明るいように見えてきませんか。小さな勇気さえあれば。

All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them. 
(どんな夢も叶う やってのける勇気があれば)

Walt Disney(ウォルト・ディズニー)

寺ピー

#想像していなかった未来

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