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ホン雑記 Vol.791「せっせと作った森が生き方に出てまっせ」

ドリアン助川氏の「プチ革命 言葉の森を育てよう」が届いた。わーい。


こないだの「ホン雑記」でもちょろっと紹介した、ドリアン氏の友人のアメリカ人ベーシストが言った「魚は魚やおまへんか」案件の本格的な本だ。

で、まだ「プチ革命」、読みはじめたばっかなんだけどね、言葉ってすんごいなー。やっぱ、すんごいんだなーオモタで。
名詞の森を繁茂させましょうってススメなんだけどね。なんだそれってなるわな。

言葉は最初こんな風に覚えてったんじゃないのかしらん、とドリ助さんはおっしゃる。
まずは、まだばぶーばぶー言ってた頃とか、なぜなぜ期の頃。目に留まった物を指さして、大人たちに名詞を教わる。まんま、ばあば、わんわん、ぶーぶー、などなど。
それからもうちょっと大きくなると、先に「カブトムシ」といった未知の名刺を、友達などのさらに広がった環境から仕入れはじめる。どうやらそれはすごい虫らしいぞ。そしてあとから「カブトムシ」を見つけ、自分の世界の中でカブトムシが現実化する。

見てから「あれなーに?」、聞いてから「あれがこれか」、の2パターンで名詞の森は急速に茂っていく。ここまではほぼ無意識で、しかも好きでやっていることだ。
それから授業や受験勉強などで意識的に、そんなに興味もない言葉をつめこんでいく。森はこうやって大きくなっていった。

で、ドリアンさんは、もう一度あの頃のように、興味のある分野の名詞の苗木を植えていこうじゃないか、というのだな。
こう聞くととても漠然とした感じの、何やら禅や瞑想のような「ちょ、ちょっとヒマができたらやってみることにしてみようかしら」なんて感じのパンチ効いてない営みに思われるかもしれないけど、こういうことが人生を救いすらするというんだな。なんとなくわかる気がする。

たとえば「生きてて良いことなんか1割もない。ほとんどはイヤなことばかりだ。しかしな、みんなそうなんだよ。そのわずかの幸福のために、人は生きていけるんだよ」っていうクソみたいな慰めがあるとするじゃない? いや、あるんだってば。オレは人生で4回ぐらいは聞いてるぜ。
で、その言葉を聞いてる側の様子も同時に入ってくることが多いじゃない。それはたとえば人生相談の一場面だったりとか。で、そういう時にその慰めを受け入れてる聞き手の描写が圧倒的に多いわな。漫画でもドラマでもさ。

そりゃそうだわな。だってそのセリフをキャラに言わせたいがためにそんなストーリーに持ってってるんだから。そしたら聞き手のキャラも「あー、そうかー」なんつって慰められてるわな。そしたらその漫画かなんかに救われちゃったヤツが現実で後輩に言っちゃったりする。その後輩も「え、そうっすか?」なんていちいち腰折らないだろうから、そのまんまそういう流れでとりあえず進む。で、それを横で見てたさらに後輩の子とか、運悪くもっと年端も行かない子供なんかが「あ、こういう時はこんな感じの流れなんだな」とすんごいテキトーに受け取って、こんなテキトーな感じの考えが世に蔓延する。

ながっ。
でもオレは「生きてて良いことなんか1割もない」言われた時点で、思わず「は?」言うてまうと思うねん。いやお前だけやろそれと。一緒にすなと。
「しかしな」まで言わせまヘんで~? 何を「しかしな」などとカウンターチックなことを抜かして感動を誘おうとしとんねんと。そもそもの主題が大きく間違うとるのに感動もクソもあるかいボケが、としか思わんわ。ワシやったらの。

「生きてて1割しかええことないんやったら、それはお前の感動・感謝アンテナが腐りきっとんねんハゲがー!」言うたらぁ。そう言うしかないがなそんなもん。
で、こんなもんみんな考えたら、いや考えんでもわかることやんか。もちろん、どーーー考えても良いこと1割ない人もおるやろけど、3割の人も7割の人もおるのに決まっとるやんか。そんなもん。なぜそれが…


え、ちょっと待って、なんの話してんのんワテ。
もう1600文字やんか。800ぐらいにしよう言うてたとこが、もう1600やんか。なんも要点しゃべってないけど、このへんにしときまっさ。

あ~、無理くりまとめるとやね、しょうもない思い込みの植樹をするなって話や。テメーの言葉の森だけならともかく、人にそんなん思わせんといてんかー。

うつくーしきーせかーいー♪

って玉置はんと絢香はんがこないだデュエットしたはったでー。おんどれらが思うてる以上に、美しき世界なんよ。ここは。
ホンマにもう。




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【今日の他人曲】




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