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ホン雑記 Vol.602「感動があるかどうか、か?」

オタクの嫁に聞いた話だけど、アニメの推しキャラのぬいぐるみを携えて、旅行先で一緒に写真を撮るのが流行っているらしい。

ひと…いや、ふた昔前のオレなら「キショ」で終わってただろうけど、オッサンになるといろんなとこが丸くなってくるんで、「まぁそれもいいやね」といまでは思う。「いいやね」どころか「いいことだ」と思う。
地球上には幸せな人が多いほうが何かといいんでね。

ぬいぐるみと一緒に写真撮るのがさらにレベルアップすると、観光地にぬいぐるみだけを送って、海なんかでチャプチャプ遊ばせて、写真撮ってもらって、洗って干してもらって、送り返してもらったりするらしい。そういうサービスがあるってことだね。
それ知った時は「うわぁ」なんて思ったんだけど、瞬時に微笑ましい気持ちになった。


最近のオレはデジタル空間があまり好きじゃない、気がする。メタバースとか前はあれだけ記事にしてたのに、いまはなんかダメなものの感じがする。保守的な人間の錯覚にすぎないかもしれない。が、生理的に受け付けなくなってきた。なんか、違う気がする。

この人はすごいなぁ、と思うweb3関連のインフルエンサーがひとりいる。聡明だし、いろんな価値観も合うんだけど、ひとつだけ「どんな人でも人生をデジタル上でやり直せる時代が来る」なんていうスタンスだけは強烈に受け付けない。そんなことは有り得ない。
最近、ブラック企業ブラック企業言うとるのんが増えたけど、ブラック企業はむしろ減ってる。でも言うヤツは増えた。つまりはそういうことだ。自分の何が変わってしまったのかは、じっっっつ実にに気づきにくいものだ。
それにそういう時代は、人々の平均値の汎用性を奪う。みんなが同じような生き方になるし、個人の中の文化が減るし、「まだ何々してるの?」なんていうイラつく文言がもっと増える。はい、増えますよ。自由になっていってると思うのは錯覚です。自分と意見の違う者をもっと叩くようになります。はい、なりますよ。

いかん、嫌いなもんの説明が長いな。性格が知れるな。

で、そういうことと、ぬいぐるみだけ旅行は一線を画してるなぁと思った。なんでってオレの嫌悪感がないから。
まぁなんて危険な考え方。感情でしかものを判断できないのかしら。
はい、そうなんです。

なんだろ、単純にやっぱ物理的なものに触れられるかどうかの差なんだろうな。こんなのオキニのキャラクターのNFTをメタバース上で送ったりして、そのキャラが人と遊んでもらってもなんの感慨もないと思うんだよね。
あ、いやいや、わからんぞ。こればっかりはある人もいるか。いや、きっといるな。オレ、ソシャゲの「いまなら何々もらえる」の価値わからんもん。そんなもん運営がいくらでもプログラム上で変えられるやんけ、って思てまう。
デジタルネイティブ世代は、たぶんワシらよりもオンライン上の友達の価値高いと思うんだよね。価値ってやらしい言い方だけど。
新世代の感覚には、もうどう転んでもなり切ることはできないんだろうな。古代壁画の「最近の若者は~」の歴史が証明してるように。いまだ引き落としを信用してない頑固ジジイの気持ちがわからんでもない。


あらら。支離滅裂になってきたぞ。途中で「いやいや、わからんぞ」なんて言っちまったもんで、そりゃ最初の主張が弱まるわなぁ。困ったなぁ。

ま、とにかく、どの世代も物理的接触はひっじょーにだいじだよって話に無理くり持っていきたいと思う。ワシは。
物心もまだつかんような子が、動物の赤ちゃんに思わずキスしてるような動画見ると特にそう思わされるんだよね。

子供は自分に要るもの、ちゃんとわかってるわ。




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