雑記1088「また日常へ」
は~疲れた。鹿児島まで行ってきた。
おととい帰って来て、昨日からまたこの雑記をはじめようと思ったんだけど、慣れない土地でのレンタカー移動が疲れすぎてやめた。
ずっと続いてた鍵盤練習も昨日はやめちゃったとさ。
あ~ぁ。
ということで、知覧特攻平和会館メインで行ってきたんだけど、この通りのテンションなのである。
タイトルに「知覧にて」なんて付けようかとも思ったけど、そんなに書くこともなく、こんな低テンションのタイトルを付けている。
正直、そんなに刺さらなかったことに参っている。いや、参ってはいない。どっちなんだよ。まぁ、そんな感じだ。だから旅の内容は特に書かない。
帰って来て、他の人の感想をいくつか読んだ。この感動屋・分析したがり屋のオレが、その感想たちのどれと比べても何も浮かんでこないことが、とにかく低テンション。
正直いってオレが日本で一番行っておかないといけない場所だと思ってた。とりあえず行けたぜ~、なんて安堵も多少はある。死ぬまでに行っときたい場所でこれ以上のところは日本にはない。
何年もかけて勝手に育まれたその期待値が、想像以上にデカくなりすぎたのかもしれん。札幌の時計台を見た時のショボン感…とはまた違うんだけど、自分の中のアンテナが大層さびついてるのを自認して、大層へこんでいる。いや、そこまでへこんではいない。どっちなんだよ。まぁ、そんな感じだ。
もちろん、泣き虫のオレのことなんで館内でも何度かチョイ泣きしたんだけど、家で公式サイト見てた時の号泣っぷりに比べたらあまりにもチョイ泣きで、さすがに本場は違うわぁ…とはまったくならなかった。
結局、旅先から持ち帰った最大のものは劣等感と言うか「自己矮小感」のようなものだった。だからテンション低いのは当然だわな。
とにもかくにも、知覧から飛び立って行ったかつての少年兵たちはもちろんのこと、CAさん、旅館のスタッフたち、空港のロビーでノートパソコン開いて仕事してるっぽい人、離陸時に機窓の向こうで手を振ってくれる整備関係者などなど、どこで誰を見ても自己矮小感が湧いて来てしょうがなかった。
が、むしろこれは本来感じておくべき矮小感で、それが、文句ばっかり言ってるヤツが嫌いと普段文句ばっかり言ってるせいで、普段は見えなくなっていただけのことなのか、と思った。
こないだも、ロンブーの淳を引き合いに出して、彼は感動もするし分析もするし素直でもあるのに、どんどん「けしからん屋」になってってる、ヒマ人に成り下がって行ってる、それがなぜわからないのか…なんて不思議がってみたんだけど、自分を通してやっと、なぜわからないのかがわかった。
それがなぜか、遠出してやっとわかった。頭ではわかってたはずの「叩く相手への真剣度が増せば増すほど、自分も不思議とその相手に似てくる」ってことが心のほうでわかってきて、旅ってのは行くもんだなぁ、ってことだけがはっきりとわかった。
あそこ行きたいここ行きたいなんていう旅好き人間って、流行り廃り好きで、なんだかだいぶ自分が無さそうでアホっぽくて嫌い…なんてずっと思ってた自分がなんてアホだったんだろうと、いまボコボコにされている。
自分の感情があまりわからない人がアホっぽくて嫌い…なんてこともずっと思ってたけど、自分の感情があまりわかってないってことも知って、そこもボコボコだ。
つい最近、嫁に「標準語と大阪弁と愛知弁以外嫌いやわぁ。なんで世の中はいちいち方言をありがたがるのか。あんなもんどーっでもええわ。世間アホか」なんてグチってたんだけど、鹿児島着いて、コンビニ店員でもご当地イントネーション出してるのを聞いてテンション上がってたのは嫁じゃなくてオレのほうだった。
という感じで気づいたもろもろなどなども、また日常に飲まれたら忘れて行くんだろうな。
でもまぁ、旅ってのは行くもんだなぁ。
「あー、素敵な旅だったー!」「楽しかったー!」というような旅行の醍醐味を味わえたなら、それはウキウキで、その時点は花であるんだろう。
だけど、こうして普段よりもテンションを下げられるような旅は、いま植える種であるような気がする。
自分がいかにしょうもないものに凝り固められたしょうもないヤツなのかと知るってことは、いつか咲くような気がするんだよねぇ。
P.S.
とはいえ、夕食時の超絶幸福感ったらハンパなかったけどね~。
(じゃー良かったんじゃん)
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