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雑記1112「感じてすでに動かしてる」

今日のはオレ以外の人にしてみたらどーっでもええ話かもしれないんだけどね。


ここに書いた雑記はいつも2、3度見直すんだけど、昨日の記事にふと書いた一節、
「たったひとつの個体の感動が、宇宙から見て意味がないことはないと思う」
のところを読んでたら、これさりげなくスンゲーいいこと言ってるんじゃね? ってなって、そしてあろうことか、泣いた。

あー、めでてぇ野郎だね~。
オレ自分の嫌いなところ山ほどあるけど、こういうところはスンゲー素晴らしいと思ってんだよね。そりゃ自分で言うわさ。誰が言うてくれるのんそんなもん。
自分のオリジナル曲歌ってたら感極まって歌えなくなるとかもそうなんだけどさ、こういうとこって、オレスンゲーなーって思う。

最後の瞽女ごぜ(盲目の女性旅芸人)である小林ハルさんは「さずきもん(天から授かったもの)さえだいじにしとったら何も怖いもんはねぇ」と最後の弟子に伝えていたけど、オレにとってのさずきもんは音楽よりもむしろこの、おめでたオツム、なんだろうと思う。

音楽で自分より上の人なんてアホほどいるけど、このおめでたさは比類する人を見たことがない。高校の時も、自転車での登下校中に泣きながら歌ってたからねー。毎日毎日。

で、「たったひとつの個体の感動が、宇宙から見て意味がないことはないと思う」ってことがらを認識してオレが泣くってことはこれもう、オレがすごいんじゃないんだよね。泣くってのは、自分ひとりの魂じゃできないんだ。
花粉吸い込んだらくしゃみが出る、たまねぎ切ったら涙が出る、血が出たら血小板が集まるってことと同様、もうそれはオレだけがやってることじゃない。いろんな細胞さんが働いてそうなってる。泣くのは自然現象のひとつなんだ。

で、その「感動の発動」は何を示してるかっていうと、そのことが「本当のことであるかどうか」なんだと思うんだな。
だからオレにとってウンコみたいなヤツが、ウンコみたいな絵画を見て泣いてたとしたら、それは残念ながら本当のことなんだ。ケチはつけられないんだね。いや、「残念だ」と思ってきたことのほうが錯覚だったのかもしれないねぇ。

だからオレは戒律の多いあの著名な宗教が本当に嫌いだ。自分から見てウンコみたいなものでも、誰かが崇めるだいじなものを破壊しに行く必要はまったくないのにねぇ。ま、オレも人間なんで気持ちはわからんでもないけどさ。
でもホント、破壊する必要なんてまったくないんだ。ただほっときゃいい。
世界の上でわざわざ嫌いなものを探して壊しに行くヒマがあるなら、自分の周りを自分で作ったもの、だいじなもので埋めなさい…。ワシはそう思うぜよ。

これはまさに心配と同じ源だなぁ。あ、日本語の上でもそうじゃんか。
「いまここ」ではない、いろんな場所に心を配ってると、狂っていってる何かも心の中を占める。心配りで済んでるうちは全然いいんだけどねぇ。


ということで、オレがたまたま経験者なんでオレが言うと偉そうに聞こえるかもだけど、これは人類にとって福音であーる。

「たったひとつの個体の感動が、宇宙から見て意味がないことはない」

きっとそうなんだ。あー、ありがたいねー。
感じて動くところまで行かなくても、ひとり静かに感動するだけで見えない何かに何らかの超微細な影響は与えてるんだ。




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【今週の過去分オリジナルソング】




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