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ホン雑記882「後追い自習」

いやはや、嫁の病とオレの軽度難聴が、なんとも人生を豊かにしてくれている。


若い時は「がんになって良かった」とか言う人を可哀想な目で見てたけど「あぁ、強がりじゃなく本心だったのか」といまになって思える。し、自分がそっちサイドの人間で良かったとホント思う。

年取ると、機械と一緒でいろんなとこにガタが来てメンテナンスがメンドくさくてロクなことねーなー、なんて思ってたんだけど人間ってそこんところ素晴らしいなぁってホント思う。
機械と違って、いや、機械に訊いてみたこともないんでわからんけど、いろんなものが削ぎ落とされて、もしくは削ぎ落とされていくタイムリミットを意識させられて、いままで何を与えられていたのかがようやく見えて来る。
ワテの提唱している「接触不可視の法則」をまーた思い出す。それを最初に発見させてくれたのは、いわゆる「持たざる者」のおかげだったなぁ。

耳の聞こえが悪いと気づいた時は、久々の冷や汗モンだった。「ガーン」なんて効果音も聞こえちゃう感じ。数日は「どーしよー」なんて思ったさ。これ以上悪くなって行ったら…って、ベタ中のベタだけどやっぱり考えるんだよね。
作曲にはまったく問題ないけど、商業ベースで活躍するような編曲家になるのはもう難しそうだ。高音が前よりも聞こえにくいんでね(言うても鈴虫の音色とかは聞こえるんでご心配なく。誰もしてねーか)。
「商業ベースで活躍するような編曲家になるのはもう難しそうだ」って冗談だと自分でわかって書いてても苦笑するわ。
いや、聞こえててもそもそも難しいっつーのー! つーのーっ!

………。

で、ベートーベンの伝記読んでオイオイと泣いたらさ、なんか難聴の中に良いことないかなーって探すわけ。探し気味にしていくわけ、アタマを。
そうするとアタマはちゃんと連れて来るんだよ。探したものを。脳幹網様体賦活系(RAS)によってね。
そしたらさ、ヘッドフォンとかで大きい音で聴くと難聴を進めることになるからもう爆音で聴くのは無理なんだなーってことが、良いことにしか思えないんだな。これ不思議よホント。
たとえば、何かのランキングで「べスト10000!」とか言われたってそんなもん価値ないじゃない。やっぱせめてべスト10ぐらいまでじゃないと興味を惹かれないわな。

オレはたまたま自分の中で一番秀でてるのがおそらくは音楽だろうから、それっていまから聴く曲の価値がオレの中で上がったってことなのだ。これ別に無理してねーのよ。昨日あたりからそんなことに気づきはじめた。鍵盤弾いてて特に。


巨匠・すぎやまこういちはオーケストラの譜面も書けるけど(ゲーム音楽作曲家でもそんなことができる人は滅多にいない)、それもなんと独学だっていうんだな。
若い時に米軍の放出品のレコードを手に入れるんだけど、その時のレコードなんて片面5分ぐらいしか録音できない。だからクラシックの曲なんだけど、その中のどこか5分だけが録音されてるらしい。嘘みたいな話でしょ。
で、すぎやまセンセはその5分のレコードを何度も何度も聴くわけさ。他に娯楽もないしね。それから父親がベートーベンの交響曲第6、7番のレコードを物々交換で持って帰ってきてくれた時には飛び上がって喜んだという。もちろん彼はそれらの作品を途方もない回数聴くのだ。

そんな経験が、彼を音楽のかたわらに近づけることになる。やっぱりそれって「好き」の魔力だと思うんだよね。向こう音楽のほうでも好いてくれるんだよ、きっと。
んで、この時代にそんな経験はもうできないじゃないっすか。やっぱりすでにある便利さを使わないってのは、なかなか不可能に近いからなぁ。気になる曲があったらすぐYoutube見に行っちゃうもん。

でも軽度ぐらいの難聴ならそういう時代を自分の中に連れてきてくれるわけさ。実際「次はなんの曲を覚えようかな~?」「なんの曲で学ぼうかな~?」って思いは強くなってるからね。


今朝は漫画も全部捨てたろかと初めて思った。
とりあえずオレもすぎやまセンセのマネしよーっと。




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ってなわけで、今日のオリジナル曲はクラシカルなやつ載せときますー。
聴いてね(笑)

【今日の過去曲】




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