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ホン雑記 Vol.481「未成人」

ぼーっと部屋の本棚を見てみた。3割ほどはまだ読んでない本があるけど、結局既読の本を手に取った。矢沢永吉の『成りあがり』だ。

日焼けの季節になると読書が進むのだ。家にいると無意識にネットの類に繋げてしまってなかなか捗らない。ということで、やっぱり日焼けはいい。この4年ほどいい加減やめようと思ってるんだけど、やっぱりいい。


やっぱり、いや、ウソ、気づいてなかった。
思ってたより、読み返しって深いもんだなと思った。

最初読んだ時に忘れてたことに「あーあー、そうだった」ってなること。
前回では自分の器が足りずに通過してたことが、今回初めて刺さること。

ここまでは今までの読み返し道の中で知っていた。
でも昨日思ったのは「今の自分の立ち位置がどのあたりなのかを知らせるバロメーターだなぁ」ということ。

立ち位置といっても、成長の度合いのことではない。日々の…いや、日々よりもうちょっと長いスパンの、週々? 月々? なんかの自分のバイオリズムと言ってもいいかもしれない。

オッサンになって思うようになったことのひとつに、自分の機嫌とか思考の方向性は意外とブラブラとブレてて、それに自分が一番気づかないのかもしれない、というのがある。

今日はたまたま会うヤツ会うヤツがムカつくよなぁ、なんて日もあれば、次の日はホントにただの偶然かと思うほど爽快なやりとりが続いたり…。
実は偶然でもなんでもなくて自分の受信アンテナの調子が違ってるだけみたいなことが。これはまぁ機嫌のほうだな。

思考の方向性は、たとえば、食糧難の時世に闇米を拒否して亡くなった裁判官を想う時、前は「いや、食えよ」と思ってたのが、今度は「法曹の…いやいや、人間の鑑である」と思いなおすようなことだ。
思考の方向性とかメンドい言葉を使ったが、単に「人格」でいいかもしれない。ってか人格だ。

オレはこの傾向が金銭感覚によく表れ、ブレる。
こないだまでは「お金じゃない。人生お金じゃないぞ」と思っててそういう時にはバラエティ番組を見たり、好きなことをしたり、利他的な脳になってたかと思うと、いつの間にか守銭奴的な自分が出てきてて「クイズ番組? 時間の無駄や」「鶴瓶の家族に乾杯? トーシロの私生活に興味なんかあらへんがな、時間の無駄や」「資産性資産性。効率性効率性」なんて感じで利己的な脳になってたりする。
金の…つまりは、まだ来てもいないことの心配をしやすい期間には、全ではなく個の自分がメタクソに台頭している。普段「全体」でありたいと思ってるつもりだったのに…。


で、昨日1日…いや、1日焼け中に読み終えた『成りあがり』は、以前よりも名著だった。
素晴らしい映画のようにも見えたし、「あ~、今のオレ、心が曇ってんなぁ」と思わせもしてくれた。いいバイオリズムの時に読めた。
「夢」側の自分に引き戻してくれるような本だったし、そういう本に見せる時期だった。

これがもっとやさぐれ期になってから読むと、「うるせーよ、何がヤザワだよ、ケッ」なんてことになりかねない。「そりゃぁアンタだから出来るんだよ、簡単に言ってくれるなよ」って。
あ、「そりゃぁアンタだから」なんて思ったことはそういや一度もなかったわ。



あとがきが奇しくも糸井重里だった。
あぁ、いつもサイト見に行ってるんで、奇しくも。

どうやら40年以上前に発行されたこの本の制作に、糸井氏も関わってるらしい。「幸運にも、両親が健在で、経済的に豊かで、学校に行っているキミでも、成りあがりを目指してほしい」とあったのでインタビュアーだったんだろう。

そんなことよりも、オレはズッコケた(日焼けしてるから寝転がってるけど)。
素晴らしい人生譚だったと涙していた自分がちょっと恥ずかしくなってしまった。まさか道を少しあぶれた学生を想定して書かれたものだったとは。


ま、まだまだ若いってことだな。うん。

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