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ホン雑記 Vol.232「神の風穴」

また糸井重里氏の「今日のダーリン」から話題をちょいといただいちゃう。

ほぼ日手帳に、「今日あったいいこと」を書くんです、という人が、たくさんいらっしゃいます。
わかるわぁ、その感じ、それを探しているときが、また「いいこと」になりますからね。

というエッセイを見て、「わかるわぁ、その感じ」ってなった。

その「探すこと」は、のり弁のから揚げがいつもよりカリッとしてたとか、読みかけだった本をとうとう読み終えたとか、そんなんでいいという。
どういうことを「いいこと」として思い出すのか、それを繰り返すうちに「いいこと」を見つける目が育ってくる、と。


オレはノスタルジャー(懐古中毒者)だという話を何度かしてきた。
悪ぃけど、オレほど過去を振り返ることで多幸感を得る人間もいないだろう。きっといない。世界有数の後ろ向きな人間であろうとする、前向きな態度なのである。
そうすると「それでは前に進めないよ」とか「過去に囚われてばかりではねぇ」なんて声が上がるけど、声を大にして「で?」なのである。
「で?」だけをオーロラビジョンに映し出して差し上げたい。

いやいや、これは「いま」幸せなんですよと。なんでそれが分からんのですかと。こう吾輩は思うわけですな。
時間なんて強制スクロールなんだから、前を向いてようが過去ばかり見てようが勝手に進むのだよ、と。

こんな名作がある。

-×-=


人生というのはなんと凄絶な旅路なんだろう
立ち止まるのはもちろんのこと
来た道を振り返ることしかできないこともある
行く道に立ちはだかる壁に後ずさりすることさえある
どん底の時には 振り返ったまま後ずさりしていたりするのかも知れない

そんな時 はたから見れば前に進んでいる

ここをたびたび訪れてくれる勘のいいかたはお気づきだろうが、いきなり名作と言って紹介するのはだいたいが自作のモンである。お気をつけて。

ま、そういう感じなのさ。どこを見ててもいいじゃないかと。生きてさえいれば。(推奨BGM:生きて~る~生きて~いる~♪/中孝介「サンサーラ」)


糸井氏は「今日あったいやなこと」を探したり、「いいことなんかひとつもないよ」と言うのは簡単だという。メディアや近所の人がよくそうしてるからと。
だけど、そうやって「いやなこと」を探し続けて、何か「いいこと」はあるのかと。

宇宙には善も悪もなく、同じものをコピーしようとする。さらにコピーした性質を顕著にしようとする機能付き。
だから、「いやなこと」を見つける目も同じように育っていく。

こんな名文がある。

(前略)

そして新型の定義が端的に言いにくいが「万有引力」とまったく同質のものということ。
動物はもちろん、植物、鉱物、原子レベルまでまったく同じ力で引き合っている。
表面張力も、シャボン玉も、台風の成長も、つららも、都市の繁栄にしても同じ力である。
なるべくくっつこうとしてできた形。

星を見てもそう。なるべく大きいものの所へ集まろうとする。
太陽系はもちろん、銀河系も渦まいていて、その塊の銀河団も、またその集まりの超銀河団もお互いが近づこうとした形。
さらにその超銀河団も連なっていて、「グレートウォール」という宇宙で最も大きな構造がある。
このグレートウォールも、星々のある領域とない領域(ボイド)に分かれる。しかも泡のような形をしているのだ。

(後略)

勘がよろしいようで。そう、またオレのだ。申し訳ない。

これは「愛ってどんなカタチ?」みたいな自問自答してた時に書いたものだけど、世界はこんな感じっぽいとオレには映っている。
特に「つらら」は一番イメージに近い。あるところは余計あるようになって、ないところは余計ないようになる可能性が高い。ヘンな日本語あるね。

で、こういう傾向になんとなく「神の風穴」という名称を付けていたりする。ウソ。いま付けた。
開くんじゃなくて開けるのが風穴なのでね。自分で作ってるのだね、その穴は。
つららを例に出しといて、穴とか言ってるところがホントに残念なセンスだけどもさ。



ま、とにかく、凸にしろ凹にしろ、自分で作ってるのだな。
大袈裟に言えば、あなたの言動の分水嶺の結果が、宇宙の一部をクリエイトしてるとも言える。ほんっっっの小さな小さな一部分の創造にすぎないけど。

まずは、善き言葉を。




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