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西野亮廣オンライン講演会~超実践マーケティング~を受講して。(第3章)

ども。超ひよっこブロガーのでぽろんです('ω')ノ
みなみなさまの手で立派な鶏に育て上げてください。

さて、今回は「西野亮廣オンライン講演会~超実践マーケティング~」
の第5弾、第3章になります。(前回分はこちら
どうぞよろしこ('ω')ノ



第3章

1.「ランドセル型」ビジネス

新型ウィルス襲来の前から、西野さんの造語「ランドセル型」っていうのはあったんですが、今後この系統がもっと増えて来るようです。

簡単に言ってしまえば、これ「ギフト型」ビジネスなんです。
今後はマネーリテラシー(お金の識字率)格差によって、貧富の差が激しくなっていくと思われますが、貧しい人はそのまま財(モノ)を欲しがり、お金持ちは承認欲求を満たしたくなる。

この両者の欲求を満たすのが「贈り物」であり、双方がWin-Winになるんですね。購買者と利用者が違う人間なので、おじいちゃんおばあちゃんからのプレゼントが多いことにちなんで、「ランドセル型」ビジネスと言うわけです。

西野さんのクラウドファンディングで「フィリピンのスラム街の子に〇〇冊の本をプレゼントできる権」みたいなのがあるんですが、これは普通に売ったら当然1冊しか売れないわけです。
ところが上記のような名目があると、100冊のセットを個人で買う人が何人もいたそうです。

どうやらこの辺りに、売上数を飛躍的に増やす方法がありそうです。



2.意味をずらす

もういきなり答えを見出しに持って来ましたが、このランドセル型ビジネスも、大枠では「商品の持つ意味をずらして売る」ということをやっているんです。
ランドセル型ビジネスは、背負いカバンではなく、プレゼントを孫にあげるための言い訳に意味をずらして売られている。だから売り手は5万、6万なんて高額を付けられるんですね。


西野さんは、とにかくいつも疑問が浮かんではその答えを探り続けるのが辞められない病人なんですが、ある時こんな「なぜ?」を思いつきました。

それはCDの売上枚数に対する疑問で、1990年代の後半にCDが最も売れていたということを知った彼は「あれ?」と思いつきます。90年代後半と言えば、もうほぼ毎週ミリオンセラーが生み出された時期だったようで、ダブルミリオンもチラホラ。

今のように音楽配信がないので、そのあたりの年代がCDセールス最盛期なのは分かるけど、それだったら90年代前半も売れてないとおかしい。
90年代前半はZARD、WANDS、槇原敬之などがブイブイいわしてた。じゃあ、90年代後半になんかあったのか? と西野さんは考えます。

実は、1996年あたりに8センチCDというのが隆盛を極めるんですが、このパッケージが縦長で、下のほうの格子状のプラスチックを折ることができたんですね。今考えたらヘンな仕様ですけども。

これによってCDラックというものが世にはびこります。友達の家に行って、そのお兄ちゃんなんかの部屋をチラ見した時に、ラックにCDがいっぱい収納されている。かつての少年少女たちは、ちょっと年上のお兄さんたちの部屋にあるCDラックの様相に憧れたようです。なんならお姉ちゃんのラックは回ったりもする。

もうお気づきの通り、西野少年の世代にはCDラックはインテリアの一部、いやそれ以上にアイデンティティー発信のアイテムで、大人の階段への第一歩だったんです。友達呼んだらセンスを問われるんで必死なんです。

CDラックは意味をずらし、ただの収納スペースからインテリア、高じて「私のトリセツ」の役目もあったわけです。
更には、入れ物を用意してしまうと全部埋めたくなるという心理も働いて、CDの売れ行きに貢献していた可能性もあります。


歴代のヒット商品には、このように「意味をずらしたもの」が多く見受けられます。その最たるものが80年代~90年代初頭にかけて流行った、
ビックリマンチョコ」です。

これはもう意味をずらし切ってて、チョコを捨ててシールを集める餓鬼みたいなガキがいて社会問題にまで発展しました。
子供ってまぁまぁチョコ好きだと思うんですが、その子供がチョコを捨ててまで欲しがるシールだったんですね。

そしてここでも、ロッテは悪魔のアイテムである、シールを埋めていく公式のアルバムを出してくるんですね。CDラックを埋めたくなった経験のある西野少年は、これに手を出すのはヤバいと本能で気づいたそうです。
「人生終わってまう」と。

運悪く、彼は近所のお兄さんにそのアルバムをもらってしまうんですが、ブルブル震えながら受け取ったのを覚えていると言います。それからオカンへの肩たたきの日々が始まったようです。

ちなみに、このブームは公正取引委員会からの勧告によって下火になりますが、シール規制はアメリカからの圧力が原因ということらしいです。(ロッテ広報より)


最後に、西野さん自身の作戦をご紹介します。

彼は絵本作家のわらじを履いた時には、書くことに専念していたようです。ある時「これは無責任なんじゃないか? 作品が子供だとしたら、人様に届けていくことが我が子を育てることだ」と気づき、マーケティングにも力を入れていきます。

絵本は5000部売れたら大ヒットという世界ですが、なぜこの業界はこんなに規模が小さいのか? と疑問を持ちます。
そして、規模が小さいがゆえに制作費が回らず、それゆえに1人で描くしかない。だから、大々的なものが作れないという悪循環になってると気づきます。

それだったら、分業にすればいいじゃん、ということで初の超分業制の絵本である「えんとつ町のプペル」を作り始めます。お金という問題さえクリアしてしまえばそれが可能になる。彼は常識も疑ってかかります。

結局このお金はクラウドファンディングで集めるんですが、この中でやってる資金調達法も、普通の人が考えもしないような方法ばかりです。それだけでもだいぶ紙幅を割くので端折りますが(「革命のファンファーレ」に詳しい)、このクラファンでスタッフたちののギャラ分のお金が集まりました。


問題はどうやって売っていくか。西野さんは考えます。

人が絶対に買うものってなんだろう? 食べる物、家電製品、車、家…
つまり生活必需品だよな。じゃあ、それ以外のもので絶対買いたくなるようなものはないのか?

「そうだ! おみやげだ!」

宮島行った時のペナントとか、芸人仲間との京都旅行での「御用」って書かれた提灯とか、自分でも買っちゃってるじゃないか!
彼は気づきます。時代が下っても、おみやげ屋さんはなくなってないと。

では、人はなぜおみやげを欲するのか。それは、おみやげが「あの時の思い出を思い出す装置」として機能しているからだと彼は言います。
映画を観た後のパンフレットもそうで、薄っぺらい冊子を800円とか出して平気で買うんですね。あれ、本屋で売られてたらそんな大金よう出しません。自分の経験を閉じ込める機能としての役割があるから、お金を出せるんですね。

じゃあ、絵本をどうやったら「おみやげ化」出来るのか、となるんですが、ここで第1章でも触れた「著作権の放棄」が絡んで来ます。

「西野の作品を使って、勝手に個展とかやってもいいよ。なんならお金設けしてもいいよ」

これです。西野好きの人たちが全国各地で勝手に個展をやってくれる。あとは「出口に絵本を置いといてね」と頼むだけなんですね。
もちろん本人も個展をばんばんやっていって、作品を出口に置いとく。飛ぶように売れていくらしいです。

この綿密な作戦と、途轍もない努力によって「えんとつ町のプペル」は異例の累計発行部数42万部という大記録を打ち立てます。


絵本を本としてではなく「おみやげ」として売る。そのおみやげも、そもそもが「あの時を思い出す装置」に意味をずらして売られているものです。

さらにはこの「えんとつ町のプペル」、カバーを外すと表記が英語だけになるんです。洋物にすることでインテリアへと意味をずらし、カフェのオーナーさんなどが棚に差したくなるようにしてるんですね。

そのうえ「この絵本はおみやげなんですよー」と彼がメディアで言っただけでも売上が上がって(人々の「おみやげ」の選択肢の中に絵本が入ってくるので)、なおかつ普通の本の売れ行きに比べて、その減衰率がゆるやかだと言います。発売日を遠く過ぎても、売れ続けるんですね。

ちなみに「革命のファンファーレ」のカバーを外してもプペルのイラストが出てきます。

そして、実はこの42万部売れた絵本さえも、12月公開の「映画 えんとつ町のプペル」の広告として意味をずらされたもので、全ストーリーの一部分に過ぎません。

まったくヘビみたいなしつこさです。つくづく、イヤらしい男です。

自分の売ってる商品も、何か意味はずらせないかと考えてみるのも良いかもしれませんね。



さてさて、長々とお付き合い頂きありがとうございましたm(_ _)m
西野さんはよくYouTubeで生配信していろんなことを教えてくれるんですが、今回のオンライン講演会はいつもより断然楽しめました。

それは800円という低価格とはいえ、お金を払っているがゆえでしょう。vimeoという動画共有プラットフォームでの生配信で、場所はいつものように彼の自室からだったんですが、なんかちょっとしたライブに参加してる感覚でした。有料でありがとう、って感じです。

彼は「無料の情報源は吸収率が下がる」と言ってるんですが、それもホントにその通りだと実感できました。

まだ何を書くか決めてませんが、
次回は5/30(土)に何かお送りします。

ではまた('ω')ノ




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