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ホン雑記858「全員は描くなよ~、と心底では思ってるオレはちっさすぎる」

岡本太郎著『今日の芸術』を読んでいる。7割がた読んだ。


ヤベーわ。
あ、いかん、アホみたいな言葉使うのやめよっと。自分の感情は語彙に沿うでな~。色とりどりの表現をしたほうがええわな~。

で、何がヤベーのかってーと、1954年に書かれた本なんだけど、現代あるような問題をその時に見切ってて、しかも言語化がすっげーヤッベーんだよ。「芸術は爆発だー」言うてるだけの中身の無いおっさんだと昔は思ってたんだけど、突飛な部分をてらわずに自然に持っていて、しかもまっことまっとうな常識人であるのだ。
やっぱ人には添うてみんとあかんね~。

厚さ1cmほどの文庫本だけど、「芸術とは何か」「芸術ってやる意味あるの?」「こんな絵、さっぱり意味がわからない」「こんな絵、俺だって描けるよ」というような、いままでに死ぬほどこすり倒された問いや言い分に見事なまでに答えている。こう返されたら(素直であれば)閉口するしかない、というような水準のものばかりだった。ただの反駁というわけではなく、いぶかる者自身になぜそんな問いが生まれるのかまで書かれている。
しかもこの1冊を順序立てて読めば、その理解度が自分でも高まってから、次の内容が入っていくという感じもわかる。算数とか技術体系を学ぶ感覚に近い。
新版のまえがきを、その発刊を出版社に煽った横尾忠則が書いてるんだけど、彼もこの本に多大な影響を受けたとあって、オレもなんか喜んでいる。同時になんか安心している。「やっぱ、そうだよね~」って感覚。

で、めちゃくちゃ端折るけど、いま(69年前)のこの世界は変態的だと太郎は言っている。もちろん良くない意味でだ。教育も、特に美術教育が狂ってると。
そのうえ「あらゆる人が絵を描かなければならない」とまで言い切ってる。オレがこのnoteを通して(やっぱそんなに通してないわ。たま~に)言いたいこと「人の言うことを聞き入れるな」を見事に構造化して出た答えのようなものが「描きなさい」だ。

一見、オレにさえ「いやいや、絵が好きな人、興味のある人だけが描けばいいんじゃないの? 芸術は強制するもんじゃない」なんて思わせかけるんだけど、順序立てて読んでいけば、それがまさに出てくる答えなのだとわかる(描きなさいに対して、芸術は強制するもんじゃないとすぐ浮かぶこと自体がちょっとズレてた、恥ずかしい、と気づいていく)。
つまり「世界がこんなに狂っているのは、みんなが絵を描いていないからだ」と。
そのあいだの説明、というか、なかば公式のような考えは、説明するのもメンドくさいし、ただの算数ってわけでもないんで、読む者の経験値にもかなりよるんで省く。

宗教があるのも、戦いたくもないのに戦争に行かされるのも、やりたくないことをやるのも、勝手に忖度して言われてもないのに恐怖から枯葉剤を蒔いて店の前の街路樹を枯らせるのも、「みんなが絵を描いてないから」というところに確かに通じているのだとわかる。もちろん「絵を描く」という比喩の話じゃない。実際に絵を描いてないからだ。

オレの好きな筋肉野郎、テストステロン氏の言うことで唯一オレと意見が違うのが、彼の言う「推し活をしなさい」ってことなんだな。でもオレは「そんなことをしてるヒマはないだろう」派だ。全員が全員、自分が心底からやりたいことを、探してでもやるべきだと(応援団がいらないという意味ではない)。これは太郎のいう「絵を描きなさい」と同じことだ。
当然「何もない人だっている」とか「全員が頑張る必要はない」なんて意見が出るだろうけど、そう思うこと自体が、狂い…ちょっと強すぎるか、ズレはじめてることの証拠でしかない。
やりたいことが「本当に」無い人などいないし、これは頑張る頑張らないの話をしているわけでもない。


ジミーちゃんの絵を見た太郎は彼に手紙を送った。
「いいじゃないか。だけどキャンバスを気にしてる。はみ出しなさい」
ジミーちゃんは「あれからはみ出せっていう意味をずっと考えてる。でももう太郎さんはいない…」って言ってたけど、その答えにあたる理屈も普通に書いてあった。
ジミーちゃん、読んでないのかな。教えてあげたい。




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【今日の過去詩リーズ】




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