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散文日誌「種々雑多」2021/12/29

2年前。まだ社会人だった。でも、心身はボロボロになっていた。それでも、頑張ると思って課題を何とかこなそうとしていた。しかし、努力も虚しく、5月にとりあえず病院で「適応障害」と言われて、休職期間が始まった。同月末にはADHDと診断された。もう、在職中には二次障害が始まっていたのだった。適応障害は鬱病になり、休職期間も、3ヶ月→6ヶ月になり➡︎1年が過ぎ、COVID-19の流行とともに2020年を迎える。結局、2020の五輪はCOVID-19の流行が収まらず、2020/10/31で私は社会人生活をスッパリと終えた。主治医を通して辞職の意思を伝えてもらった。自分でいうと、足元を見られるからだ。結局18ヶ月の傷病手当を在職中にもらい、やめたことになる。

去年の今頃は、なんとかなるよなんて気楽なことを考えてたもんだが、今年は火の車。せっかく離職票をもらって、失業保険を利用しようと思っても、医師の意見書は就労不可。たしかに、職場でパニックを起こし、暴れたりでもしたら、ご迷惑をかけまくるのは必至。たとえ親戚が会社をやっていても、こんな奴要らないと言われるのは至極当然だから、結局は、どこも務まる場所がないのである。

まあ、難しいよ。気が散るんだもん。とにかく。いろんな人の会話が入ってきてさ。それで、どんな感じなんだろうなって耳をそば立てて聞いていると、関数がどうだとか…。ああ、多分誰かがいじったところがうまく正常な場所に飛んでないんだな…。私だったら絶対やりたくないし、そんな責任重大な所をやるってことはよっぽどスキルが高いんだろうな。どうやったらそんなに面倒くさいことを仕事にしたいって思うんだろう。ある意味尊敬するよ。形がないものなのだから。私は、同じ面倒くさいでも形があって成果が見える方を選びたいけど、どうなんだろうなぁ…。

こんな独り言を延々と心の中で呟くから、自分の仕事に身が入るわけがない。しかも、そのせいでどこまで自分が進んでいたかすっかり忘れている。ーそうだ、訳し難い単語があってそこで詰まったままだったんだ。思い出して、やり出した時にはもう昼の鐘が鳴っている。腹は空けども、仕事は進まず、昼休みにパンを齧りつつ挽回〜という感じでやってたもんだから、もうマイペースなわけで。仕事もいちどわからない言葉に出会うと、止まってしまい、眠気の嵐。なんとか電子辞書で遊びつつ仕事してるふりをするがそれも利かず。ADHDのせいだってわかってればもう少し配慮もあっただろうに、遅かったな!フッフッフ…。

そういう感じで生きてた社会人。舐めてたわけじゃないが、そう思われても仕方ない。誰も他人の心の中は覗けない。でも意思表示がうまくできなかったから、本当の心の内を誰にも話せずに、現場を終えた。というか強制終了させられた。

任務を全うできないクズのまま、社会人生活を終え、その理由を極一部の人だけに話すことはできたが、何だか消化不良で全てが終わった気がする。だから今もモヤモヤが焼け木杭のようにのこって心の熾火として静かにチラチラと燃えている。このエネルギーをなんとしよう…。

今まさに、使途不明な物体なのだから。

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